【公式】死神紫郎ホームページ

2018年より死神改め、死神紫郎(読み:しにがみ しろう)に改名。ギター弾き歌手。

7・30演目紹介

2011-07-31 00:26:55 | お知らせ
ご来場、感謝。

いつもよりも長く、大きい拍手を頂いて、
調子に乗ってナガナガおじぎをしてしまった。

演目紹介

ギター弾き語り

1、人間団子
2、病は伝染る
3、夢から覚めない夢
4、水を飲んでも眠れやしない
5、自殺の唄
6、土砂詰まり口中
7、出生拒否中絶歌

アピアは出番が当日リハーサル後に決定するシステム。
嗚呼、ノスタルジー。
私の田舎もそういう風習だった。

昨年10月にオーディションに受かったが、
なかなか間合いが合わず、
一年近く経ってようやくの初出演、遅っ。

初出演の暗黙、一番目だと踏んでいたが、
三番目だった。

気分を三番目に設定して空き時間を過す。
新鮮な気分。

言葉をかみ締めながら歌った。

言葉というのは選ぶものだが、
選ばれるものでもあると思う。

次回、8月31日東高円寺二万電圧。

これが通算100回目の公演。
そしてキリよく活動8年目に突入す。

この記事をはてなブックマークに追加

詩学校にて 後編

2011-07-31 00:00:00 | 声明文
~先週の続き~


そして背負っているものがいったいなにか?
日々自分は一体何を考え続けているのか?

そういう所も明確にしていく。
もっと自分を分析していく。

そうすれば自然と自信がついてくる。
もっと大きな世界が拓けてくるぞ。
な、やってみろ。いいぞ。



と感想を言ったのち、
具体的に句読点や感嘆符の付け方の指導や、
間合いの取り方、
想像力の飛躍のさせ方、
緩急つけ方などのアドバイスをもらう。


最初の「素晴らしい」の一言に、
私には実は詩の才能があったのかと錯覚したが、
そうではなく、
後から他の生徒への指導を見ていて分かったことだが、
寛さんは頭ごなしに批判せず、
人(詩)の存在・世界をまず認めて、
アドバイスをする方針のようだ。

それじゃレベルも上がらないじゃないかと思ったが、
上級者に出すお題は難しく、
本人に考えさせ、
ウンウン唸らせて書かせている。

アドバイスもヒントに近く、
兎に角自分で考えて考えさせる。

初心者は「花」とか想像しやすい、
飛躍させやすいお題を出すが上級者ともなると
「空を飛ぶ桃色のバスタブ」
などというイメージしにくいお題を出す。
(試しに挑戦してみたが愚作もいいとこ。)

2時間があっという間に過ぎた。
3作書いた。
もっと書きたかった。

そしてそのままの流れで、
小料理屋で食事会となり、
私は寛さんに、
詞と詩の違いについて訊ねてみた。

曰く、

「詞」は歌詞という風な使われ方をするように、
音楽(メロディー、リズム、ハーモニー)や、
肉体、声を伴って完結させる世界で、
「詩」は紙の中で、文字だけで完結させる世界。
文字だけでリズムもメロディーもハーモニーも肉体も声も出す。
それが「詩」の世界。

