漂着の浜辺から

囁きのような呟き。

フィリップ・K・ディック『ヴァリス』

2020年01月16日 | 読書録

フィリップ・K・ディック『ヴァリス』(山形浩生訳/ハヤカワ文庫SF)読了。

 かつて80年代にディックがブームになった時、この『ヴァリス』に始まる三部作は特別な意味を込めて語られていたように思う。ほとんど、ディックという作家を神格化してしまいかねないような勢いで。実際、サンリオから出ていた大瀧啓裕訳は非常に難解な印象だった上に、これでもかというくらいの注釈が巻末につけられており、しかもカバーにはシュルレアリストの藤野一友氏の絵が使われていて、「これはちょっと違うぞ」という匂いがプンプンと漂っていた。ぼくは読もうとは思ったものの、どうしても読めなかった。で、敗けた気分で今までいたわけである。
 ところが、ここに来て山形浩生氏による新訳が出た。
 『ヴァリス』はディックの作品の中でも特別な位置を占めており、難解な問題作であるというのが、長らくなんとなく皆の了解の中にあったように思うけれど、この新訳版を読めば、ディックはやはりディックなのだということがよく分かるのではないかと思った。この作品を難解であるとさせてきた主な原因であろう、作中で展開される神学談義は、言いたいことがわからない訳ではないが、はっきりいってきちんと理解できる方がどうかしてる。ディック本人も、それがイカれていることが自分でよくわかっているから、作中で人格を二つに分けて、醒めてそれを見ている自分を登場させているのだろうし。ファットの語る神学は理論的なものではなく、耐えられない哀しみに直面した人間が、その哀しみを受け止めるためにつくり上げた、自らを慰めるための神学にすぎず、初めから他人に理解されるとは考えていないに違いない。
 この作品から浮かび上がってくるのは、難解なディック神学ではなく、不器用な優しさゆえに身を引き裂かれる思いにのたうちまわり、挙句に周りまでがっつり巻き込んで、涙にまみれたディックの痛々しい姿である。人が最後の救いをオカルトに求めようとするその姿を、混乱に呑まれて泣き崩れながらも、それでも真摯にみつめて、ある程度は醒めた知性を通して自嘲的に、絞りだすようにして描き出した偉大なる失敗作がこの『ヴァリス』なのではないか。そういった意味で、やはりディックの遺した傑作のひとつであることに間違いはないと思う。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