言いたい。
言いたい。
言いたい。
言いたい人が街を歩いている。
言いたい人が電車に乗っている。
言いたい人がオフィスビルに詰め込まれている。
誰彼となく言いたい。
言いたいは不安か不満か、自慢か自己確認か。
言いたくてたまらない。
街には「鬱憤」という名のエネルギーが充満している。
言いたい。
言いたい。
言いたい。
ところが言う相手がいない。
聴く人がいない。
耳さえあれば音は聞こえる。
でも、心の叫び声は聴こえない、聴き出せない。
聴くのは体力がいる。
頭を上下に動かすことがうなずくではない。
動かない眼。
いや、かすかに動くまばたき。
口元の動き。
もちろん視線。
すべてが「聴く」に通じる。
本当に相手の意見に同意するとき、
上半身の大きな筋肉が先に動き、
両肩の筋肉が動き、
顎をひくかっこうになり、
最後に頭が下がる。
これだけの運動をして、たった一回の「うなずく」が完成する。
「聴く」は全身運動。
そして、言葉を受け止めるだけの魂がいる。
「言うは易し、行うは難し」は昔の諺。
「言うは易し、聴くは難し」が今の都会。
聴けや人。
聴けや人。
せめて聞けや人
せめて聞けや人。