”朝吼夕嘆・晴走雨読”

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「吟呼・伝説の歌手」

2008年08月10日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 吟呼さんは2000人を超す沖縄アクターズ・スクール第一期応募者の中から合格、13歳で上京、都内中学校に通いつつ、CBSソニーから早熟なメジャー・デビュー。スクール先輩としてデビュー前の安室奈美恵やSPEEDに唄やダンスも指導した。
 歌手・エンタテーナーとして将来を嘱望されていたが突然芸能活動を中断、フアンの前から姿を消す。往時の熱狂的フアンから伝説的な天才歌手の失踪として、WEB、NET上での検索が続いた。3年前、私がその消息をアップするや毎週のようにアクセスが続いている。
 吟呼さんは20台前半、帰省の際に遭遇したスピリチャールな体験を契機に、ご母堂と共に先般逝去した戦後沖縄を代表する与那覇朝大陶芸・画伯に寄り添い、その晩年10年以上画伯の介護に若い人生を捧げた。過日の葬儀で喪主とし起草、述べた追悼・御礼の挨拶は会葬者の感動と激賞を呼んだという。
 私は大学卒業直後の40年前、駆け出し記者として上京就職した10代”黒真珠”のような往時のお母さんを取材した縁で、その後中城村・登又のご自宅やスタジオ、展示会場等で生前の朝大画伯と語る機会が幾度かあり,入院治療中のお見舞いもした。多少とは言え、お二人のご苦労を知る私は喪明けの某日、お二人慰労、激励の席を設けた。
 お母さんの美声、歌唱力を引き継いだ吟呼さんとは言え”歌を忘れたカナリヤ"10数年。やおら目覚め、生来のオーラー復活、期せずして親娘美声競演を目の前に、熱暑を忘れる一夜でした。この数日後、地元のテレビで画伯と二人の出会い・追悼の番組も放映されました。    
(90年「オキナワグラフ」表紙を飾った16歳の吟呼さん)       
          
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2 コメント

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Unknown (Unknown)
2008-08-12 15:23:44
私は中城村登又に17年程前に移住しており、PTAで陶芸教室を開催したときに與那覇朝大画伯に世話になったことがあります。その際、先生のお側に寄り
添っていた吟呼さんを覚えております。
その時は、とても綺麗な若い奥様がいて羨ましいと思っておりましたが、歌手だったとは知りませんでした。
 私は、絵のことはよく分かりませんが朝大画伯の絵は素晴らしいと思います。朝大画伯が沖縄や日本のみでなく、世界的に評価される時が来ることを待ち望ん
でおります。

吟呼さんについて (ヤヤ)
2015-04-26 08:51:25
朝大先生の生前をよく知っています。絵を教えて貰っていました。
吟呼さんと結婚した時は、本当にびっくりしました。えっ!てね。
先生は、美しい方とばかり結婚するんだなーってね。吟呼さんのお母さんも歌手だったとはーーー親子すごいですね。

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