津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

分かったこと -2-

2004-09-20 23:35:00 | 歴史
 永禄十一年十月十六日足利義昭は、わずか七人の御供衆をつれて細川藤孝の
屋敷に入った。その前十四日、十五日は六条本国寺で過ごしている。
そして十八日義昭は将軍宣下を受けるのである。
その細川屋敷は「細川氏綱の屋敷跡」だそうな。(これが分かったこと)
翌年織田信長は義昭の為に御所の建設を始める。
そしてその庭にあった名石「藤戸石」を綾・錦で飾り立て、三・四千人の手によ
り新御所の庭に引き入れたという。
後に聚楽第に動かされ、後又秀吉の命により醍醐寺三宝院に運ばれた。
写真撮影が認められていないため姿かたちは窺い知れない。
コメント
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