新庄嘉堂残日録

孫たち世代に語る建築論・デザインの本質
孫たち世代と一緒に考えたい謎に満ちた七世紀の古代史

更新再開!

2022年07月06日 | 7世紀古代史論
更新再開!
木下正史の論理を三回に分けてお話ししましたが、その内容に齟齬はないか、ということについては、これが更新中断の理由だったのですが、なんとか理解してお話できているのではないかと思います。大丈夫、この調子で進めたいと思います。
この項を書いていて失礼のあったことに気がつきました。引用させていただいている木下正史をはじめ先輩諸先生方の敬称を略させていただいていることです。改めて、本ブログにおいては、引用させていただく著書、論文の著者・編者の敬称は、遠い師も近い師も全て略させていただきたいと思います。ご寛恕のほどお願いいたします。

さて、次回から何回かに分けて「ガチガチに凝り固まっている藤原京解釈」というテーマです。おとなしく言えば「斯界の通説」でしょうか。わたくしが気になる以下の項目などについて、拙著脱稿以降にわかってきた斯界の研究成果を含めて、順不同でお話ししましょう。

○ 先先行条坊は天武五年新城条に見える時代の痕跡である
○ 先行条坊は天武十一年新城条に見える時代の痕跡である
○ 大溝S D1901Aは藤原宮造営の木材を運んだ仮設運河である
○ 藤原宮の建物群は大宝令に基づく大改造を受けている

今やこれらはビクともしないガチガチに固まった通説となっているのです。通説です。しかし、本当なんでしょうか。おかしいなぁと思うところがいくつもあるのですが。まあ、論(アゲツラ)ってみたいと思います。斯界からひとつでも反論があればおもしろいのですが。

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