津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

安國寺訪問

2010-05-18 18:36:05 | 徒然
 「熊本史談会」の会員十名ほどで安國寺を訪問、貴重な資料を拝観させていただいた。

『歴史街道』平成七年三月号に掲載された桜田晋也氏の「明智光秀の新資料発見」を読み、ここ安國寺に三宅家(明智左馬之助系)から『明智系図』が納められていることを知った。ぜひとも拝見したいと念願していたが、今回その望みがかなえられいささか興奮しながらの数時間を過した。写真撮影などもお許しいただいたが、その公開についてはご相談申上げなければなならいと思っている。

 安國寺について「肥後國誌」は次のように記す。

禅宗洞家越後轉輪寺末寺也寺領五十石清正侯ノ時建立之青龍山弘眞寺ト號ス忠廣侯ノ時住持間断ス忠利君小倉御在城ノ時彼地ニ於テ安國寺御建立明巖梵徹住持ス其後寛永九年當國御入城ノ日梵徹當國ニ来ル忠利君即チ梵徹ヲ弘眞寺ニ住セシム此僧豊前ヨリ持来レル大般若經六百巻ヲ即此寺ニ納メ國家安平ノ祈祷處トシ領五十石御寄附且當寺永々修覆等ノ儀被命之山寺ノ號ヲ改メ泰平山安國寺ト穪ス(以下略)

 この開山梵徹が明智光秀の末子(ガラシャ夫人末弟)とされる。故を以て三宅家から『明智系図』が納められた。他にも「喜多村系 明智系図」が残されており、これについては意外な思いがした。

 その他幽齋・三齋・忠利・光尚四代の「直々拝領」の画像等も拝見を許可された。

 寺域には蒲生秀行供養塔を始め、肥後四戦役戦死者供養碑などがある。
家臣としては、沼田・朽木・續・溝口氏等や切支丹として有名な加賀山氏そのた多くのお墓があり、深く細川家とかかわりがあることをうかがわせている。忠利以降治年に至る藩主を祀る妙解寺(現・北岡自然公園)は道を挟んでお隣である。
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文章難解につき・・・

2010-05-18 17:00:40 | 徒然
 細川家譜も残り75ページほどになった。一回で15~6ページをタイピングしているので、韶邦譜-2回、護久譜-3回ほどで完了の予定だがこれからが大変で、本日は休憩せざるを得ない状況になってきた。明治に入ってからの文章がなかなか難解で、知らない熟語がやたらと登場するので辞書を片手にタイピングしている。始めてお目にかかるような文字がたくさん登場するし、筆者独特の崩しや当て字が有る。作業量が1/3程に落ち込んでしまった。年表と照らし合わせたり、時には別の資料を読んだりする事もあり今月一杯に終わればいいか・・と、いささか弱気になってきた。
「疲れた・・早く終わりたい」というのが正直な心境だ。
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