「『茶漬えんま』の悲哀」(3)
(枝雀:なんてこの男がさて窓口へこの書類を提出しまして、「こちらでございます」言われますというと、「極楽行き」というような大きな額があがっておりまして、その下にいわゆるドアがあるのでございます。そのドアを開けて中へ入りますというと、さて別世界でございます。真っ暗でございまして、なぜか真っ暗でございますのに、前にこう石段のようなものが見えるのでございます。それをば一段一段、一段一段こう上ってまいりますというと、追々と明るくなってまいりまして、遂には山頂へ到着をいたしますというと、「極楽浄土」という結構な額があがっております。山門のようなものがございます。一方、内側へ入りますというと、まず目につきますのが七層の大楼閣でございます。金、銀、瑠璃(ルリ)、玻璃(ハリ)、赤珠(シャクシ)、車渠(シャコ)、瑪瑙(メノウ)という七宝(しっぽう)の大楼閣。これを映しておりますのが「七宝の池」と申しまして、いわゆる蓮池(はすいけ)でございますね。大輪の蓮の花がポカッポカッポカッと浮いているのでございますが、朱塗りの回廊がこう張巡らされておりまして、あーらもう下の砂はキラキラキラキラ光っておりますが、空はあくまでも晴渡り、名も知らぬ鳥が歌い舞い踊っているのでございます。曼荼羅華(まんだらけ)の花がハラハラハラハラ(笑)散っているのでございますが、いずかたよりかはこのー楽の音が聞えてまいります)<ごくらくじょーーどーーー>
(留五郎)わあー、来たー! 極楽やー! ほーらまた結構なとこやなー。ほんに静かやなー。なんにも聞えへんがな、へぇー。えーお天気やなー。玉砂利がキラキラキラキラ光って・・・。ほんまに人おらんなー。ははぁー、あんなとこに一人ポツンといてるね、日向(ひなた)ぼっこしてポカーッと。はぁーはー、あそこにも一人。へぇーっ、よっぽどええことした人やないとこっち来られんのやろなー。おもろいとこや。
いたっ、あいたー! えらい、すんまへん。あんた、ここに座ってはんの知りませんで、キョロキョロしてましたんで。
(極楽の住人)大きな声出しなさんな。大きな声を出すと、地獄へやられますよ。
えらい、すんまへん。あんた、ここにお座りになってたの知りませんでして、すんまへんでした。あの、足パッと踏みまして、痛おましたやろ。すんまへんでした。
あなた、極楽はまだ素人(しろうと)ですね。(笑)
いや、素人ですねって、私今来たとこですわ。
ああ、そうでしょう。だから、そういう誤った言動をする。あなたが私の足を踏んだからといって、謝ることはありませんよ。
なんでですか?
極楽にはもう「あなた」も「私」もない。私はあなた、あなたは私。イケイケですからな。えーっ、あなたとか私とかという「個」というものがあるのは娑婆におる時だけの話です。極楽へ来ると、私もあなたもありません。私は私、あなたも私、あなたも私、あなたもあなた。お分りですか?(笑)
どぅーいうことですか、それは?(笑)
じゃから、おまえさんが私の足を踏んだと思うから、謝っておられる、ね。そうじゃーない。いわば、あなたがあなた自身の足を踏んだようなものです。私もあなたなのですから。分りますか? あなたがあなたの足を踏んだ。言い換えると、私が私の足を踏んだようなものです。私は私、あなたも私、あなたはあなた、私もあなたですから。お分りですか?(笑)
どぅーいうことですか?(笑)
分らぬ人ですな。早い話が<パシッ!>
痛々っ! 何するんです?
怒るというのがおかしいぞ。あなたは私があなたを叩いたと思うから悔しいとかいう気持ちが起って、怒るということが・・・。そうじゃーない。あなたは私なんですよ。だから、私が私を叩いたようなもんです。いや、あなたがあなたを叩いたとも言えるんですよ。あなたはあなた、あなたは私、私はあなた、あなたは私ですよ。お分かりですか?
