竹内しげやす 市政チャレンジ日記

新米議員から四期目を向えて市政にチャレンジする奮戦記。
一歩一歩目標に向け前進する日々の行動を日記風に。

蒲郡市販路拡大事業費補助金

2018年05月17日 | 議員活動
平成30年5月17日(水)
お早うございます。

<5月17日今日は何の日>
1875年5月17日  最初の屯田兵が北海道に入植。

 屯田兵(とんでんへい)は、明治時代に北海道の警備と開拓にあたった兵士とその部隊である。
1874年(明治7年)に制度が設けられ、翌年から実施、1904年(明治37年)に廃止された。

 屯田制を北海道に実施するという考えは、明治初年から様々な方面に生まれていた。
そのおそらく最初のものは、徳川家の遺臣を移して北方警備と開墾に従事させようとする榎本武揚の考えで、彼はこの計画を掲げて新政府と箱館戦争を戦った。

 政府内の提案としては、明治3年11月(1870年12月 - 1871年1月)に開拓使が行なったものがはじめである。
ついで西郷隆盛が1871年(明治4年)から1873年(明治6年)にかけて士族による北方警備と開拓を主唱した。
西郷は計画の実現をみることなく下野したが、彼の影響で開拓次官の黒田清隆が1873年11月に太政官に屯田制を建議した。
樺太と北海道の兵備の必要と、そのための費用を憂え、「今略屯田の制に倣い、民を移して之に充て、且耕し且守るときは、開拓の業封疆の守り両ながら其便を得ん」というものであった。黒田が考えたのも士族の活用であったが、彼の場合旧松前藩と東北諸藩の貧窮士族を想定していた。

太政官は黒田の提案に賛成し、1874年(明治7年)に屯田兵例則を定めた。1875年(明治8年)5月、札幌郊外の琴似兵村への入地で、屯田が開始された。

屯田兵の服装



さて、今日は「蒲郡市販路拡大事業費補助金]について紹介いたします。



経営計画に基づいて、蒲郡商工会議所の支援を受けながら実施する販路拡大等の取り組みに対して、15万円(海外展開の取組を含む場合には20万円)を上限に2分の1を補助します。
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