また観念的な違いもある。

「詞」は言(いう)に司(つかさどる)と書く。
神社的要素がある。

祝詞(のりと、しゅくし)
=神官が神前に捧げる言葉

という意味にあるように、
「詞」とつく言葉は、
社会に捧げるものという意味合いがある。

自らが得てきたものを社会に還す。
世間に対する義理を含んでいる。

「詞」は自分の声。
外へ向かう世界。


「詩」は言う(いう)に寺(てら)と書く。
文字そのままに寺的要素がある。

寺の坊主は修行し自分と向き合う、
自分を見つめる。
修行は自分の戦い。
内面へ内面へと向かう世界。
内側からのさらけ出し、
自我、自身の世界の放出。

以上、メモした紙から文に起こしてみたが、
何か伝わっただろうか。

私自身分かったような分かっていないような。
ということはやはり分かっていないのだが、
分かっていないと思ったときよりかは、
少し分かったような気がする。


詞と詩の違いは深い。



詞と詩と私と死は親戚かもしれない。






この記事をはてなブックマークに追加

※追記あり/予約フォーム不具合修正しました。※ 7月24日演目紹介+次回公演のお知らせ

2011-07-25 20:23:43 | お知らせ
*********************追記*************************

予約フォームの表示の一部にエラーがありましたが、
本日修正いたしました。(※7月29日追記)


**************************************************


7・24死神演目紹介

久々の太鼓叩き語り

1、粘土遊び
2、二足、影絵踏み
3、血しぶき刺身
4、案山子

以上。

劇団廻天百眼の関係の人々が、
あちこちのグループで参加していたが、
個人個人の能力というか、
存在感というか、
「なんかやってやる!」
という強い気持ちが伝わってくる。

凄く好きだ。

あざらしも2年前にアースダムで見て以来だったが、
見事に新生「あざらし」だった。
近年あまりライブをやっていないようだったから、
どうなのだろう?と勘繰っていたが、
いざ演奏が始まればグイグイ惹き込まれ、
終わる頃には疑念なんか完全に吹き飛んでいた。

メグさんの歌はそういうものを「歌」で吹き飛ばしてくれる。
良い歌手は掲示板やブログやらツイッタなんかではなく、
歌で説得させ、歌で黙らせてしまう。

料理人は料理を出すしかないのだ。


*******************************************************

次回公演のお知らせ

7月30日(土)
碑文谷アピア40

『歌激スペシャル
~歌激か歌劇か歌撃だ!~』

開場18時30分
開演19時

前売・当日共通

1500円+飲物代

他の出演

高井つよし
山口ノブヒロ
野良犬太郎

死神の出番:当日決定
(たぶん1番目)

演目はギター弾き語り。


この記事をはてなブックマークに追加

詩学校にて 前編

2011-07-24 00:00:00 | 声明文
4月から月に1度、三上寛さんの詩学校に通っている。
詞ではなくて詩。

その詞と詩の区別すらよくついていない段階で、
詩学校を主宰している人と知り合ったことが縁で、
参加を決めてしまった。

興味を少しでも持ったなら、
思い切って飛び込んでみようと思った。

読んだことのある詩集といったら、
餓鬼の頃に読まされた星野富弘、
大人になって読んだのは町田康、
中原中也くらいしかない。

私はメンヘラのなんの情景も浮かばない、
無意味かつ言葉をテキトーに並べただけの、
インチキ散文詩が嫌いで、
現代詩とかああいう類いのものを毛嫌いしていた。

参加初日、詩とは一体なんだろうか?
と思いながら指定された西荻窪の小料理屋に入る。

寛さんが居る。
歌っていない寛さんが。

宜しくお願いします。
と言って席につく。

10人くらい集まり、
詩学校は始まった。

目の前に用意された専用の原稿用紙と鉛筆、消しゴム。

ザ・アナログ。

事前に携帯、電子辞典不可とあったため、
辞典を持参した。

まず、寛さんが一人一人に合わせて、
お題を出す。

初回の人には「花」というお題が出され、

「花が咲いていた
(~5行位~この間を埋めよ)
こんなにも哀しく
(~5行位~この間を埋めよ)
花が咲いていた」

それができたらもう一度、
「花」というお題で自由に書く。

それができたら今度は、
全く別な(私のレベルに合った)お題を貰い、
ここからは全て自由に書いていく。

他の慣れている人々は、
皆面白そうなお題を貰っていた。

原稿用紙の使い方もろくに分からないので教わる。
分からないことが分かる、嬉しい。

鉛筆で書くことが、
消しゴムで消すことが、
楽しく、そして懐かしい。

夢中になって40~50分ほど、
書いては消して書いては消してを繰り返し、
漸く形になったところで、
寛さんに作品を見せに行く。

うわっひでぇなと言われやしないかと
ビクビクしていたが、

私の詩を見て寛さんは一言
「素晴らしい」と呟いたのち、
こう続けた。
(覚えいる範囲で書く、
一部私の誤解、解釈を含んでいる。)



いいぞ、死神。
世界がある。
あと数年頑張れば詩集を出せるぞ。

でも読むと分かるんだよな。

今、自信がないだろ?

