【公式】死神紫郎ホームページ

2018年より死神改め、死神紫郎(読み:しにがみ しろう)に改名。ギター弾き歌手。

今週の声明文はお休みです。

2013-03-31 12:00:00 | お知らせ
ご了承ください。

いよいよ本日!死神ワンマン

2013-03-31 08:16:25 | お知らせ
受付で「チラシ見た」でも前売り扱いに致します。

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2013年



3月31日(日・昼)
新宿ジャム

死神 第4回単独(ワンマン)公演

「四度目の焼自棄」

開場12:00
開演12:30
(終演14:30予定)

前売券 無料*1+飲物代500円
当日券 2000円+飲物代500円

二部構成

第一部 ギター弾き語り
第二部 太鼓叩き語り
(途中休憩10~15分あり)

出演

死神

*1終演後ご納得いただいた方のみ
カンパをお願いします。
金銭、物どちらでも可です。

チラシ持参で前売り扱い可です。

ご予約はこちら


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迷路も道にすぎない、知るか知らぬかの差【25日・改定】

2013-03-24 19:53:58 | 声明文
強烈な閉塞感を感じている。

今回のはなかなか手強いようだ。
実にマイッタ、困った。

しかし一方、
これらピンチを楽しんでいる自分も居るので
決して暗い気持ちではない。

突き抜けるための助走
エネルギーの充填みたいなものだとも思っている。

それにこれだけ真面目に生きてりゃ
そりゃ行き詰まるわなと開き直っている部分もある。

今回のワンマンは20代の全てを費やしてきた
「死神」の集大成をお見せしたい。
人生は自己肯定の連続である、
そういう思いで、
「今」の私の全てをぶつけようと思う。

昨年ワンマンとは半分演目を入れ替え、
演奏時間も昨年より少し長くすることにした。

これは四度目の自棄(やけ)、
焼自棄(しょうじき)である。

というワンマンタイトルの種明かし。

これにやや関連しているのが、
私が2013年より名乗り出した別名義、
「死神紫郎」(しにがみしろう)
の活動である。

もともとは詩を書く際に、
世界観の住み分けのために
使用し始まったのがきっかけであるが、
まだ何色にも染まっていない
この新しい名前に、
トテツもない「広がり」を感じたため、
幅広く使うようになった。

錯覚かもしれない、
死神という活動からの現実逃避かもしれないが、
今なにかこの状況を打破する
きっかけになるかもしれないという、
自分の中に見出だした
唯一の希望のようなものである。

他人にすがらない、
自分にすがる、
自立型人間の発想だ。

他人にはただの迷走に映るだろう。

しかし私は
このジャングルのような迷路を
意識的、意図的にズンズン進み、
さまよい歩いてみようと思ったのだ。

迷路も知り尽くしてしまえば、
ただの道にすぎない。
「迷うこと」と「冒険」は紙一重だ。
自分の道にするか、
しないかの差である。

私は「冒険」を選んだ。

自らの全人間を賭けた放出ならば、
音楽、舞台に留まらず
なんでもかんでもやってみよう、
私の可能性の全てを試してみたい、
そういう気持ちでいる。

手始めにトークライブをやる。
「原始的」なライブの実践である。
楽器も歌もない喋りだけのライブである。

夏には詩集(詞ではなく「詩」)を出版する。
現代詩の世界に殴り込みをかける。

村社会化したライブハウスを抜け出して、
広い世界に、様々な人間に発信してみたい。

そういう気持ちでいる。

と言いながら、
まずは死神ワンマン。
これは見逃さずに見てほしい。

死神紫郎を始めたことで
死神にも表現の幅に広がりが
出てきているという自負がある。

このワンマンは「村」ではない、
「日本」も「世界」も
「宇宙」をも超越した、
あなたと私一対一の
エネルギーの交流である。

年に一度の死神ワンマン、
どうぞ宜しくお願い致します。

2・19の大森靖子さん企画のことを今更書く。どうだ投げやりなタイトルだろ?

2013-03-17 00:00:00 | 声明文
ワンマンがあと二週間後に迫っている。
迫っているのである。

さて今回は2/19の事。

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大森靖子さんの月例企画に誘われ、
高円寺は円盤に出演した。

大森さんの人気たるや凄まじく、
満席に加え立ち見も出る有り難い環境の中、
ツーマンというわけで先攻で出演。

この日頂いた尺が1時間以内。
じゃあ1時間マックスやります、
と組んだ演目は13曲と弾き語り最多。

初見の人々が多い中で1時間というのは、
観ている人にとって合わなければ拷問である。

また合う人にとっても、
私の音楽は弱音を多用するため
集中力を要し疲弊することは免れない。

一度でも集中力が切れたら最後、
元の集中の世界に戻ることは
なかなか難しい。

つまりはこれ、
細切れなリフレッシュが必要であろうと踏んで
採った方策というのが「MC」である。

かつて私は散々、
MCは無用!不用!表現逃避!
と批判していたわけであるが、
良いと思ったら過去の自分などとっとと蹴散らし、
良いと思った方を採用する。

根底が揺るがなければそれで良い。

意見や意思、
行動は常に「途上」にあるのである。

というわけで、
活動9年目にして初のMCを披露した。

MCを挟むと不思議なもので、
曲間で人々の肩が
フッと緩むのがよく分かる。

飲み物を飲める、
姿勢をちょっと変えることができる、
バッグをガサゴソできる、
首を回すことができる。

また、演っている手前自身の
リフレッシュにもなる。
(気合いを集中を再度入れ直すことができる。)

