《細川斉樹知行宛行状》肥後細川家第11代当主/熊本藩第9代藩主/越中守/江戸幕府/江戸後期/古文書
侍帳などにおいては「太膳」と表記されている人物だが、ここでは 宛名は「太善」と書かれている。
一画・二画の点のあとに「吉」の文字を窺がわせる「善」のくずし字である。
このオークションの品は、松本寿三郎氏の「熊本藩御書出集成」に掲載されている、下記「太膳」の項にある「細川斎樹公御書出(文化九年)百石」と同一内容のものであると思われる。松本先生が調査された史料が流出したのか・・・
6、中西亀之允(養子 実・志水牛右衛門長房三男 格助)
明和五年・御近習御目付--寛政二年・御郡方御目付、御郡代
寛政八年六月~寛政九年六月 上益城郡郡代
寛政九年六月~寛政十一年六月 八代郡郡代
寛政十一年六月~文化三年二月 芦北郡郡代
--文化三年・御番方
--文化四年・退隠(細川霊感公より)
中西大閑 名は安福、格助と称し、大閑と号す。藩に仕へ食禄百石、近習目付、
郡方目付及び郡代を勤む。性亢直にして果敢決断の人なり。又義父
に仕へて善く孝養を盡せり。文政十一年正月に十五日没す。
享年八十五、墓は子飼松雲院。
7、中西太膳 細川斎樹公御書出(文化九年)百石