青い鳥の世界へ

人として厳しい中で生きていかなければならない中、少しでも良い世界になったら。そして、より明るく、清らかに、暖かく。

信仰心が失われると

2016年01月19日 | 短歌に政治や社会

【SMAP解散協議】安倍首相「存続よかった」 中谷防衛相「解散は『存立危機事態』」

国会という大事な場で、安倍首相らはこんなことばかり言っている。
政治というものは、国民の「人間であることを守られ、そして育てられ、生かされているという事が実感され、みずみずしい生存権」を図っていくもの。
そういう大切なことはなおざりにして、憲法改正までに言及している。

次の記事は今朝の朝刊のコラム記事。

 「仏教王国」の福井県にいると思いもよらないのだが、鹿児島県では140年ほど前、寺と僧侶がともにゼロになった。その後遺症を今も引きずっているという▼江戸末期までは1000カ寺余り、僧侶が約3000人いた。寺の数は今、489まで戻ったとはいうものの、1700余りある本県の3分の1にも満たない▼1868年に明治新政府の出した神仏判然令が原因である。これによって全国の寺や仏像が破壊されていった。鹿児島県が最も激しかった。仏像はハンマーで砕かれ山や川に捨てられた▼この徹底した「廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)」がたたり県内の文化財は極めて少ない。寺を失った墓地は共同墓地として再編され、墓参りに県民が熱心なのはいいのだが「仏教への信仰心は薄い」▼「寺院消滅」(日経BP社)というやや衝撃的な題名の本に教わった。著者の鵜飼秀徳さんは雑誌記者だ。寺の副住職でもあり、両方の見識を生かして全国に取材している▼2040年には自治体の半数が消滅する可能性があると指摘されている。そんな地方都市にある寺の実態はもっと悲惨ですでに「消滅」が各地で始まっていると知らされる▼鹿児島は「日本の宗教」の未来を先取りしているかのよう―。同書の指摘に考え込む。信仰心を失った先に何があるのかと。仏教王国の名に隠れた所で、心の荒廃が進んでいるやもしれない。

信仰心が失われ、宗教心が廃れいくと、人類はどこへ行くことになる。科学文明が発達したはずなのに、そういうことが少しも分かっていない。

http://news.goo.ne.jp/article/sankei/politics/sankei-plt1601190013.html

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