自信がないということは、
自分を突き動かしている
「なにか」が分かっていない、
そういうことなんだな。

その「なにか」というのは、
「人」かもしれないし、
「物」かもしれない、
「観念」もっと違うものかもしれない。

歌だってそうだ。

自分の意思や力で
歌っているだなんて思っちゃいけない。

いつでも「なにか」に突き動かされているんだ。



翌週へ続く

この記事をはてなブックマークに追加

不運とは手前が引き寄せたクジの景品

2011-07-17 00:00:00 | 声明文
ついてない。

非常に私はツイてない。

トマトを買いに行けば売り切れ、
阿佐ヶ谷まで自転車を走らせればパンクし、
すそあげをしてもらえば他人のものと間違われ、
道を歩けば赤信号。

本当にツイてない。
損ばかりしている。

最近それを凄く実感しているというのも、
というのも5月末。

小遣い支給日。

私は労働後、スーパーに出向き、
肉、野菜、調味料などを購入した。

帰宅後、自ら褒美の馳走を拵え、喰らい、豚満足。

さて、残りの小遣いがどれくらいか把握しなきゃと、
銭勘定を始めたのだが、
これがどうにも合わない。

4000円も合わないのだから困った。

貰ったばかりの小遣いだけに算段の狂いようがない。

しかし私が寄った店はスーパーしかない。

財布の中でゴミ化していたレシートを引っ張り出し、
確認すると、
預り1000円、代金8XX円とある。

やられた!

どうやら5000円と1000円を間違われてしまったらしい。

確か小銭の持ち合わせがなく、
5000円と端数分の小銭を支払った。

そうだ、私は小銭のお釣りだけしかもらっていない。

そうだ京都にいこう。

ではない。

スーパーに確認しよう。

と電話を掛けるが、
誰も出やしない。

閉店時間をとっくに過ぎてる。
ツイてない。


翌朝いつもより30分早く起床。

恐らくあなたの店のレジスターに4000円多く入っている。
##番レジの〆時の過不足金額をご確認願いたい。
と電話すると、
確認しますとの回答。

私は労働中、4000円、4000円、4000円と、
4000円のことばかり考えていて、
ちっとも手につかなかった。

お昼休みに携帯電話機を確認すると、
留守電が1件。

ふざけてるんじゃないかという位に丁寧なおばちゃんから、
謝罪のメッセージが入っていた。
家までお届けに上がりますと言っている。

私は直ぐ様この丁寧おばちゃんに折り返し、
そのようなことはしなくて結構。
こちらもうっかりしていていたので今日取りに伺います。
と言い一安心。

労働後、スーパーに出向き、
件のおばちゃんを呼び出すと、
売れない昼ドラ主婦役を思わせる大袈裟なアクションと表情で、
「大変申し訳ありませんでした~。ヒェ~。」
とおばちゃん劇場が始まってしまった。

私は「いいんです、気にしていませんから。」
と言うと、
サクランボの入った袋を押し付けヒェ~とやってくるので、
「じゃあ、はい、どうも。頂きます。では。」
とおばちゃん劇場を振り切り4000円と共に無事生還した。

その数日後。

今度はコンビニでお釣りを100円もらえなかった。


(※防犯カメラを確認してもらい、
その場で店員のミスと判明。)


本当ツイてない。

この記事をはてなブックマークに追加