【公式】死神紫郎ホームページ

2018年より死神改め、死神紫郎(読み:しにがみ しろう)に改名。ギター弾き歌手。

空気を読める人類の恐怖

2009-10-25 00:00:00 | 声明文

人々に私の印象を問えば、
山に住んでそうだとか、
滝に打たれていそうだとか、
合気道やってそうだとか、
などなど、
随分とまあ立派な印象を持たれているようだ。

これは決して謙遜ではなく、
山に住めばおそらく、
スタジオ、整骨院、コンビニエンスストア、
クリーニング屋、西友、
本屋、長崎屋がないことに癇癪を起こし、
暑いだの、寒いだの、不便だ、
不便だと文句を垂れ続けるにちがいない。

滝に打たれれば、2秒で諦め、
さむいさむいと、
陸に上がってしまう自信がある。

合気道なんていうのは、
いわゆる相手の間合いを読みかつ、
利用しなければ成立しない武術なわけだから、
未だ自らの間合いすら読めず、
翻弄され、舞台で往生している人間には、
いささか難しい気がする。

とはいえ、小生、
たった一度だけだが、
完全に間合いを見切ったことがある。

いったい何の間合いかと問われれば、
ずはりまあ剣道。

小学校6年間、
がりがりのやせっぽちが、
きええと竹刀を振りまわしてした。

腕力の無さを素早さで補い、
体力の無さを意表をつく騙し技で補い、
早めに勝負を決める。
そんな姑息な餓鬼。

道場内で年に1度きりの、
なんだかの代表を決める云々の試合で、
まあ偶然にもすいすいと勝ち進んで、
やぁ5年目にして漸く花開いたなと、
あと2人叩けばと感慨にふけっていると、
次の相手の名を見て眉間に皺。

私と体型も近く、
似たような戦い方をする、
大変苦手な餓鬼だったからだ。

似た者同士が戦えば、
出方も引き方もそりゃあ似る。

んで、互いに同じ戦法、
一歩も譲らぬことに徐々に苛立ち、
相手を負かしてやりたい、
叩きのめしてやりたい、
真似すんな馬鹿とますますムキになって、
もちゃもちゃした芋みたいな試合になり、
体力もないからあっと言う間にヘトヘトに困憊し、
とりあえず一歩ずつ、
サッと後退ったその時。

見えたのは。

相手の眼球、
正確には眼球の奥底の部分のみが、
僅かにだけどブルッと震えた(下がった)。
と思ったら、
それと同時に空間がブルッと歪んだ。

へぇ、あーこれが例の間合いってやつかと、
熟練した大人はこれが見えるのかと、
ほんの一瞬にも関わらずそんな呑気なことを思い、
竹刀を軽くひょいとやったら、
呆気なく決まってしまった。

勝った喜びよりも、
あの空間のブルッというやつを見た、
間合いというものを
はっきりとした形で見たという驚きで、
暫し茫然として、
これが意識的に見えれば、
もう無敵だなあとも思った。

そして翌日から、
あの間合いのブルッてやつが現れるのを、
ひたすら待ち続けてみたが、
現れることなく、
無常にも月日は流れ十数年。

世の中は空気を読める、
間合いを読める達人、天才達にあふれかえり、
空気や間合いを読めない凡人には、
大変生きにくい社会が形成されてしまった。

そして私は空間も間合いも読めないまま、
うっかり成人してしまい、
KY、ケーワイ。
即ち「空気読めない」と世間から罵られ、
絶えず周りの人たちから、
「個人主義者」、「わがまま」、
「ひねくれもの」と迫害されながら、
生きてゆくはめになってしまった。

そしてこの広げすぎた話の終え方すら、
完全に困り果て、
もはやどうしようもなくなってしまっているため、
突然にして話を釈迦にする。


と、終わり方まで、間が悪い。




卵の羞恥

2009-10-18 00:00:00 | 声明文
私は幼少の時に、
「馬鹿」という言葉を知る前に、
感覚的に馬鹿というか間抜けだな、
滑稽だなと感じた存在が2つある。

・味噌汁に浮いた葱の輪切り
・卵

この2つだ。

今は好んでよく口にするものの、
当時はあまり好きではなかった。

羞恥の心が芽生え始めた5、6歳のころには、
これらの食物を食うことが恥ずかしく、
ダサく、格好悪く、人にばれたくなかった。

特に卵を旨そうに食うやつは皆、
馬鹿みたいに見えたし、
見ているこちらが恥ずかしかった。


葱の輪切りの馬鹿さ、
という感覚はすんなり解明したので説明すると、

残り少なとなった、
鍋底の味噌汁をかき集めるときに、
おたまと鍋がぶつかり発生する、
「くゎぁん」
というあの音が震源にある。

そしてその鍋の「くゎぁん」と、
余った味噌汁に浮遊する葱の輪切りの、
「ポーっ」とした軽い雰囲気、
波長、塩梅などが合致し、
更にその馬鹿馬鹿しさが倍増、
間抜け極まり、
より恥ずかしい気持ちにさせられる。

許せなかった。

更に葱の輪切りは、
サザエ家の終わりの歌のときに流れる映像の、
煙突から出る煙の輪っかを連想させ、
私を大変苛立たせた。

また、曲の最後の最後の締めの、
太鼓の「カンッ」てやつが、
また鍋の「くゎぁん」を連想させて、
怒りや羞恥を再燃、増幅させる。

怒りと羞恥の歌。

で、一番の謎は卵だ。

どうしてこんなに馬鹿みたいだと感じていたのか?
どうしてこんなに恥ずかしい存在だったのか?
どのように調理しても、
馬鹿みたいだ、
恥ずかしいと心の底からそう思っていた。