本編には触れない。
自分のライブレポートほど
つまらないものはないからだ。

お先に舞台を頂いたのち、
後攻、主催の大森靖子さんを観賞する。

強く優しく固く柔らかい存在が
身体に迫ってくる。

同じ女性シンガーソングライターとして
(恐らく)度々に引き合いに出されているであろう
青葉市子さんとは対象的だ。

市子さんの音楽は、
どこまでも「音楽的」なのに対し、
彼女の歌はどこまでも
「肉体的」なのだ。

ある種の暴力性を孕んでいる。
怒る人、涙する人、
立ち尽くす人、笑う人が
同時に居るそんな音楽だ。

彼女のアンチは恐らく多いだろう。
と思うと同時に、
彼女の中毒者は確実に多いだろう。

私は後者である。

不覚にも「さようなら」を聞くと
毎度目頭が熱くなってしまう。

「わたしからさようなら」
というこの一行、
誰でも知っている、誰でも使える、
こんな簡単な言葉が、
心を掴んで離さない。

「誰にでも分かる言葉で歌いたい」
彼女はそう言っていた。

彼女の言葉は魔法の≪よう≫である。



2月9日難波ベアーズの諸々 後編

2013-03-10 00:00:00 | 声明文
先週の続き

出番を終え、次の豊川座敷の雨敷を観る。
名前は知っていたが、
キマッて欲しいところで
バシッと決まるリズム隊に、
歌心のある中林キララさんのギターが絡み、
(あれだけの表現力があるから
オシリペンペンズのギターも弾けるのだろう)
感情の塊のようなボーカルが乗っかる
「上質」なサウンド。

その「上質」の上に
アンダーグラウンドさと
ポップさが同居しているのだから
悪質であり、下品である。

途中、疲労感から
めまいでぶっ倒れそうになるが、
この爆音の中で倒れてしまったら
随分と気持ちが良いだろうとも思った。

トリの例のKは、
初大阪公演ながら圧巻の盛り上がり。
調子良くいつもの例のKを
観せられたんじゃないかと思う。
どうだ、これが例のKなのだ!
と小鼻膨らむ思い。

終演後、
人々と新世界方面に向かい串カツを頂く。

前回の大阪のときは、
偽の串カツであった。

ソース二度づけ禁止の掟を守りながら食べるのが
格好良いと思って入店したにも関わらず、
渡されたソースは果たして
100均プラボトルタイプであった。

しかし今回は本物であり、
並々に注がれたソースバットが設置されており、
感慨は無量。

二度づけせぬよう念入りに
ソースをつけ喰らうこの緊張感、
掟を守りながら食べるこの感じ、
このカンジが食べたかったのである。

阿呆みたいに食らい続ければ朝の5時。
至近のスパワールドなる
健康ランドを宿代わりに入店。

皆はそのまま眠りに就くという中、
狩野氏、由美子氏と私は風呂場へ潜入。

由美子氏が男湯に居ると
人々が女性と見紛って振り返るのが面白い。

こんな美青年が他に居るだろうか、
私はゲイではないが、
由美子氏の「美しさ」には惚れ惚れとしてしまう。

まともに喋ったのはこの日が初めてであるが、
彼の持つ哲学、
ベースやバンドに対する熱意たるや凄まじく、
内面からの輝きが
外面をますます輝かせるのだろうと推測。
美の権化のである。

各種風呂を頂いた後は、
そこらへんにあるマッサージ椅子と
毛布を拝借し就寝。

が、体が痛く、2時間半で起床。

しかし気分は爽快である。
空いた風呂場で一人、
朝日を浴びながら湯を浴びる。

その後、精力的に館内徘徊、
岩盤浴を出入りするノーメイク婦人の観察、
朝日、読売、日経新聞一気読みなどするうち昼になり、
人々と飯を食うなどしまた風呂に入る。

指が陰曩のように皺皺になる。

夜まで堕落しきったのち、
梅田のインディアンカレーなる店で
ヒーハーした後、
例の人々は深夜バス、
新幹線で帰路につく、私はブルジョア。

なんてことはなく、
高銭を支払ってでも
バス酔いの危険性から逃れたかったのである。

以上、三半規管が幼児並みの私による、
幼児並みの遠征の報告、お粗末君。