どぅっ、どぅーいうことですか?(大笑)
分らん人じゃな。おまえさんの胸を<ドーン>
あんた、何しまんねん、あなた。
怒るというのがおかしいぞ。私があなたの胸を突いたのではない。私が私の胸を突いたようなものだ。えー、またあなたがあなたの胸を突いたとも言える。あなたは私、私はあなた(笑)、あなたはあなた、私は私じゃ。お分りか?
どどっ、どぅっ、どぅーいうことですか?(大笑)
ここに金属バットがある。(大笑)
よーあんなアホなこと言いやがったぜ、ほんまに。おらー、あいつの足踏んだだけやがな。遂には、金属バットでどつかれそうになてもうた。(笑)どうもならんでー。よほどのことしてー、油断も隙(すき)もないがな。
あーっ、向うで釣りしてる人があるなー。
こんにちは。えーお天気ですね、こんにちは。
(お釈迦さん)良いお天気ですな。
へぇー、釣りですか。釣れますか?
うーん、あまり釣れぬな。
へぇ、糸は何(なん)です? あの、餌(えさ)は何です?
糸は蜘蛛(くも)の糸じゃ。餌はなし。
餌なし。蜘蛛の糸で釣って・・・。あっ、あんさん、ひょっと間違うたら堪忍(かんにん)しておくれはれ。お釈迦さんとちがいますか。
私を釈迦とお分りか。ある時は・・・。
何を言うてんねん。(笑)なにが、ある時は・・・って。お釈迦さんでしょ。
そうじゃ、お釈迦じゃが、ある時は・・・じゃ、ぅん。(笑)
なんでんや、あんた、えっ。そいで、釣りは何釣ってまんねん?
亡者を釣っておる。
亡者を。
そうじゃ、この蓮池の真ー下が「血の池地獄」じゃ。この蜘蛛の糸をつたって、亡者どもが極楽へ来ようとして、ドンドンドンドン上ってくるがな。はぁーっ、九割九分の所まで来ると必ず、自身の罪の重さでプチッとこの糸が切れますな。また糸を換えて、えー釣りを垂れる。亡者がドンドン上ってくる。九割九分の所まで来ると、プチッと糸が切れる。それを見ているのが楽しくてなぁ・・・。
悪い人だんな、あんた。(笑)人の苦しむのを見て・・・。
そういうわけじゃーない。自然(じねん)と己(おの)が罪の重さで切れるで仕方がない。自業自得(じごうじとく)というものじゃ。またな、地獄に落ちたとゆっても、そうなんじゃーぞ。えーえーっ、気をかけてやることもありゃーせん。地獄は地獄で楽しそうにやっておるぞ。見てみなさい。血の池地獄はすっかり浄化されてな。今は広い広い、きれーな湖になっておる。琵琶湖のようなものじゃ。そこへみんな、屋形船をしつらえて、ドンチャン騒ぎや。あーら、楽しそうにやっておる。「針の山」はきれいに針が刈取られてしまってな、今はゴルフ場となっておる。(笑)あーぁ、あのーうーん、温泉宿なぞがたくさんに立並んでな、みな楽しそうにやっておる。
へぇ、えらいもんでんな。ほな、地獄やおまへん、極楽ですな。
いやー、あれが本当の地獄じゃぞ。
なんで?
そうじゃーないか。楽しいことをいつまでも追続けなければならぬ。楽しさというものはな、これは今日よりは明日(あす)、明日よりは明後日(あさって)と、より刺激の強いものを求めなければ楽しみとして感じることができないのでな。今日よりは明日、明日よりは明後日、明後日よりは明々後日(しあさって)と、どこまでもどこまでも楽しいことを追続けなければならない。あれが本当の無間地獄(むげんじごく)じゃ。
えらいもんでんな。いや、そりゃ、それはそうか分りまへんけども、私らまぁこんな俗っぽい人間には、あんなのやっぱりおもろいと思いますけど。見てみなはれ、えーっ。みな踊ってまっしゃろやけぇ、えーっ。コラコラコラコレーッ。いやー、面白そうにやっとるやっとるって。こんな退屈な極楽より、向うの方がよっぽど面白そうだな。はぁ、コラコラコラ・・・。
あーっ、これこれこれ、踊ってはいかん、踊ってはいかん。ひょっとはまったらえらいことになる。
何を言うてなはる。あーっ、コラコラコラコラーッ。
これこれ、踊ってはいかんと言うておんのに。
(枝雀:てなことをしていますというと、さて、お釈迦さんの言うことを聞かずに踊っていたもんでございますから、足を踏滑らしまして、下へ真っ逆様にドーーン!)
