津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■ご恵贈御礼-歴史玉名研究会「歴史玉名 第105号」

2023-12-07 17:51:06 | 書籍・読書

         

  歴史玉名研究会会員・平田稔氏から会誌「歴史玉名 第105号」をご恵贈給わった。厚く御礼申し上げる。
氏は今般研究ノートに「一八六〇年米国製銅メダルと高瀬の侍・木村鉄太」を発表された。
この銅メダルとは、熊本市の釈迦堂にある清田家が所蔵されているものだが、民放の番組で金庫を開けたら出てきたといういわくつきの品物である。
これが、遣米使節団の団員に米大統領から献じられた品物だということが判り、その団員の一人である熊本藩士・木村鉄太の研究者である平田氏が、清田家を訪ねられるにあたり、私も同行した次第である。
清田家のご当主にいろいろお尋ねになり今般の論考が成果となった。10ページにも上る論考であり、氏の研究課程を垣間見たものとしては興味深いものがある。

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■ご恵贈御礼-家系研究協議会「家系研究 第76号」

2023-12-07 12:44:09 | 書籍・読書

  

 家系研究協議会の会誌「家系研究 第76号」をお送りいただいた。深く感謝申し上げる。
内容は誠に多岐にわたり、会員の方々が真摯に研究された成果であり、ご興味ある方にはぜひともごらんいただきたいとご推奨申し上げる。
最近HPも新しくなり、運用の幅も大いに広がったように見受けられる。更なるご発展をお祈り申し上げる。

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■肥後墳墓録-(2)阿弥陀寺

2023-12-07 07:16:10 | 掃苔

 浄土宗・阿弥陀寺熊本市中央区細工町3-34
 天正の頃(1573~1592)、清正公領国の時、飽田郡南阿弥陀寺村より白川のほとり(今の東・西・紺屋阿弥陀寺町付近)に移転し建立された。
しかし度々の洪水から、慶長の頃(1596~1615)に現地に移った。
遊行上人の来遊に当たってはその宿所とも成っている。

  1、阿蘇惟光  阿蘇大宮司。文禄元年(1592)梅北一揆勃発の際島津歳久・梅北国兼等との結託を疑われ、同2年秀吉の命で12歳で命を落
         とした。

  1、飯田角兵衛 加藤清正公四天王の一人といわれ、築城の名人ともたたえられた。熊本城・飯田丸にその名を遺す。
  1、長尾豊前  加藤清正家臣で愛藤寺城代を勤めた。  

  1、梅原家   初代は高知の長曾我部一族の梅原九兵衛、柳生但馬守の許より細川光尚の招聘により召し出し。
         光尚亡き後の、嫡子六丸(綱利)の遺領相続に尽力した。
  1、大石家
  1、鎌田家
  1、清水家   細川綱利の生母・清高院の父・清水道是を初代とする。慶安2年肥後入り。
         2代目は嫡子、3代目は養子で清閑寺大納言国宗四男(又、妙解寺住職弟)で御一門扱いとなった。

  1、村井家
  1、野田家

                                             (内容については随時記入)

 

 

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