新庄嘉堂残日録

孫たち世代に語る建築論・デザインの本質
孫たち世代と一緒に考えたい謎に満ちた七世紀の古代史

斯界の通説・『運河』S D1901A その1

2022年07月06日 | 7世紀古代史論
 まずは「S D1901Aは藤原宮造営の木材を運んだ仮設運河である」という斯界の常識です。藤原宮第18次調査で初めて検出されたS D1901Aは、朱雀大路計画線の東側に沿って南北に500メートル以上検出され、それは藤原宮建設時の資材運搬のための運河であるということになっています。まずは次の表を見てください。

 これは、藤原宮宮域内で大溝S D1901Aが検出された発掘調査の全次数を拾い出した表です。回数にして9回、1976年から2015年まで実に足掛け40年。そしてこれが全てなのです。北は宮域を囲む大垣の外側(外周帯)から南は大極殿院南門直近の朝堂院朝庭まで朱雀大路計画線の東側に沿って運河と言われる大溝を600メートル近く検出しています(もちろん悉皆発掘ではなく、部分発掘です。それらひとつひとつを図上で繋いで一本の運河であると推測しているのです)。
 この表にはS D1901Aに対する発掘担当者の評価を当該次数の報告書(概要・年報・紀要)から抜粋して表示しています(カッコ内はわたくしの声です)。この大溝S D1901Aが「藤原宮建設のための運河である」と最初に発表されたのが第20次調査概要です(1978年)。そして、よくご覧になればお分かりの通り、以降、一度も再評価されることなく、そのままの状態でまかり通っていることがわかります。第20次調査以降ノーチェックなのです。この間、例えば湊哲夫のように、「運河」ではないと論文発表もされているのですが、取り上げられた形跡はありません。奈良文化財研究所の乾坤一擲、一発の見解表明で、あとは40年右へならえ!他人行儀に以下同文。これはどういうことでしょうか? まさかこの大溝遺構から「これは宮造営のための運河です」というような木簡が出土したわけでもありますまいに。(つづく)

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