視人庵BLOG

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「対馬の歴史と史跡探訪」 放送大学平成21年度2学期面接授業

2009-10-25 08:30:19 | 放送大学

  面接授業は10月17,18日でしたが、前日16日羽田を午前7時半発の飛行機にのって福岡経由で午前10時40分すぎには対馬空港に降り立っていました。

 意外と東京から近いという印象でした。

 
  空港でレンタカーを借り、上対馬の朝鮮半島が見える突端へ向かいました。約2時間国道382号線を北上、対馬最北端の韓国展望所につきました。
  航空自衛隊のレーダードームがある海栗島の先に朝鮮半島が視えるはずですが、もやがかかっていてはっきりとは確認できませんでした。
 韓国展望所から朝鮮半島まで50km強、福岡まで150km強とのこと。対馬は島幅18km、島長80km強。
 今から17,8年前に釜山から高速水中翼船で博多まで戻ったことがあります。その時船上から見た対馬は釜山からとても近いこと、島長が長いことにびっくりした記憶があります。



 この韓国展望所のそばに元禄16年(1703年)春に起きた朝鮮国訳官船難破の遭難者慰霊塔がたってました。この時は「そんな事件があったのか?」と思っただけでしたが、翌日の面接授業で斎藤弘征先生の講義「元禄16年朝鮮国訳官船対馬鰐浦沖難破事件」を受講し、江戸幕府鎖国後の李氏朝鮮と対馬藩、そして江戸幕府との関係をリアルに感じとれました。やはり現場を視るということは大事です。今回の面接授業の効果です。



 韓国展望所の近くに旧日本軍の砲台跡(上写真)があります。日露戦争時にバルチック艦隊を迎え討つために建造された施設でした。




 382号線の道路標識はすべて日本語とハングルの併記となっていました。面接授業の講義が行われた対馬交流センター1階のスーパーもすべてハングルと日本語の併記となっていました。

  対馬には沢山の観光客が韓国からきます。面接授業二日目に見学した長崎県立対馬歴史民族資料館には無料ということもありますが、毎年4万人の参観者が訪れ、そのうち3万人は韓国からの旅行客とのことです!ちなみに対馬の人口は約3万6千人です。対馬に別荘用の土地を購入している韓国の方もいるそうです。




二日目午前中、白村江で唐に敗れた日本が対馬に築いた山城、金田城址にのぼりました。頂から観る対馬の自然は素晴らしいものでした!



 頂上ちかくにはやはり旧日本軍の砲台跡がありました。太平洋戦争が終わるまで対馬は全島要塞化された島でした。

 それが対馬の自然を残したといえるのは皮肉です。

 今回の面接授業に参加して対馬は今も昔も国境の島であることを実感させられました。

 でもそれは外の世界と最初に接触する”最前線(フロント)”の場所だったのです。それは昔も今も変わらないと思います。決して「辺境の島」でも「奥座敷の島」でもないと思いました。

 逆に対馬からの情報発信(特にWEB)が少ないことが「辺境の島」を印象づけているようです。

  現代の雨森芳州には”最前線(フロント)”の場所としての対馬を、世界に発信していってもらいたいと思います。

 

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