漂着の浜辺から

囁きのような呟き。

石野重道『不思議な宝石』

2019年07月04日 | 読書録

石野重道『不思議な宝石』(盛林堂ミステリアス文庫)読了。

 石野重道の名前は、稲垣足穂の代表作のひとつ『黄漠奇聞』の原型となったという石野の散文『廃墟』との関連性で取り上げられることがほとんどであり、他の作品への言及はほぼされてこなかったし、知られてもいなかったようで(ダダイズムの文芸誌『GGPG(ゲエ・ギムギガム・プルルル・ギムゲム)』の同人であることはそれなりに有名だったようだ)、ぼくも先日未谷おとさんから伺うまで、全く知らなかった(あるいは気に留めたことがなかった)。しかし、手元にある足穂の本を見当をつけてざっとあたってみると、確かにいくつかには彼の名前が見られる。
 たとえば『随筆ヰタ・マキニカリス』には「衣巻省三並びに石野重道は、関西学院中等部では私の一級下であったが、学校では殆ど関係はなかった。共に卒業後において親しくなったのである。(中略)『彩色ある夢』の著者、石野重道は、「レッド・イシ」で、これはショールと靴下が雛ゲジ色であった」とあり、また、自作を解説した『タルホ・コスモロジー』の『黄漠奇聞』の項には、「大正十年の新緑の候に、明石の公会堂で神戸の長田教会の親睦会があった。私の友人の石野重道がこれに加わっていたので、私は出向いて、濤声が聴える廊下で石野に向かって『月取り物語』のすじを語ったところ、聞き手の方が自分より先にそれを書いてしまった。それは二十五枚くらいだったが、この石野文を元にして、私は改めて八十余枚を、例の渋谷の化物屋敷の三階で描き上げたのであった。(略)石野の『バブルクンドの滅亡』は、彼の非常に特色のある散文詩集『彩色ある夢』の中に収められている。これは彼の自費出版で、新潮社刊、佐藤春夫の序文が付き、私が装幀を受け持った。(略)私の『黄漠奇聞』の書き出しが石野調の微分なので、いったん中央公論に発表されると、その最初の数行がかなり世間に広まったようである」とある。
 その彼の唯一の著作本である『彩色ある夢』は、前掲書で足穂も書いているように、後に古書価が高騰したというから、足穂ファン(と佐藤春夫ファン)にとっては、確かに気になる一冊ではあったのだろうが、肝心の彼の作品そのものへの評価はほとんどされてこなかったというのが現状だろうと思う。いわば完全に忘れられた詩人であり、今回こうして、まるで導かれるように、古い雑誌の中からいくつかの彼の手になる童話が、おそらく世界一のダンセイニファンでなかろうかというをとタン、もとい未谷おと氏の目に触れてサルベージされたというのは、ダンセイニが繋いだ奇縁というか、ほとんど奇跡に近い僥倖とさえ言えそうだ。
 収録作品は全部で十作品。なかなかバラエティに富んでいて、純然たる創作童話からナンセンスな作品、宗教説話風作品、ギリシャ神話のナルキッソスの物語を書いたものまであるが、興味深いのはもちろん、彼の手になる創作童話である。
 表題作の『不思議な宝石』は、悪魔の悪戯に翻弄された宝石商人の話。悪魔が投げたただの石を珍しい宝石だと思い込んだ商人は、一生懸命にその石を研磨するが、一向に宝石らしさがでてこない。嫌になって放り投げたところ、実はそれは太陽の光を吸い込んで夜に輝く夜光石だったということが分かり……という物語。
 『夜の国の物語』は、太陽の光が射したことのない夜の国を舞台にした物語。最初に読んだ時には、「おお、『ナイトランド』じゃん!」と思った。ちなみに、この作品が発表されたのは1925年で、ホジスンの『ナイトランド』は1912年。年代的には矛盾はないが、さすがに影響を訝しむには無理がありそうだとはわかっている。ホジスンファンのぼくが勝手に盛り上がっただけである。しかしこの時代に、どこかシュールレアリスティックなイマジネーションに溢れた象徴的物語を紡いだことには素直に驚かされる。また、星を捕まえてきて街を照らす光とするというこの物語は、一見足穂的のようだが、読み終えた時に感じる印象はかなり違うように思った。石野の作品には、足穂とは違って、私小説的なところがほとんど見られないのがその理由なのかもしれない。
 『不思議な塔』も注目に値する作品。空の色を染料にするというアイデアは、やはり足穂的のようにも思えるが、『夜の国の物語』と同じく、その寓意性のせいか、受ける印象はやはり違うように思える。ロシアやヨーロッパへの憧憬を強く感じる石野の作品には、足穂のようなポップなセンスはないが、代わりにどこか昏いロマンティシズムとセンチメンタリズムがあるように思える。ところで、ブルガリアの作家にスヴェトラスラフ・ミンコフという人がいて、『ルナチーン! ルナチーン!ルナチーン!』という作品を書いているのだが、これは月の光を精製してロマンスを感じさせてくれる薬を精製するという物語。発想が似ているので、ふと思い出した。
 『セデアとお星さま』は、月が星を呑んで明るく輝くのを見て、自分も星を食べれば元気に鳴るに違いないと考える、病床にある男の子の妄想が紡ぎだす物語。この透明なやるせない寂しさは、静かな余韻を残す。
 石野の活躍は、ほんの僅かな期間だけだったようだが、この本に収録された作品が紡がれたのは、すべて大正13年から14年にかけて。大正ロマンに陰りが見え、その時代に束の間咲いた徒花にも似た、彼のような作家が生きづらい、軍靴の響きが聞こえ始める、暗い昭和初期へと向かおうとしていた頃。大正14年には、普通選挙法とともに、治安維持法が制定されている。石野道重の童話は、もしかしたらそうした時代の狭間の路傍に放り投げられた、ある種の人々の目にのみ輝いて見える、不思議な宝石なのかもしれない。