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怪談 青井の井戸 6

2021年09月14日 | 怪談 青井の井戸(全41話完結)
 さて、気を紛らそうと読み本を手に致しましたが、ふと気が付くと同じ所を目で追っておりました。一向に気が入らなかったのでございます。
 庭の井戸がどうしても頭に浮かんでまいります。努めて考えまいと致しましたが、かえってその事で思いが一杯となってしまいました。わたくしは部屋を出て、ばあやの起居する部屋へと向かいました。
 他の我が屋敷の用をなす者たちは、庭とは反対側の敷地内に起居する長屋を設けております。ばあやも元々はその長屋に下りました。今はわたくしの身の回りの世話が主でございますので、屋敷に上がってほしいと頼みました。ばあやは「勿体ない」の一点張りで拒んでおりました故、父に話を致しました。父は「ばあやも青井の家の事に精通しておる故、家族同様じゃ。気を遣うな」と言い含めますと、素直に従っておりました。
 父は、ばあやは青井の家に精通していると、おっしゃいました。それで、ばあやの部屋へと向かったのでございます。雨戸を閉めた廊下を歩きます。雨戸の間から花の香が漂ってまいります。行く分、気が落ち着いてまいりました。
 ばあやの部屋の前に参りますと、行燈がぼうっと灯っておりました。
「……ばあや……」
 わたくしは声を押し殺して申します。こんな声でも父に訊かれるやもしれぬと怖れておりました。しばらく待ちましたが、ばあやは出てまいりません。耳が遠くなっているのかもしれませぬ。
「……ばあや……」
 わたくしは少しだけ声を強めました。と共に、行儀の悪い事ではございましたが、障子戸を少し揺らしました。気が付いたのでございましよう、ばあやの影が大きく障子に映り込みました。障子戸が少し開きました。除き見るような視線がわたくしに向きました。
「……きくの様!」
 ばあやは驚いたでございましょう。普段、わたくしがこちらへ足を運ぶ事など無かったからでございます。ばあやは慌てて障子戸を大きく開けました。
「わざわざのお越しとは……」ばあやは廊下にいざって出て来ると、そのまま頭を下げます。「……何用でございます?」
「ばあやの部屋でお話がしたいのだけれど……」
「いえ、こんな汚いばばの部屋へ、きくの様をお通しするわけにはまいりませぬ。平に、平に……」
「分かりました……」ばあやが廊下に額を擦り付ける姿に、わたくしはそう答えました。「なら、この場で良いのですが、聞きたい事があります」
「何でございましょうや?」
「……庭の井戸の事です」
 途端にばあやの顔が強張りました。
「……きくの様、それを知ってどうなさるのです?」ばあやは絞り出すような声で申します。「経緯はご幼少の頃にお話ししたはず。それ以上の事は申し上げられませぬ」


つづく

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