昼に目玉焼きを食べ、
口の周りに黄身を付着させたまま近所をうろつき、
とある餓鬼に、
「あっ口の周りに卵ついてる」
と指摘され必死に、
「違う、違う違う」
と嘘を吐き、
卵を食べたという事実を抹殺したくらいなのだから、
何か深い理由があるにちがいない。

と、考えに考えてみたものの、
何故だか本当にわからない。
全く説明ができない。

「卵は馬鹿、恥ずかしい」
としか説明ができない。

秋の夜長に、思考の土砂詰まり。

敬愛する組織暴力幼稚園の曲に
「自分で自分がわからない」というのがあるが、
まさに自分で自分が分からない。

たかが卵。
されど卵か。
卵、卵、卵。
卵のるつぼ。

嗚呼、意味が分からない。







紹介記事の知らせ

2009-10-12 13:03:09 | お知らせ
昨日はご来場有難う御座いました。

まだ遊び足りない。
そして様々なものが足りない。

まだ足りない、足りないと、
自由な身体は言う。
そうこうするうち、
自由にがんじがらめにされて不自由になる。

お知らせ

新作DVD-R「死神私葬映像集」が、
取り扱い店の、
エレクトレコードにて紹介されました。

興味がある方は、
どうぞ以下をご覧ください。

と、短い知らせ。




六畳間にて舞う

2009-10-11 00:02:04 | 声明文
9月末。

来年の単独公演、
「自縛自爆、血しぶき刺身」
に向けて、
写真撮影を行う。

何かこう節目というか、
制作を始める区切り、
意気込みとして、
写真を撮っておきたかった。

撮っておきたかったので、
撮ろうと思い立ち、
(何かしたいなら、
今すぐするべきだと思う)

そう、まさに思い立ったが吉日と、
最も信頼する写真家、
名鹿祥史氏に依頼したところ、
快諾してもらえ早々に実現と相成る。

(名鹿氏は、
私の写真を何度も撮ってくれている。
空間全体を丸ごとくり貫いたような
そんなん作風が心地よく。

過去の死神企画の写真を見たい人などは、
氏のホームページの、
「ライブ写真・イベント写真」や、
「伝説のライブ・伝説のイベント・伝説の舞台」から、
探してみると良いと思います。
http://www.geocities.jp/ondaatjebookers/)

我が家の6畳の居間に
ビニルシートを貼り、
真っ暗い部屋に照明を一つ灯し、
ふすまを背景に舞い踊る。

無言の緊張感の中、
撮る側と撮られる側の、
間合いのやりとり。
これが実に面白い。

西友で購入した398円のお刺身を
我が身体に盛り付け、
血のりにまみれたり、
うどんを腹のあたりで炸裂させたり、
白菊の花を弄んだりと、

近所の人がみたら、
間違いなく、
回覧板を回してもらえなくなるであろう、
そんな写真を撮りまくった。
正確には撮られまくった。

完成品はまた後日、
近日公開ってことなんだが、
なかなかの充実感と疲労感。

そして洗っても洗っても、
肩のあたり、刺身の残り香。

で、ふと思い出したのが、
我が人生の数々の行事、
卒園式、入学式、成人式、
お正月、あとどっかの出先での写真
まあその類いの写真、

どれもこれも嫌だったなということで、
まあそういう写真を撮られるときは、
もれなく、まんべんなく、
気まずく面倒臭く辛い。

で何故嫌かと自問するのだが、
「正しい顔」を作らねばならないという強迫と、
決して目を閉じてはいけないという強迫、
この2つが苦しいことこの上ない。

で、苦しいから
ますます自然な「笑顔」から遠ざかり、
更に目を閉じてはいけないわけだから、
目が歪んだまま固着し、
口が不自然な「ム」の字に形成され、
不気味な写真が納品され愕然とする。

そして数年後、
それを再び閲覧して愕然とする。

で、また忘れた頃にそれを再び閲覧して、
三度愕然とする。

で、死んだ後に、
遺品整理の業者の人間がそれを見て愕然とする。
はず。



本日は新宿ウルガにて公演。
ご来場お待ちしております。

適当ってあんた

2009-10-04 02:27:52 | 声明文
一生懸命生きても死ぬし、
適当に生きても死ぬんです。

いずれは。

じゃあ結局死ぬのに、
なんで一生懸命生きようとするかというと、
それは適当に生きると、
不快なことが盛りだくさんで、
生きている間中、
苦しい思いをしなければならないわけで、

分かりやすくいえば、
適当に生きようとして働かなければ、
ひもじい思いをしたり、
家が借りられず寒い思いをしたりと、
大変辛く、苦しい。

また、適当適当とか言って
何もせず酒ばかりのんでたり、
偏った飯ばかり食っていたら
心も体も病気になり、

頭を使うと面倒だからと、
人々の言うことに、
はいはいと許諾ばかりしていたら、
たちまち借金の保証人、詐欺、
新聞の勧誘、訪問販売、創価等により、
生活は無茶苦茶になるだろう。

それは嫌なので頭を使って一生懸命生きて、
なるべく不快を潰し、
快をより多く得ようとしているのだと思う。

まあそれでもいずれ死ぬんだが、
私も生きている間は、
なるべく楽しく過ごしたいから
一生懸命に、真剣に、
苦しい思いをしつつも数々の不快を潰し、
より多くの快を得ようと企み、
生活している。

と努力精進しているのだが、
苦しいばかりで心なしか快が少ない。



次回公演

詳細が漸く判明。

10月11日(日)
新宿ウルガ

新宿ウルガ企画
「骨になる」

開場18時
開演18時30分

前売1500円+飲代
当日1800円+飲代

他の出演

遊生解
吉原炎上
Musu Bore
ゴキブリコンビナート

死神の出番は5番目
(21時10分から21時40分まで)

前売予約受付中