漂着の浜辺から
囁きのような呟き。
 




「黄金の眼に映るもの」 カーソン・マッカラーズ著 田辺五十鈴訳
講談社文庫 講談社刊

を読む。

 アメリカ南部の平時の駐屯地を舞台にした、文庫で140ページほどの中編小説。決して長くはないのだが、そのサイズの中に展開されている物語は、唸るほど濃密で、少なくとも倍の長さの小説を読んだような気分にさせられた。
 ことさら登場人物への感情移入を促し、見せ場をつくって盛り上げてゆくような小説ではない。これはマッカラーズの特徴らしいのだが、誰かに自分の視点を重ねることなく、淡々と群像劇を語ってゆく。余計な描写は一切ない。内容もさることながら、筆致も、濃密でありながら非常に乾いたものだった。
 この物語の中には、これといった主人公はいない。とは言っても、もちろん主な登場人物はいる。主要な登場人物は、大きく分けて二つのグループに分けられる。

 最初のグループは、どちらかといえば主役としての位置を与えられた、ペンダートン大尉サイドの三人。
 まずはペンダートン大尉。ウィリアムの上官である。彼はややインテリ風の人物として描かれているが、「個々別々の事実についての知識は随分あるのに、大尉はかつて自分の考えというものを持ったことがなかった」とされている。また彼には軽い盗癖がある。さらには、自らは自覚してはいないが、同性愛の傾向もあり、妻が不倫をしていると知りながら、その不倫相手であるラングドンに惹かれるものを感じている。後には、馬に翻弄された挙句、疲労困憊で草原に横たわっていた自分を素っ裸でまたぎ越していったウィリアム一等兵に心を乱される。自分ではそのことを否定しつつも、激しい葛藤を抱えることになり、愛憎半ばの態度に出るようになる。彼は色々と問題を抱えた、かなり不安定な人物として描かれている。
 それから、ペンダートン大尉の妻であるレオノーラ。彼女は「いささか頭が弱い」とはっきり書かれているが、別に白痴というわけではない。余り物事を深く考えずに、いま目の前にある現在の人生を謳歌する女性という感じ。ペンダートンのことは、やや見下している。美人で、派手なゴシップの対象になることもあったが、実は結婚までは処女だったほどで、その見た目ほどには奔放というわけでもない。もっとも、結婚後に関係を持ったペンダートンの上司であるラングドンとの不倫は、二年ほども続いている。社会的な規範からの逸脱を好むわけではないが、自分のつつしまやかな欲望には比較的忠実、といった程度だろうか。
 最後にウィリアム一等兵。この物語の中で、ジョーカー的な役割を持つ。彼は何を考えているのかわからない、非常にいびつな育ち方をしたらしい青年として描かれている。周りからは、多少不気味に見えているのだろう、友人も敵もいないが、本人は至って淡々とした日々を送っている。キャンディが好きで、しょっちゅう舐めている。幼い頃に女性に対する嫌悪感を植え付けられたらしいのだが、同性愛の傾向があるわけではなく、内に秘めた性欲の放出先を見失っている。そのため、偶然目にしたレオノーラに対して、ピーピング・トム的な行動に出るようになる。彼が、そのピーピング・トム的な態度から、次第に間合いを詰めて対象に近づいてゆく様子は、「ものすごく」不気味である。

 もうひとつのグループは、どちらかといえば脇役側の、ラングドン少佐サイドの三人。しかし、こちらはこちらで、非常に物語に複雑味を添えている。
 まずはペンダートンの上司であるラングドン少佐。レオノーラの不倫相手でもある。乗馬が上手く、自信家で、人の気持ちをわかろうともしないところがある。子供が11ヶ月で死んだ時のことも、大変だった程度にしか感じていない。妻の精神的な危機にも無関心な、自分勝手な男である。
 次にラングドンの妻であるアリソン。難産の末にやっと生まれた赤ん坊の死や、夫の不義をきっかけとして、精神的に病みつつあるが、それにも関わらず、この小説の中では最も親近感を感じる女性である。夫と別れて、召使のアナクレトとともに生活してゆこうと心の中で決めているが、実社会のことをあまり知らないため、頭の中に描かれているのは、実現しそうもない計画ばかりである。心臓に持病を抱えていて、物語の半ばで舞台から退場する。
 最後に、ラングドン家の召使である、フィリピン人のアナクレト。若い頃にラングドン家に拾われてから、ずっと彼らに尽くしてきた青年。特に自分に親切なアリソンのことを崇拝しており(女性として愛しているというわけではない)、彼女のためなら命すら投げ出しかねないほどである。脇役ではあるが、なぜか非常に印象に残る人物として描かれている。

 ストーリーは、むしろ上記の人物紹介から想像していただいた方がいいだろうと思うから詳しくは語らないが、この六人が互いに関わり合いながら、最後には悲劇的な結末を迎える物語である。正確には、もともとあった二つの家庭の不安定な状態が、ひとりの人間が入り込んできたことによって急激に沸騰したという感じか。物語が終わった時点で、二人の人間が死に(一人は殺され、一人は病死)、一人が姿を消している。マッカラーズはそうした物語を、醒めた筆致で淡々と綴ってゆく。その語り口に、物語の結末にはなんら不自然さを感じることもなく、必然的な結末であったと納得してしまう。そうして読み手の心に残されるのは、感動でもなければ面白かったという手応えでもない、何ともいえない茫漠とした感情である。しかしそうした荒い粒子を掴むような頼りない空虚さは、優れた文学作品を読み終えた時に、時折感じるものではないかと思う。
 小説としての完成度も見事だし、おそらくはゲイ小説としても名品の一つに入るのではないだろうか。ストーリーだけを取り出してみれば、仮に萩尾望都が漫画化したとしたら、似合い過ぎるんじゃないかと、ふと思った。
 ちなみに、(あまりセクシャリティの問題を持ちだして、この作品のことを語るのも野暮かもしれないが)作者のカーソン・マッカラーズには同性愛の傾向があったらしい。平凡社ライブラリーから出ている「レズビアン短編小説集――女たちの時間」には、彼女の書いたレズビアン小説の短編が収録されている。


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