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『土屋備前守軍役人数書立に見る戦国』

2016-07-10 14:25:52 | 郷土史
  『土屋備前守軍役人數書立に見る戦国』
                                            清水太郎
   はじめに
  御北条氏の家臣団についての研究は、杉山博・下山冶久編『戦国遺文・御北条氏編一~六巻』及び下山冶久編『戦国遺文・御北条氏補遺遍』の完成によって容易になった。また、二〇〇六年九月二〇日に下山冶久編『御北条氏家臣団・人名辞典』の出版によって、尚一層前進した。すでに下山冶久氏は『八王子城主・北条氏照』を平成六年十二月十五日に出版されており、その精力的業績は多いに評価されている。地域史では後北条氏の遺臣について『多摩のあゆみ』第四十六号(昭和六十二年二月)が「特集・近世初期の多摩」で詳しく触れている。本稿は着到状「土屋備前守軍役人数書立」の書かれた背景とその時期、及び名を連ねた家臣についての詳細をできる限り明らかにして行きたい。
五日市街道の終点は東京からJR五日市駅を過ぎて、あきる野市五日市出張所の信号のある右手にある栗原呉服店の一角であろう、ここはかって五日市村の下土屋勘兵衛の屋敷であった(あきる野市五日市一番地)。この上隣が、今はりそな銀行になっているが、上土屋常七の屋敷跡である。雄山閣版『新編武蔵風土記稿』第六巻五八頁には、この土屋氏について次のように記されている。
 舊家 百姓勘平 先祖は甲州武田家の家臣土屋右衛門尉直村の三男にて、土屋越後守宗昌と號せしが、天正十七年當村へ來りて農民となれりと云う、家に古き鎗一筋、薙刀一振、及家系を所持せり、やりは直鎗にて穂長さ五寸八分、柄九尺許、薙刀は身の長さ一尺三寸五分、ものに會ひしとみえて丒三四ヶ所缺てあり、柄は五尺六寸、いずれも赤銅かなもの、鐏は鉄なり、皆無銘ものもにて、最古色にみえたり、
 杉山博・萩原龍夫編『新編武州古文書上』に〔旧五日市村名主勘平所蔵土屋氏〕の「一二八 土屋備前守軍役人數書立」がある。この古文書は、下山冶久著『八王子城主・北条氏照』に「三二〇 北条氏照着到書立写 諸州古文書一二」としてあり、下山氏の解説に次のようにある。
「大石惣四郎や土屋豊前守は氏照の家臣。氏照の軍勢の実状がよくわかる貴重な文書である。安積弥五郎以下名前の見える侍が寄親で、その上の人員から寄親一人分を除いた人員が寄子になる。合計一四人の寄親に七八人の寄子がついている。馬上侍は大石惣四朗と土屋備前守の二人。それにしてもこれだけ員数がいて、鉄砲が一挺とはいかにもすくない。天正初年か」。
 三二〇 北条氏照着到書立写 諸州古文書一二
   一丁弓

六人上下  一丁やり   安積弥五郎    
       一本さし物
       二人手明
  此外  安藤
  歩弓   栗原
      以上
         やり一本
五人上下  一本さし物  守留藤左衛門
       二人手明
   以上 
やり一本
 五人上下  一本さし物   倉林弾正
       二人手明
      以上
       一本やり
 三人上下  一本さし物   羽生源七郎
   以上
       一本やり
 三人上下  一本さし物   豊泉和泉
   以上
       1本やり
 三人上下  一本さし物   豊泉与一
   以上
       1本やり
 三人上下  一本さし物   池上平三
   以上
       二本やり
 六人上下  一本さし物   志村将監
       二人手明き
   以上
       1本やり
 五人上下  一本さし物   志村甚二郎
       二人手明き
   以上
       1本やり
 十一人上下 一本さし物   月齋

 八人手明
   以上
       1本やり
 六人上下  一本さし物   広瀬殿
       三人手明
   以上
       一本鑓
 六人上下  一本さし物   東三郎左衛門殿
       三人手明
   以上   
 十四上下  大石惣四郎
   此内
    騎馬    神保宮内
    鑓持    弐人
    差物持   二人
    手明    八人
   已上十四人
 十四人上下         土屋備前守
   此内
    騎馬    安藤彦二郎
    鐡砲    安田伝右衛門
    歩鑓    伊藤弾左衛門
          向風次右衛門
     一人ハ腹中
     煩高坂ニ差置申候此由由木ニ申断候
    四丁鑓 持□…□四人

