しまなみニュース順風

因島のミニコミ「しまなみNews 順風」は、しまなみ海道沿いの生活情報をリリースし、地域コミュニティー構築を目指します。

浮かないクルージング

2010-03-22 20:44:30 | ヨット
 昨日は、因島高校の定期演奏会があり、
終了後、久しぶりに友人と焼き鳥屋で歓談した。
ぼくは、友人に、
世界で最初に世界周航を果たしたジョシュア・スローカムの話とか、
江戸時代の千石船の遭難史とかを知っている限り話したのだった。

 ジョシュア・スローカムは、50歳を過ぎて、
1895年4月24日、
老朽化した漁船を改造した「スプレー号」でボストンを静かに出港した。
キャプテン・スローカムの船は、
46,000マイルという途方もない距離を単独で走破している。
燧灘をのんびりまったりとクルージングしているどこかのセーラーとは、
そもそものスケールが違う。

 しかし、日本にだって、
世界に誇れる航海があったことをぼくは知っている。
それは、江戸時代の遭難史だ。
 江戸時代の遭難事例ですごいと驚嘆していたのは、
まず、土佐儀七船の長平。
実に13年間を伊豆鳥島で過ごしている。
しかも、そのうちの1年半は、単独だった。
ほとんど道具は所持せず、
初期の頃は、
オキノタユウ(アホウドリという名前で呼んではいけません)を採って生で食べ、
オキノタユウが渡りをすることを知った長平は、
オキノタユウを干物にして保存食とし、
火山島で水のない伊豆鳥島の環境の中、
オキノタユウの卵の殻を桶代わりに貯水して水を確保するなど、
ロビンソン・クルーソウのモデルとなったアレキサンダー・セルカークを
はるかにしのぐサバイバルを展開して生き残ったのだ。
 この話は、小説にもなっている。
吉村 昭の「漂流」がそれだ。
小説以外にも、
岩尾龍太郎さんの書いた「江戸時代のロビンソン 七つの漂流譚」にも詳しく紹介されている。

 土佐儀七の長平の他にも、大黒屋光太夫。
この人は、千島列島のアムチトカ島まで流されたうえ、
帰国の許可を受けるため、
遥かシベリアの彼方にあるペテルブルグ(8,000キロを往復)まで行き、
エカテリーナ二世にまで会っている。
 他にも、まだまだある。
尾張督乗丸の重吉の事例などは、
太平洋を484日間漂流したうえで、
英商船フォレスター号に救助されている。

 江戸時代の遭難史は、
鎖国という特殊な事情にあった日本の悲劇として、
日本人として知っていなければならない史実だと思う。
先人たちのサバイバル技術は、
後世に残されなければならない偉大な金字塔であり、
そのことを誇りとして心に刻み込んでこそ海国「日本」の国民なのだとも思う。

 はたして、ぼくは、今日、燧灘に乗り出してみた。
 春らしくなってきた景色は、
ぼくの目を楽しませてくれる。
島に緑が多くなり、
海が華やいだ青に彩られている。
 しかし、心はなぜか浮かないのだった。
 この国は、
あらゆるところに江戸時代と変わらない障壁を設けて、
いまだに鎖国しているのだと思う。
 国際VHFの問題は、
近頃多少の進展を見ているようだけど、
例えば、航海灯なんかは、
小糸製作所という会社の商品が全ての船舶に装備され、
それ以外の国の検査に通っていない機種は除外されている。
遭難した時などに使う火工品なんかも国際化工社という会社の独占になっていて、
国の検査に通ったというだけで理不尽に高い価格がつけられていたりする。

 ようするに、
お上の仕事を御用商人が取り仕切り、
御用商人がお上に袖の下を渡す。
海にかかわる仕事をしていたり、
多少なりとも海のことを知っている人たちは、
たいていこんなことを常識的に知っているのだけど、
こんな理不尽について、どうして声に出して言わないのだろう。

 おかしげな海国「日本」の燧灘は、
のんびりまったり時を移ろわせていくのに、
陸上では違う時間が流れているのかもしれない。
江戸時代の英雄たちが、今の日本を知ったら、どう思うだろう。
 なんか、浮かないんだよね。

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