市民大学院ブログ

京都大学名誉教授池上惇が代表となって、地域の固有価値を発見し、交流する場である市民大学院の活動を発信していきます。

広告

※このエリアは、60日間投稿が無い場合に表示されます。記事を投稿すると、表示されなくなります。

ネオ・ジェロントロジー研究会「超高齢期の老年的超越」:人生後半の発達における幸福理論の紹介(冨澤公子)

2015-06-29 12:39:53 | 市民大学院全般
皆様、いつも市民大学院ブログをご愛読いただき、誠にありがとうございます。
今回は市民大学院研究員の冨澤公子先生による新しい研究会をご案内させていただきます。
研究会へのご参加はどなたでも歓迎しますので、ご関心のある方は、info@bunkaseisaku.jpまでご連絡ください。(事務局)
------------------------------------------------------------------
はじめに
 今回紹介する「老年的超越(Gerotranscendence)」理論は、高齢期の心理適応について従来の通説にはなかった加齢に伴うポジティブな人間発達に注目した理論であり、大衆長寿化の進行の中で元気な高齢者の多様な活躍や幸福感の源泉を理解する上で注目される理論である。
 特に超高齢社会の到来を背景に人口が増大している85歳以上の超高齢者は、身体機能の虚弱化が特徴とされ、超高齢期のサクセスフル・エイジング(幸せな老い)には否定的な見解多い。加えて、老いることは要介護リスクや認知症リスクを伴ってネガティブに捉えられがちで、長寿は、「歓迎」よりも「長すぎる老い」としての不安を蔓延させ、アンチ・エイジング(抗加齢)産業を興隆させている感がある。
 しかしながら近年の医学、心理学や社会学における研究からは、老いは一様に衰退でなく多様であり、また主観的幸福感は高齢期には少し下がるものの、超高齢期には高まる傾向が明らかにされているが、その要因は特定されていない。
 筆者は、老年的超越理論は特に超高齢期の脆弱化に伴う様々な機能低下や喪失を超えて適応し生きる技を獲得していく超高齢者の精神的次元と潜在能力を理解する上で、有効な理論と位置付けている。加え今後の超高齢者政策において、QOL(人生の質)の向上や幸福感に資する重要な示唆を与える理論であると考えられるので、その理論を少し紹介していきたい。
「老年的超越理論」の生成の背景
 かつて社会老年学では、退職後の望ましい生活に関し2大理論が議論されてきた経過がある。いずれも当時高齢化の先進国であったアメリカで議論された理論で、引退後も引退前の活動水準を維持することが幸福に老いるための必要条件であるとする「活動理論 (activity theory))と老化とは個人が社会体制や人間関係から徐々に減じて行く不可避な過程であり、社会的離脱によって個人の幸福感も高くなるとする「離脱理論 (disengagement theory)」である。
 これに対し、高齢期の適応に関して活動理論も離脱理論もともに適切ではなく、個人のパーソナリティの継続が重要とする「連続性理論(continuity theory)」が主張された。これら高齢期の適応に関する理論は、結局未結着のままさまざまな研究が進展していくことになるが、いずれの理論も、退職前の職業を基軸に形成された価値観や世界観から退職後のサクセスフル・エイジング(幸せな老い)をとらえようとするものである。
トーンスタムの異議申し立て
 これに対する異議申し立てとして、トーンスタム (Tornstam, 1989)は「老年的超越」理論を提示する。つまりこれまでの社会老年学におけるサクセスフル・エイジングは、白人中年世代がもつ西洋文化の継続と価値観である。しかし高齢期には、中年期の活動の継続と安定ではない加齢に付随した内的スピリチュアルな発達があること、それが叡智へ向かう成熟であり、この老年的超越傾向は人に一般的に認められると論じる。
