信濃町総合情報センターだより

長野県信濃町情報を写真入りでお届けします

明治の古より地域を見守る学び舎

2011-11-30 13:35:51 | 史跡・歴史

ここ信濃町には、101歳を迎えた古い学び舎があります。
 数年前、町の広報でも紹介されたその学び舎は、旧古間尋常小学校として
明治43年に建設され、昭51年に古間小学校の現校舎に移るまでの66年間、
明治、大正、昭和と述べ5000人を超える子どもたちを見守ってきたそうです。

こちらが現在の校舎です。現代建築とは一味違った、歴史を感じる正面玄関

今は使用されなくなった校舎・・・哀愁が漂います

校舎裏側、なかなか見ることありませんよね外壁の一枚一枚も愛おしく感じます

 学校としての役割を果たしたときに、貴重な明治期の建物を後世に残そうと
昭和53年の改修工事を経て『信濃町公民館古間支館』として今年の春まで
約34年間、地域の人々の社会教育活動の場として使われてきますた。
 明治時代のノスタルジックな雰囲気が活きていますね
 現在は耐震問題のため閉鎖となっていますが、見た感じは地震もなんのその
って感じなんですけどねぇ 建築物は見た目では判断できませんね

 今では中に入って見ることのできなくなった古い建造物……近寄ったら昔に
タイムスリップ出来るんじゃないかなぁなんて思えたりして
あっ映画の撮影なんかに使ってもらえたらいいかもっ
とにかく貴重な明治期の文化財、世紀を超えて末永く後世に伝わることを願います。

信濃町の史跡 割ケ嶽城址 の紹介

2011-09-01 14:01:50 | 史跡・歴史
信濃町の東部、信越五岳のひとつ 斑尾山(1,382m)の尾根の南西に伸びた末端にあり
麓の集落との比高は110メートルで山形は三角錐をなし、北西斜面は断崖絶壁となっている。
城主について詳述された最初の文献は「長野県町村誌」で、「里俗伝に養和中、城主柴津為信、
木曽義仲の為に減亡すると云う」とあり、現在でもその地域の地名を柴津と呼んでいます。
山頂には本丸跡のほか、堀切の跡など、痕跡がはっきりと残っています。

城山の西麓にある自然石には、「姫の泣き石」の伝説があります。


山頂本丸跡と案内板

堀切跡

本丸から北西には野尻湖と妙高山を望む事が出来ます。

西麓の「姫の泣き石」伝説についての案内板

日本キリスト教団信濃村伝道所をごぞんじですか?

2011-08-01 13:16:22 | 史跡・歴史
信濃町には、小さな伝道所があることを皆さんはご存知ですか?
大正初期、軽井沢より野尻湖畔に別荘を移した宣教師たちにより、この地にキリスト教が根ざすきっかけ
となりました。
設計を手がけたのはW.M.ヴォーリズ氏で、ヴォーリズ事務所の資料では、1956年(昭和31年)となっており
最晩年の作品となります。
信濃町では、この伝道所の他、野尻湖国際村に野尻集会堂ほか多数の別荘があります。
またヴォーリズ氏は、メンソレータムを日本で販売していたことでも知られています。
この伝道所が野尻湖畔などではなく、役場がある町の中心に建てられ伝道所という名前を与えられて
いるということは、この町の大多数の人に対して布教する目的で建てられたということがうかがえます。



教会堂の周りには木々や花々がたくさんありますが、洗礼を受けた人や挙式した方が記念に植えたり、
庭を大事にしている様子を見た方が、めずらしい植物を植えてくれたり・・・・
教会の屋根より高くなった木々や庭を埋め尽くす花々たちが建築から50年以上経過する教会の歴史を
見守ってきたのではないでしょうか。
現在行われているそう多くはない信者の日頃の集いも、夏の礼拝には年に一度の再開を心待ちに別荘や
国際村に避暑に訪れる方たちで教会がいっぱいになるそうです。