風の澪

春から夏、そして秋、冬。
時の流れと共に気の向くままに綴られる、ひとつのブログ

札幌地下鉄降りつくしの旅・その3

2007-03-06 23:30:24 | 
今日も旅は続きます。
さらに今日は別の旅もしてきたので当分旅シリーズが続きます。
一日一駅と、さながら各駅停車で進んでまいります。
お付き合いくださいね。



北34条の次は、北24条。
南北線開通当時はここで終点でした。
つまり、ここからは札幌の地下鉄で一番古い区間になるわけです。
それが理由だと思いますが、南北線の基点はここになっているようです。



まずはお約束。
古い駅名標も、駅ナンバリングがはじまって取り替えられました。
では、早速散策に出発です。




北24条は麻生より古い北区の中心。
札幌市北区役所は北24条駅付近に位置しています。

それから、ここに来たならば、必ず見たいと思った場所へ。

しかし、でした。



あ、あれ…
ブルーシートで覆われてる…

冬の間は見られないようです。残念。
しょうがないので、説明だけ。

――以前、この地には飛行場がありました。
札幌飛行場です。
現在は丘珠空港が札幌市内にあり、北海道各都市を結ぶハブ空港となっていますが、
当時の札幌飛行場は東京との間に定期便を持つほど立派な空港だったそうです。
しかし札幌の北側と言うのは泥炭地が広がりひとたび雨が降ると、泥だらけになりながら何人もの人が飛行機を押して動かすような状況で、その運行は大変だったそうです。
そんな札幌飛行場の誕生は1926年ですが、およそ20年後の1945年には消えてしまいました。
終戦の年です。
この飛行場は戦時中、軍隊の指揮下に入れられてしまったので、
終戦により米軍に接収され、この飛行場は焼かれました。
これが札幌飛行場の最期
今では飛行場の門柱がここに残るのみです――

もしかしたら、この場所に飛燕や隼なんかも飛んできたのかもしれません。
戦争に飛行機が使われると思うとやはり理不尽な気がして辛いのですが、
いつかの、まさにこの場所に、本や写真でしか見たこと無いような飛行機が居たのかと思うと…
やっぱりボクはちょっと感激するのです。

因みに隣には



「風雪」と名付けられた碑があります。
プロペラを模して作られたこの碑は、当時の札幌飛行場を偲ぶもの。
左下に小さく彫られた「空」と言う文字
空はいつでも憧れの世界です。

さて、そろそろ出発。
また歩きます。




だからと言って、これは歩きすぎだと思いますが・・・
しかも、対向車線にもしっかり2つほど同じような標識が。
アピールしすぎでは?

そのまま標識に従って歩き続けると、街の空間がばらばらであるのを感じます。
それとなく書いてきましたが、この辺一体は古くから街が出来ていた地区です。
加えて都心的位置づけにもなく。
そのお陰で



こういった家を何軒か見つけることが出来ます。
窓の錠前はきっとねじ込みかもしれません。
僕にとっては、ちょっと思い出深い鍵です。ねじ込み式。

さて、そろそろ駅が見えてきます。




北24条駅、これにて終了。
また次の駅へ向けて、出発です。

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列車は走り出します

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