ひとひらの雲

つれづれなるままに書き留めた気まぐれ日記です

江戸庶民の女たち

2019-09-15 19:00:44 | 日記

 台風が関東を直撃し、かなりの被害が出たようです。千葉県では停電や断水が続き、猛暑の中大変な思いをなさった方が多くいます。全面復旧にはまだ二週間ほどかかるそうで、一日も早い復旧が待たれます。東日本大震災以来、私も何より停電を恐れています。

 今回は電気のなかった時代、従って停電もなかった江戸時代の庶民の女たちについて考えてみたいと思います。まずは結婚についてですが、武家では「二夫にまみえず」といって再婚するのは大変でした。ところが、庶民の女たちは何度でも結婚しています。バツイチなんて少しも恥ずかしくありません。江戸の町は女性が少なかったので、「女性は二度以上結婚するように」とお上が奨励しているくらいですから、三度婚、四度婚…七度婚なども珍しくありませんでした。出戻りもOKで、何回帰ってきても大丈夫。浮世草子『世間娘気質』には二十七回結婚したという女性の記録があります。

東都本町弐丁目之景

 離婚するためには、まず夫から「三行半(みくだりはん)」をもぎ取らねばなりません。いわゆる離縁状ですが、これが再婚許可証になるわけです。大抵は「そのほう事、我等勝手に付きこの度離縁致し候」という文言がつきます。つまり「あなたに罪はないが、当方の勝手な事情によってお暇をあげます」ということで、「しかる上は向後(こうご)何方へ縁付き候とも差し構えこれ無く候」と続き、「誰と再婚しようと一切関知しない」ことが認められるわけです。離縁状を持たない女性が再婚すると、頭を剃って親元へ返されるということが幕府法で定められていました。夫の方も、妻に離縁状を渡さないまま再婚すると所払いの刑に処せられたので、渡す必要があったのです。ただ男性の場合、「女房に去られるなどロクでもない」という烙印を押されてしまい、なかなか再婚はできなかったようです。

 また、江戸では大抵の女性が持参金を持って結婚しました。離縁する時は、それをびた一文欠けずに返さなくてはなりません。家財道具もそうです。そんな事情もあって、大抵の夫は妻を大事にしました。庶民層では共稼ぎがほとんどなので、妻が寝転び、夫が釜の底を磨いている図など珍しくありません。式亭三馬(しきていさんば)の『浮世床(うきよどこ)』には、懐に赤ん坊を入れてあやしている男性が出てきますけれど、家事育児は手の空いた方がするのが当たり前でした。江戸の庶民男性は、料理上手とかマッサージ上手といった付加価値がないとなかなか結婚できないのです。上流階級にいくほど女性は「家」に縛られた存在でしたが、江戸庶民の女性たちは縛るものがありませんでしたから、男女が平等でよきパートナーだったんですね。

 勿論、遊郭へ売られた悲しい女たちもいましたが、長屋暮らしの庶民の女性たちに関しては、むしろ「かかあ天下」を楽しんだようです。それでも時にはどうしようもない亭主がいて、離縁したいと思ってもなかなか離縁してくれない、なんてこともありました。そんな時女性はまず家事をしない、浪費するなどして離縁を促します。それでも駄目な場合は髪を切って夫に投げつけます。切り髪のままでは家に置いておけないので、普通は三行半を書きます。が、それでも駄目な場合は「縁切り榎」に願をかけたり、関所や代官所に駆け込んだりします。そして最後の最後の手段として「駆け込み寺」があります。鎌倉の東慶寺(とうけいじ)の場合、二年間いると自然に離婚が成立しました。

 庶民には庶民の苦労もありましたけれど、たとえ貧しくても「かかあ天下」でいられた方が、武家の奥方より幸せだったのかもしれません。

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