ENBLOG

TANAKAHAN日々思った事を綴ってみたりして

信用できない

2010-08-15 21:08:54 | Weblog
仕事の帰宅途中、夕食を調達しに近所のスーパーで惣菜を物色する。サラダも手にしたが、昨日食べずに残してたサラダがあることを思い出して思い止まる。サラダは冷蔵庫に保存していたが、最近のうちの冷蔵庫は信用できない。保存した食材が悉く悪くなるのだ。一昨日作り置きしてたアイスコーヒーはアウトで、サラダは辛うじてセーフであった。さて本題に入る。今日は終戦記念日。人によっては「太平洋戦争」を「大東亜戦争」と呼ぶ人がいるし、「終戦記念日」を「敗戦記念日」と呼ぶ人がいる。今まであまり気にしたことはなかったが、改めて事実を辿ってみようと思う。まず一つの事実から始めたい。日本が当初、戦線として考えていたのは北進、つまり満州権益を得ることにあった。ところが満州事変を契機に南進へと方向転換された。この転換が意味するところは、主導権が陸軍から海軍に移った点だ。そして戦闘の多くは「大東亜共栄圏」で繰り広げられ、戦略的な目的が曖昧なまま、無意味な消耗戦へと突き進むことになる。世界でも屈強と言われていた日本海軍はこの戦闘を通じて消耗し尽くすことになる。奇妙なことに、東南アジアから調達した貴重な石油を満載した日本のタンカーは、連合国の潜水艦によって悉く撃沈されており、運搬時に日本海軍が護衛をしたという話は皆無である。さらに奇妙な事に、ミッドウェー海戦での大敗北の後、山本五十六は謎の撃墜死を遂げる。日本海軍の行動ついては何かと不可解な点が多い。最も不可解なのは、太平洋が戦線となったのは山本が発案したとされる真珠湾攻撃しかなく、それ以後米国に矛先が向けられた様子がない点である。日本が米国と戦う契機は、石油の禁輸措置と米国での日本人移民に対する人種差別問題であったとされるが、そればかりの理由で米国と戦争する理由などあったのだろうか。日本海軍は果たして本当に日本の味方だったのか・・・?最後に、これは僕なりの大胆な憶測だが、米国の目的は、日本海軍の殲滅だったのではないだろうか。広島と長崎の原爆投下について改めて考えるに、敵国にとって戦艦大和や戦艦武蔵などの造船施設がある都市は真っ先に攻撃目標として破壊したはずだ。それをなぜ他の都市を破壊し尽くした後に原爆という大量破壊兵器で攻撃したのか?それは、日本人に対する精神的ダメージを与える効果を狙ったのではないか。そうか、やはり今日は大東亜戦争の敗戦記念日である。
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする