ひとひらの雲

つれづれなるままに書き留めた気まぐれ日記です

令月にして風和ぐ

2019-04-14 18:35:27 | 日記

 前回の「起請文」は3月31日にアップしようとしたのですが、「通信エラー」となり、アップできませんでした。世はまさに新元号の発表に沸き、「令和」の文字がテレビ画面に躍っている最中、私は何とかアップしようと悪戦苦闘していました。少し遅れましたが、息子の助力でアップでき、ほっとしています。しかし今回からはアップロードの方法を変えなければならないので、少々不安です。技術的にいつまで続けられるかわかりませんが、出来る限り頑張っていきたいと思いますので、応援よろしくお願いします。

 さてその「令和」ですけれど、さんざん報道されましたように『万葉集』からとったものです。「梅花の歌三十二首 併(あは)せて序」とあるその序文からとったんですね。新潮日本古典集成の『万葉集』によれば、序文は次のようになっています。  「天平二年の正月の十三日に、帥老(そちのおきな)の宅(いへ)に萃(あつ)まりて、宴会を申(の)ぶ。時に、初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やはら)ぐ。梅は鏡前(けいぜん)の粉(ふん)を披(ひら)く、蘭は珮後(はいご)の香を薫(くゆ)らす。しかのみにあらず、……」

 まだまだ序文は続きますが、これくらいにしておきましょう。帥老(そちのおきな)というのは太宰の帥であった大伴旅人(おおとものたびと)のことで、この酒好きな人の家に集まって梅花の宴をやったわけです。梅の花見といってもよいでしょう。折しもいい月が出てるんですね。この当時、夜は現代のように明るくありませんから、月がなければ真っ暗です。月はライトアップと同じなんですね。そして気も澄み渡り、風もそよぐ程度。梅は鏡前の白粉(おしろい)のように咲き、蘭は匂い袋の香のように香っている。さらにさまざまな情趣が揃ったこの時にこそ歌を詠もうではないか。「よろしく園梅を賦(ふ)して、いささかに短詠(たんえい)を成すべし」というわけです。

 

 そこで三十二人が一人ずつ歌を詠んでいくのですが、ここに集まったのはどんな人たちかというと、まず太宰府の官人ですね。それから太宰府管内にあった日向・大隅・薩摩・壱岐・対馬の朝集使(ちょうしゅうし)たち、そして旅人の知人だったようです。朝集使はちょうどこの時、太宰府に来ていたんですね。冒頭は太宰府の次官であった大弐(だいに)紀卿(きのまへつきみ)の歌で始まります。「正月(むつき)立ち 春の来(きた)らば かくしこそ 梅を招(を)きつつ 楽しき終へめ」

 そして八首目にこの宴の主である大伴旅人の歌があります。「我が園に 梅の花散る ひさかたの 天(あめ)より雪の 流れ来るかも 」。梅の花を雪に見立てたわけですけれど、この時期に散るのはまだ早いようです。創作もあったんでしょうね。それにしても、まだまだ寒い時期のお花見。ダウンコートもない時代ですから、風流もなかなか大変です。

 旅人は酒好きで、お酒の歌も何首か残していますけれど、この頃はすっかり老い、奈良の都を恋しがっていたようです。三十二首の歌のあとに「員外、故郷を思ふ歌」として次のような歌があります。「雲に飛ぶ 薬食(は)むよは 都見ば いやしき我が身 またをちぬべし(薬なんか飲むより、奈良の都をひと目見たら、卑しい老いの身もまた若返るだろう)」。

 「令和」、年をとっても希望のもてる時代になるといいですね。

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