しまなみニュース順風

因島のミニコミ「しまなみNews 順風」は、しまなみ海道沿いの生活情報をリリースし、地域コミュニティー構築を目指します。

なつかしい場所 Ⅵ

2010-01-23 09:23:41 | ヨット
ユウコウマリン

ヨットを友好丸に横抱きさせると、
ぼくは、
当初の目的、
コリンさんのアドバイスを受けて、
ロープ類を発注する作業に入った。
大浦港へ入港した時間が13時半だったので、
北木島へ滞在する時間は、
1時間半に制限する必要があった。
コリンさんのアドバイスでは、
ブーム(メインセールの底辺を支える横の支柱)の中を通っているロープを交換するには、
先端のロープを通すブロック(滑車)のついたケースを取り外し、
そこから古いロープを取り除いてセットする必要があるそうだ。
この作業は、
因島へ寄港してからでないとできそうもなかった。
交換予定の全てのロープ類の長さについては、
因島出港前に調べていたので、
ぼくは、コリンさんについて行き、
工場で発注するロープの具体的な材質の説明と実物を見せてもらうことにした。

桟橋に降り立つと、
かつて石材工業で栄えた町が穏やかな表情を見せている。
いくつもの島が、
逃げ場のない過疎の道を歩んできた。
ぼくは、取り戻せないほどの衰退を経験した島も見てきた。
利用価値がなくなってしまったからに違いない。
考えてみれば、
北木島の豊富な石材も、
市場価値が高かった時期には、
大勢の労働者が働いて、島に繁栄をもたらしていただろう。
では、
市場価値とは、どんなものなのだろうか。
大勢の人たちが製品の品質と労働の対価を計算して相場を作りだしたものだ。
相場は、常に時代によって変動する。
島の繁栄が相場に連動していれば、
当然、島の栄枯盛衰もそこに集約されるだろう。
しかし、
この理屈にはまやかしがあると思うのだ。
人に必要なものは、
生きていける生活の場であって、
相場だけではない。
相場は、
利潤を追求したい人々だけのものではないはずだ。
資本を集約するためには、
空を汚し、海を汚し、大地の緑をむしり取って、
必要以上のエネルギーを循環させる必要がある。
そのことが、
生きていける生活の場に必要だろうか。
インフラも仕事も学校も文化も経済活動なしでは成り立たない。
それは、当然のことだ。
ぼくが言いたいのは、
はたして、
必要以上のエネルギーを循環させる必要があるのかどうかだ。
たくさんの島を見てきて、
ぼくには、
一つだけ言えることがある。
それは、
必要以上のエネルギーを循環させなくても、
人は、生活の場を作り、
豊かに暮らしていけるということだ。
そこには、
相場を動かして野心や欲望を募らせている一部の人々とは一線を画す人々がいる。

ぼくは、
コリンさんの運転する車に乗って、
北木島の風景を見つめた。
路傍に花が咲き、
通り過ぎるお年寄りにコリンさんが手を振る。
お年寄りの笑顔が素敵だった。
細い海岸通りを通って行くと、
コリンさんの工場兼事務所「ユウコウマリン」に到着した。
入り口の看板は、
コリンさんがこの場所を購入した時、
元石材工場だった工場内にうず高く放置されていた石材の一部を加工したもので、
北木島に住むというステータスを手に入れたコリンさんのプライドのように見えた。
コリンさんに案内されて小奇麗な事務所へ入ると、
ヨットに乗る人なら誰でも興味の沸く製品が並んでいた。
ぼくは、
一応な説明を受け、
必要だと思える資材を見せてもらって発注作業に取り掛かった。
もっと見せてもらいたいものもあったけれど、
説明を聞いているだけで
北木島からの出港予定時間が過ぎてしまうだろうと心配だった。
そのことを知ってか知らずか、
コリンさんは、マイペースだった。
しかし、
たぶん、ぼくがコリンさんの立場だったら同じような行動をしただろう。

「時間は、大丈夫ですか?」
だいたいの説明を受けたところで、コリンさんは、唐突に切り出した。
「食事に行きましょう」
ぼくは、出港時間のことと、発注のことで頭がいっぱいだったので、
空腹には気がつかなかったのだ。
せっかくの申し出なので、食事を一緒にさせてもらうことにした。
事務所を出て、コリンさんのトラックに同乗させてもらって、
島の北端にある「グルメ北木島」へ連れて行っていただいた。
ぼくは、そこで、お勧めのてんぷらの盛り合わせを食べながら、
日本に来ることになったコリンさんの経歴を聞いた。
カナダを出たコリンさんは、
南太平洋でヨットライフを楽しんでいたんだけど、
所持金が少なくなって、
結局、オーストラリアか日本へ行く、
という選択をしたそうだ。
それで、日本へやってきて、
ヨットの修理をしたり、
ヨットの転売をしたりして資金を集め、
兵庫県の伊丹に定住し、
笠岡諸島のことを知って、北木島へ移り住んできたそうだ。
マリンショップを開いた理由は、
日本のショップが、あまりにも高価な値段設定しかしないので、
そこに不満を感じていたから、と言っていた。
ちなみに、
南太平洋からは、24フィートのヨットでやってきたので、
日本のヨット仲間からは、
「クレージー」と言われたそうだ。
コリンさんの経歴を聞いて、
ヨットに乗っているぼくとしては、
改めてすごい人なのだと実感した。
飾らない人柄、まじめでひたむきな姿勢、明るい性格。
どこまでも等身大で、背伸びをしない。
そんなところに、
北木島の生活へ溶け込んでいった秘訣があるのかもしれない。
「これから、六島へ行くんですね。向こうは、大丈夫ですか」
コリンさんは、ぼくのことを心配してくれていたようだ。
「大丈夫ですよ。
笠岡諸島は、一度でも出会った人は、
もれなくお友だちという土地柄ですから。
六島へは、去年行って、大勢お友だちを作ってきちゃいました」
ぼくたちは、お互いに朗らかに笑った。

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