この日豊前に於いて、細川幽齋女千が亡くなっている。初め中納言中院通勝の四男・長岡與九郎孝以に嫁いだ。丸山左京(後・与左衛門)、嵯峨宗巴の母である。後、小笠原宮内長良に再嫁。法名恵雲院涼室理清、享年四十九歳。
綿考輯録は「民部少輔長之を生む」とするが明らかな間違いである。
長之は長良の長兄備前長光の子である。長良の次兄は切支丹として殉教した、小笠原玄也長定である
孝以の父中院通勝は、正親町天皇の勅勘をこうむり、天正八年(1580)から慶長四年(1599)まで、19年の長きにわたり丹後国舞鶴に配流され、細川幽齋の合力を得ている。そこで生まれたのであろう。そして孝以に長岡の姓を名乗らせるとともに、女・千を嫁がせたが、若くしてなくなったものと思われる。
幽齋-----+--忠興---忠利
|
+--興元
|
+--伊也
|
+--幸隆
|
中院通勝-----長岡孝以
| ∥----丸山左京・嵯峨宗巴
+--千(恵雲院)
| ∥----●田中又助室---継嗣なく断絶
| 三男 ∥
小笠原少斎----小笠原長良
|
+--孝之
|
+--蓮丸
|
+--加賀
|
+--栗
|
+--那仁伊
綿考輯録は「民部少輔長之を生む」とするが明らかな間違いである。
長之は長良の長兄備前長光の子である。長良の次兄は切支丹として殉教した、小笠原玄也長定である
孝以の父中院通勝は、正親町天皇の勅勘をこうむり、天正八年(1580)から慶長四年(1599)まで、19年の長きにわたり丹後国舞鶴に配流され、細川幽齋の合力を得ている。そこで生まれたのであろう。そして孝以に長岡の姓を名乗らせるとともに、女・千を嫁がせたが、若くしてなくなったものと思われる。
幽齋-----+--忠興---忠利
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+--興元
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+--伊也
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+--幸隆
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中院通勝-----長岡孝以
| ∥----丸山左京・嵯峨宗巴
+--千(恵雲院)
| ∥----●田中又助室---継嗣なく断絶
| 三男 ∥
小笠原少斎----小笠原長良
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+--孝之
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+--蓮丸
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+--加賀
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+--栗
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+--那仁伊