(お釈迦さん)えらいこっちゃがな。ちょっとでもああして物言うたのに、落ちてしまいよったがな。だれぞ来てくれんかいな。
(キリストはん)おー釈迦さん、どーしましったかー?
あっ、キリストはんですかいな。(笑)ぼちぼち、あんたに来てもらわにゃいかんと思うてましたんです。いや実は、えー・・・。
はいはいはいはい、なんですか。あなたのおっ友だちが下に落っちましたか、そりゃこんまりましたね。いやー、よっろしい。わったしがオリブ山から昇天した時に使いました縄梯子(なわばしご)ございますから、それで下りましょ。
そうですか。ありゃー、すぐに持ってきておくんなはれ。
(枝雀:オリブ山からキリストが昇天をいたしました縄梯子がございます。持ってまいりまして、ふたりがまぁボチボチボチボチ下りかけたんでございますが、なにしろもう何千年も前の縄梯子でございますからな、もう腐りがきていたんでございますね。中途まで下りますというと、ブチーッと切れまして、キリストはんとお釈迦さんが下へガラガラガラガラーッ・・・)(笑)
(赤鬼殿)これ、しっかりせんかい。何をしてんのじゃい、キリストはんにお釈迦さん。ほーらまぁ、あんたらしゅうもない。
おっ、これはこれは、あっ赤鬼殿。いやー、助けてもらって、えらいすまん。血の池、うはー、すまなんだな。また一杯やろう。えー、すまなんだ、すまなんだ。キリストはん、キリストはん、あんた起きなはれ。
こっこどっこですか?
どこですかって、血の池落ちましたよって、いつまで「どっこですか」って言うてなんで(笑)、早う起きなはれ、あんた。なんとか、帰っ、帰らにゃいけまへん。
どうして帰りますか?
えーい、よろしいっ。あーっ、私のちょうど、でぇーでぇー、釣り、釣りをしてました蜘蛛の糸おわす。これで行きまひょ。
そうですかー、私も一緒に行っきますよ。
あー、来なはれ、来なはれ。
(枝雀:お釈迦さんとキリストはんがドンドンドンドン、この蜘蛛の糸をつたって上(のぼ)っておりましたんでございますが・・・)
キリストはん、あかんあかんあかん。いやー、さっき落ちた私の友だちが上(あが)ってくる、上ってくる。留やん上ってくる、留やん。あのね、私とあんたはよろしい、罪がないさかい。そやけど、留やんがあのーっぶら下ったら、あの人の罪でこいつブチッと切れまっさかい、そりゃちょっと。そいつ上らさんようにしないと、上らさんように。あんただけ上んのや、あんただけ。私とあんただけが助かりまんねん。そいで、留やん下にバンと下(おろ)しな、落しな落しな。(笑)留やんは蹴落せっちゅうのに!(大笑)
(枝雀:お釈迦さんがえらいこと言うてしまいました、えーっ。このー、あなたと私と別にするという、これが仏道では一番いけないことでございますから、お釈迦さんであれだれであれ法の前には平等でございますから、「我々だけが助かろう。留やん蹴落せ!」と言うた途端にーっ、蜘蛛の糸がブチーッ! また3人共、下へドーンと落ちましたんに)
しっかりしなはれ、これっ。
あっ、あー赤鬼はん。あーキリストはんも。また元に戻ってしもうたがな。なんじゃい、これー。極楽へ帰ることがでけんのか。はぁーあー、神も仏もないものか。(笑)
(枝雀)茶漬えんまの一席でした。(拍手)(→ (4)に続く)
©綿菅 道一、2017
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