9/10(木) の「星と風のサロン」は南方熊楠研究者の原田健一さんと20世紀メディア評論家の石井仁志さんの対談でした。
原田さんは新潟大学人文社会・教育科学系 教授(映像メディア研究及び制作)というより、南方熊楠の旧居で10年以上かけて熊楠が残した膨大な資料、書簡等の調査に関わり、そこから得た知見、新しい資料を駆使して、新たな熊楠像を見せてくれた「南方熊楠―進化論・政治・性」の著者です。
原田さんのお話を聴いて、一番の驚き、というか納得したことは、ずっと疑念であった、いくら熊楠が「知の巨人」として有名であったとしても、地方在住の中央に縁のない在野の学者が、ここまで有名になるのは何故だろう?と前々から思っていたことにたいして、やはり担ぎ出した人たちがおり担ぎ出す状況があったということでした。
熊楠は戦争中(昭和19年)亡くなっていますが、戦後すぐGHQの農地改革と同じように、林野改革のシンボル(?)として渋沢敬三の日本常民文化研究所(アチックミューゼアム)のバックアップで、戦争中海外向け国策誌「FRONT」の編集に関わった岡田桑三たちによって、昭和23年に南方熊楠全集12巻(乾元社)が刊行されています。これが戦後第一期の熊楠ブームを作ったとのこと。その後は鶴見和子や中沢新一によって"熊楠ブーム"が誘発されたことは間違いないでしょう。
生存中も劇場型人間として、本人のみならず親族、地域を巻き込んで劇場化(?)した熊楠は、死後もさらに大きな舞台の上で"熊楠"を演じているようです。
それこそ熊楠の天才、そして「知の巨人」たる所以かもしれません。
大変充実したサロンでした。原田さん、石井さんありがとうございました。
岡田桑三についてもよろしくお願いします。
原田さんは新潟大学人文社会・教育科学系 教授(映像メディア研究及び制作)というより、南方熊楠の旧居で10年以上かけて熊楠が残した膨大な資料、書簡等の調査に関わり、そこから得た知見、新しい資料を駆使して、新たな熊楠像を見せてくれた「南方熊楠―進化論・政治・性」の著者です。
原田さんのお話を聴いて、一番の驚き、というか納得したことは、ずっと疑念であった、いくら熊楠が「知の巨人」として有名であったとしても、地方在住の中央に縁のない在野の学者が、ここまで有名になるのは何故だろう?と前々から思っていたことにたいして、やはり担ぎ出した人たちがおり担ぎ出す状況があったということでした。
熊楠は戦争中(昭和19年)亡くなっていますが、戦後すぐGHQの農地改革と同じように、林野改革のシンボル(?)として渋沢敬三の日本常民文化研究所(アチックミューゼアム)のバックアップで、戦争中海外向け国策誌「FRONT」の編集に関わった岡田桑三たちによって、昭和23年に南方熊楠全集12巻(乾元社)が刊行されています。これが戦後第一期の熊楠ブームを作ったとのこと。その後は鶴見和子や中沢新一によって"熊楠ブーム"が誘発されたことは間違いないでしょう。
生存中も劇場型人間として、本人のみならず親族、地域を巻き込んで劇場化(?)した熊楠は、死後もさらに大きな舞台の上で"熊楠"を演じているようです。
それこそ熊楠の天才、そして「知の巨人」たる所以かもしれません。
南方熊楠―進化論・政治・性原田 健一平凡社このアイテムの詳細を見る |
大変充実したサロンでした。原田さん、石井さんありがとうございました。
岡田桑三についてもよろしくお願いします。
ご紹介いただいた本。早速、探してきます。ありがとうございました。
久しぶりに知的興奮を覚えたサロンでした。
小生、岡田桑三に更に興味を持ち始めました。