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「我が那覇高12期の自慢!」➁

2019年06月09日 | 「美ら島沖縄大使」便り

 前回も書きましたが、私の知るところでは那覇高同期には当時の沖縄県内のエ リート就職先の県庁、琉銀、沖電等の勤務は極く少数でしたが、驚いたことには、琉球大学の法学、文学、工学、教育、家政、農学、医学とほぼ全学部に我が同期出身教授が10人以上いたことです。同じ高校同期のこうした教授存在は今もってない稀有な事例とか。同期には琉大以外の徳島大や大阪市立等の県外教授もいました。
 こうした大学教授以外にも県内高・中・小学校の校長同期生が10人いるようです。さらに10人を超す同期医師がいしたが、これまた驚いたことに“医者の不養生“と言わずとも何と6人の同期医師が逝去しているようです(´Δ`;) 残念ながら、我が同期に東大卒はいませんが、京大、東工大、九大、東北大等の国立一期卒がいます。早稲田は当時の大浜奨学制もあり、全学部に同期がいたのでは。また農林、運輸、大蔵各本省にも同期のキャリヤ官僚がいました。民間企業では東芝機械、石川播磨、富士エンジニア等々の部長がいました。

 何故、今さらこんなことを書くかというと、IT黎明、バブル経済、人手不足の1978年、38歳で創業した私はこうした同期の縁で琉大から多くの人材採用が出来たことはじめ、首都圏では農林、建設や工業技術院等々の本省役所他東芝機械等々錚々たる大企業からの受注成功もこうした同期との絆でした。また、石播、富士通からも人材紹介を受け、その後の企発展、継続に繋がりました。今振り返るとこうした同期の絆にホトホト感謝です。
 老々老いの自慢回顧ボヤキ、済みません(>_<;)・゜゜・

(わが那覇高同期の琉大教授連、ここに写っていない同期琉大教授がもう一人います。)

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