津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■熊本・益田家のご先祖様か・・?

2014-12-07 17:17:59 | 先祖附

東京大学史料編纂所研究紀要第23号(2013年)に原慶三氏の論考 益田氏系図の研究―中世前期益田氏の実像を求めて― が掲載されている。
これは石見国最大の勢力を誇ったという中世期前期の益田氏系図について論じられている。三隅・福屋・周布氏などを分出した総領家であり、「兼」の字を通字としている。
肥後細川藩家臣・益田才右衛門家の2・3代目に兼典・兼武と名乗る人がある。
ひょっとすると上記論考につながるお宅かもしれない。今後の研究課題としたい。 

■ 益田才右衛門  (南東37-12)
    1、半右衛門
    2、才右衛門・兼典(養子 実・北里二郎左衛門二男)
    3、丈右衛門・兼武  二百石 御小姓組五番御使番御鉄炮頭
    4、才右衛門      御小姓組・下津・組脇 二百石
    5、八郎    御番方・松下清蔵組 二百石
    6、幾太(丈右衛門)
    7、官太郎(才右衛門)  二百石 

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■見上げれば十六日の月

2014-12-07 07:38:00 | 徒然

 今朝の散歩でもアルデバランが御出迎え、しばらくお見合い状態で歩き右手に大きく曲がると今度はまん丸の月である。(今日は旧暦16日)
急激に下る坂道を真正面から見下ろしている。散歩の時はメガネをしないのだが乱視の私には朧月といった感じ。
坂を下りきると通称東バイパスに出て右折、「下南部ン坂」1キロほどを約15メートルほど駆け上がる。今日はすこし左ひざが痛い。
ふと振り返ると見惚れるようなお月様である。信号待ちでしばし鑑賞して最後の坂を登ると太陽が昇る方角が明るくなってきた。
今日も天気がよさそうであまり雲もないように思える。帰りついてしばし・・・ようやく大陽が昇ってきた。
暖房のスイッチを入れ、シャワーをしてコーヒーをいれ・・・・・・・繰り返しの毎日の今朝である。 

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■熊本藩の支配機構--8 「櫨方」

2014-12-07 07:23:16 | 史料

■御勘定方「櫨方」
一、櫨仕立之儀ハ 享保八年之冬御郡方根取江熊本町人綿屋忠三郎と申者ゟ内意之書付相達 為御試飽田郡春日村ニ薩摩苗をふせ候様被仰付 其苗を宇土・菊池・松尾・河内方ニ初
  て植付ケ 其後所々ニ植方ニ相成候事
一、延享元年 請込御役人致出来候事
一、同三年紙楮方被差止 櫨方御役所ニ相成 御蔵も櫨方ニ引渡ニ成 紙楮方御役人も櫨方御役人と役名改候事 此年前々ゟ御郡方ニて諸御郡江御仕立ニ相成居候櫨木柊木共ニ引譲
  ニ相成候事
      但 柊木ハ稀ニ相成 制法近年ハ不被仰付候 楮ハ今以無退転余計に仕立申候事
一、寛政二年四月 御城内北御門脇明地ニ櫨方御役所致出来 則今之櫨方ニて候 右役所前虎落出来 其内ニ櫨植方ニ相成候
一、宝暦二年九月 櫨方内ニて集銀仕立被仰付御吟味役両人請込被仰付候 御米銀建継御銀蔵建方有之候 其節櫨方ニ集居候銭五拾貫目余右御吟味役江引渡 外ニ大坂ニて生蝋御
  払之代銀 其外当用銀之内ともニ御勘定所ニ振替ニ相成居候分も追々引渡ニ相成候 御銀高ハ態ト記不申候事
一、同年ゟ人別銭上納 櫨方会所一統相納候様ニ被仰付候 其外諸御間古物御払等之代銀は凡て櫨方相納候様 且諸運上も右同断之処 古物代銀近年多クハ其局々にて集銀ニ
  加リ候
一、享保年中ゟ御仕立ニ相成候楮 宝暦五年御国中一統根帳出来候事
一、蝋■(扌に乄)所以前ハ町家請負二て生蝋も出来之所 宝暦御改正後 高橋蝋■(同左)所出来仕候 近年右之所ニて■(同左)メ足り不申 文化三年八代ニも■(同左)場出来被仰付
  候事
一、櫨方貸植之儀は前例無之 新規之儀ハ用意ニハ不仕候事
一、櫨方晒蝋之儀ハ 寛政二年十二月高橋町裏ニて町家受負制法被仰付候処 同八年塩屋町ニ御役人詰所出来 御手晒被仰付候 其後大坂生蝋之売捌方宜 晒蝋よりハ生蝋ニて大坂
   江被指登候方宜候間 享保四年ゟ晒蝋止方ニ相成 生蝋ニて大坂被差登候処 近年大坂生蝋売捌方不宜候間 文化七年八月ゟ晒蝋製法旧復仕 八代御用場・三丁目御用場ニて製
  方被仰付候事 

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