 トーンスタムがこの理論を提示した背景には、高齢者に対する一般的見方と社会老年学の実証データから得られたものとの間の齟齬 (mismatch) をあげる。例えば、高齢期の孤独は一般的なパターンであるより特殊なパターンであること、退職の精神的ショックは一般的でなくむしろ少数派であることなどをあげる。
 これらの度重なった理論と実証データとの間の齟齬の要因として彼は、中年期の価値観や活動パターンを高齢期に当てはめることは、高齢期へ向かう見通しを誤って分析することになるという確信を導きだすのである。
「老年的超越理論」の理論枠組
 トーンスタムの老年的超越理論の理論枠組みの提示には、かつて否定された離脱理論の新たな理解に到達したことにある。彼は東洋哲学における禅僧の哲学的視座に目を向ける。
 つまり、禅者が住む世界は西洋社会でいう離脱とは異なる世界で、西洋社会の思考法からは認識できない「超越」の世界である。加齢を意識することなく禅者の感覚へ近づく過程とみなせば、禅や超越のことについて何も知らないにもかかわらず、我々はある程度の超越段階へと到達することができると考える。トーンスタムは、加齢の進行は基本的には老年的超越へと向かう過程にあるとみなす。
 また生活満足の問題は、中年期の物質主義的で合理的な観点から加齢に伴う宇宙的かつ超越的な観点へのメタ・パースペクティブな変化と捉えられる。しかし、さまざま社会要因や危機によって促進されたり、妨害されたりするが、トーンスタムはその妨害要因の一つに「老年的超越」傾向にある人に対する世間の誤解を強調する。
超高齢期における発達課題と「老年的超越」
 J・エリクソン(J. Erikson)は自らが93歳という超高齢期に達し、夫、エリクソン(E. Erikson)の死後、ライフサイクル論に第9段階を追加する。第9段階の課題として、第8段階の「統合」(それを導く力「叡智」)とは異なる新たな発達課題として、「老年的超越」(Gerotranscendence)という概念を提示する。
 彼女は、超高齢期は多くの新たな困難や喪失体験、身近な人々の死に遭遇し、自分自身の死がそう遠くないことを感じるに至るが、これらの喪失を生き抜く確固とした足場として、人生の出発点で獲得した基本的信頼感という恵みが人には与えられていると論じる。そして、第9段階のさまざまな失調要素を甘受し、これを乗り越えるには「叡智」ではなく、「老年的超越」に向かう道に前進することであると示唆する。
まとめ
 加齢によって超越傾向が高まることは、古代のライフサイクルである中国の五行説や箴言などでも長寿者が到達する特別の力として畏敬の念とともに示されており、特別新しい概念ではないであろう。しかしそのような長寿者の持つ特別の力の存在は、これまで科学的には解明されてこなかった分野である。
 これに対しトーンスタムは、インタビューから得た確信を数量的な尺度を用いて、その存在を科学的に実証した。彼は社会学者の立場から老年的超越と言う概念を提示し、特別の修行者でなくても加齢に伴って一般の高齢者にも超越傾向がみられることを明らかにした。
 老年的超越理論は、長い人生の過程で形成されていく経験や叡智、スピリチュアリティなどの潜在能力に光を当て、これらは超高齢者のポジティブな心性としての「老いの成熟」の多様な側面であることを明らかした理論といえる。この理論によって、超高齢期の老いに伴う喪失感を超えて新たな精神的次元の発達と、若い時期とは異なる価値観や世界観の変容を経て到達する超高齢者の新たな幸福感の形成が理解される。


*先日案内しましたネオ・ジェロントロジー研究会では、老年的超越理論の翻訳を行うことにしています。
第1回7月26日(日)13:30~16:00

脚注i : Gerotranscendenceは、Tornstam,L., によって提唱された理論で、ギリシャ語の老人(Geront)と英語の超越(Transcendence)を合わせた合成語である。

ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
« 智恵のクロスロード第38回「... | トップ | 智恵のクロスロード第40回「... »

コメントを投稿

市民大学院全般」カテゴリの最新記事

関連するみんなの記事