いつの時代、どこでも同期自慢はありますが、先日の同窓会で改めて我が那覇高12期の自慢に浸りました。ラ・サール、灘、浦高、日比谷・三田等々の全国有名高から見ると、この自慢話は苦笑、笑止でしょうが、偏差値全国最下位の復帰前の沖縄での、我が那覇高校12期の奮戦記に暫し我慢お付き合いを!(^-^*)。勿論、その頃は、現在では有数の沖縄県内の昭和薬科や、開邦、国際、尚学等々の進学校はまだ存在していない時代。
当時の沖縄県内のエリート就職先と言えば、県庁、琉銀、沖電等々でしたが不思議なことにこうした県内企業の上層に我が12期同期は余りいないのです。これは当時の私達世代には“北へ!”という本土就職志向があったのかも知れません。例えば、当時東京駅八重洲南口の東京ビル「琉球新報東京総局」で記者を勤めていた私は沖縄本社勤務を辞退して、退社した経緯事由があります。