【公式】死神紫郎ホームページ

2018年より死神改め、死神紫郎(読み:しにがみ しろう)に改名。ギター弾き歌手。

「声明文」再開の巻。唐突だけに唐辛子のダイワ。

2014-11-30 00:00:00 | 声明文
担々麺を食べに出向く。

唐辛子の「ブッ殺すぞ!」という辛さに加えて、
ゴキブリコンビナートの芝居のタイトル拝借、
様々な香辛料で整えられた「ちょっぴりスパイシー」
みたいな要素が程好いバランスで共存している。

各種異なる刺激、
辛さの時限爆弾が
数秒差で仕掛けられているような、
そんな麺だと思う。

四川の人らは寒い地域に住んでいるから、
いかに体を温めるかを
頭の皮が剥けるくらい考えていただろうから、
その文化の一部を頂くと思うと味もヒトシオ。

それを汗をかきかき成敗する。
その充実感はセミの脱け殻を
50個集めたときの充実感に等しい。

二週に一度は担々麺を食べており、
中国人にならないかやや心配ではあるが、
今のところその気配はなさそうなので、
暫くは日本人でイラレそうだ。

行き付けの店でも特に常連扱いされることもなく、
黙々と食っては汗だくで帰る客の一人であったのだが、
先日は様子が違った。

スタジオ帰りにギターを背負って入店、
いつものように麺と定食になるよう
小ライスをオーダーすると、
厨房を往き来する店主が、
「あのギターの彼、未来のスターなんだ、
大盛りだ、大盛り!」
と飯をよそうアルバイトの娘にいいつけている。

この痩せ細った男が
スターを目指す貧乏歌手に見えたのだろう。

小ライスを追加するので精一杯、
可哀想にという塩梅であろう。

私はちょっとだけご飯が欲しかっただけなんだけど。

「ギターを背負っている」
それだけで「夢を持っている」
というイメージは分からなくはない。

人は、モノやカタチに様々なイメージ、
観念を持っている。

人は観念で生きているし、
観念が人を創っているとも言える。

だから、
そういうイメージで接するなという方が無理がある。
それが自然だと思う。

ありのままの私を見て!
ということ自体が非常に暴力的とも言える。

「レリゴー、ゴリラー!」
などとケツの穴の女王を見たあとに
映画館で歌い吠えた人々もなかなかに恐ろしい。

観念は液体みたいなもので絶えず流動している。
だから影響を受けやすい。
私は固定観念なんか無くて実は流動観念
(そういう言葉があるか知らないけど)
というべきものなんじゃないかと思っている。

固定観念から解放されたらそれは自由なのか?
果たしてそこから解放された人間は、
廃人なんじゃないのか?

そんなことを考えながら、
私は、この店主の心意気を食べている。

大盛りのご飯がなかなか減らない。

現実もまた人間を創っている。