先日短いニュースながら、米作家J.D.サリンジャーの訃報を伝えていた。
アメリカでは1951年の発表以後、高校生や若者の必読書になっていたと言う、
「ライ麦畑でつかまえて」(Catcher in the Rye)は、
私も遅れ馳せながら、19か20歳の頃(今から17年も前だね)に初めて読み、
うまく言葉には出来ないながらも、
感じやすかった私の心に深く切なく主人公の言動が共感と共に焼きついたのを憶えている。
その後もより深く理解したくて、再読、再々読を繰り返した。
最後に読み返したのは31か2の歳だったと思う。
でもその時にはエンディングまで読みきることが出来ずに本を置いた。
それはストーリーを憶え切っているとかの理由ではなくて、
それなりに私も成長し、共感を覚える所が少なくなったからだと思う。
その成長、変化が善いものなのか、悪いものかは分からないけれど、
初読した年齢から私も色々なコトを経験し、
様々の決断、取捨選択をして、
どうにかこうにか生きるということを消化吸収してきた結果だと思い、
最近は割りと前向きに受け止めている。
訃報に接してなにかを誰かに伝えたいと思ったわけではないけれど、
私の若き日の人生の指標の一つとなった作品の作者が亡くなられたということで、
私なりの哀悼の気分を表現したかっただけカナ
安らかに眠って下さい。
アメリカでは1951年の発表以後、高校生や若者の必読書になっていたと言う、
「ライ麦畑でつかまえて」(Catcher in the Rye)は、
私も遅れ馳せながら、19か20歳の頃(今から17年も前だね)に初めて読み、
うまく言葉には出来ないながらも、
感じやすかった私の心に深く切なく主人公の言動が共感と共に焼きついたのを憶えている。
その後もより深く理解したくて、再読、再々読を繰り返した。
最後に読み返したのは31か2の歳だったと思う。
でもその時にはエンディングまで読みきることが出来ずに本を置いた。
それはストーリーを憶え切っているとかの理由ではなくて、
それなりに私も成長し、共感を覚える所が少なくなったからだと思う。
その成長、変化が善いものなのか、悪いものかは分からないけれど、
初読した年齢から私も色々なコトを経験し、
様々の決断、取捨選択をして、
どうにかこうにか生きるということを消化吸収してきた結果だと思い、
最近は割りと前向きに受け止めている。
訃報に接してなにかを誰かに伝えたいと思ったわけではないけれど、
私の若き日の人生の指標の一つとなった作品の作者が亡くなられたということで、
私なりの哀悼の気分を表現したかっただけカナ
安らかに眠って下さい。
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