  一 着到状の時代と背景

 着到状は武士が変事や合戦にあたり、はせ参じたことを上申する文書。大将または奉行の承認の文言と花押(証判)をもらって、後日恩賞請求の証拠とした。鎌倉後期から南北朝期に多く用いられた。本稿の着到状の上申者は土屋備前守某であり、奉行は由木である。由木氏には、天正五年十一月七日の由木奉之の北条氏照朱印状(網代文書)と天正七年六月六日の北条氏照朱印状(新井文書)の由木左衛門尉の二家があった。本稿の由木は天正十八年六月二十三日、八王子城で討死した由木豊前守であろうと思われる。氏照の家臣団には「由井衆」がいるが、筆者はこの着到状はむしろ、「由木衆」のものであろうと思はれる。
北条氏康は元亀二年(一五七一)十月三日に没した、五十七年の生涯であった。武田信玄は天正元年(一五七三)信濃の駒場で没した。上杉謙信は天正六年(一五七八)三月十五日脳溢血で没した。そして、織田信長は天正十年(一五八二)六月二日未明に明智光秀によって本能寺で自刃させられた。このように元亀二年から天正十年にかけては戦国武将の交代期といえる。そして、豊臣秀吉、徳川家康によって戦国の世は終焉するのである。
 北条氏康の六男は景虎で、天文二十三年(一五五四)の生まれと伝えられている。幼名、西堂丸。永禄十二年(一五六九)末から元亀元年初めに、久野北条宗哲の婿養子になり、元服して、久野北条氏当主歴代の仮名の三郎を称した。次いで同年三月に越後上杉謙信の養子になって、越後に移り、謙信から前名を与えられて景虎を名乗った。天正六年(一五七八)三月の謙信死去により、義兄弟の景勝と家督をめぐって抗争したが、敗北、同七年三月二十四日に死去した。享年二十六歳、法名徳源院要山浄公とされる(花ヶ前盛明「越後長尾氏系図」『上杉景勝のすべて』)。
 永禄十一年(一五六八)十二月に武田信玄は北条・上杉・武田の三国同盟を破棄した。駿河侵攻である。山国の甲斐は海のある駿河を目指していた、今川氏真は北条に助けを求めるより方法がなかった。これより、駿河は武田信玄・徳川家康の狩場となる。最終的に氏真は北条氏を頼り小田原に亡命する。北条氏は元もと駿河の今川氏より西、京を目指すつもりはなかった。早雲の代から始まり、伊豆・相模・武蔵・関東へと北条氏綱・氏康が領土を広げていったのも、今川氏の代理として関東の静謐を図るという大義名分があったからである。氏綱の代に北条の名跡を称するのもそのあらわれである。
 信玄の駿河侵攻は北条氏の外交政策を大転換させた、謙信との同盟を図ることであった。氏康の三男氏照・四男氏邦は謙信に書状を送り、同盟の成立に向け動き出す。永禄十二年(一五六九)六月に成立を見る。越相同盟と称した。条件は①関東管領の譲渡、②領土割譲、③養子縁組にまとめられる。
関東管領の譲渡とは、北条氏のその地位を謙信に譲ることである。これは両氏間の身分関係にも変化を生じさせた。三月までは北条氏は謙信を「上杉弾正少弼殿」と宛名書きして、対等の大名として扱っているが、四月からは「山内殿」と宛名書きし、関東管領として目上の扱いに変化している。
領土割譲については、現状で北条領国となっている東上野・北武蔵が焦点であり、上野は上杉本国ということで謙信に割譲されることとなった。武蔵は基本的には北条氏の領国とされたが、かつて上杉氏の勢力下にあった藤田・秩父・成田・岩付・松山・深谷・羽生の各国衆領の帰属が問題となった。北条氏は基本的に割譲に応じるが、藤田・秩父領は氏邦の支配領域、岩付領は直接的支配領域となっていたように、現実的には難しかった。そのためそれは謙信の自力次第とされた。結局、これ以前から謙信に従っていた羽生領、この同盟を機に謙信に従属した深谷上杉憲盛の深谷領だけが、謙信方に帰属した。
養子縁組は、氏政の子が謙信の養子となってその名跡を継承する、というものである。六月の時点で、その養子には氏政の次男国増丸(のち太田源五郎)が予定されていたが、十月には氏政はあまりに幼少であることを理由に、難色を示している。結局、翌元亀元年(一五七〇)二月には、養子は氏政の末弟三郎に変更された。三郎は、三月五日に小田原城を出立、同十日に沼田城に到着し、翌日に謙信に従って越後に入り、同二十五日その本拠春日山城(上越市)で養子縁組を遂げて、謙信からその初名景虎を与えられ、上杉三郎景虎と名乗った。この養子縁組は、この同盟において実現された関東管領職や領土の譲渡を保証するものであった。そのため、後に同盟が破綻しても謙信は景虎を離縁しなかった。景虎が存在していれば、北条氏もそれを尊重せざるをえず、それらの契約内容が維持されたからである。後の越後御舘の乱による景虎の滅亡をうけてはじめて、上野支配権を主張するようになる(黒田基樹『戦国北条一族』)。
戦国を考察する時に特に注意することがあるように思う。男色(なんしょく)の問題である。信玄・謙信・信長は皆、男色で有名である。しかし、また女色も行っていた。謙信だけは例外であるらしい。北条氏綱の娘は足利晴氏の室となり、芳春院と呼ばれたが絶世の美女であった。古河公方を味方にするのが目的である。氏康の六男、三郎も美男であった。北条氏は男の欲望を巧みに使い分けたのである。氏照はこの叔母と弟のために尽力している。
筆者が謙信と三郎景虎の養子関係に拘泥するのは、両人が男色であったことだけではなく、本論の「土屋備前守軍役人数書立」の時期が、天正六年八月中旬、北条高広・景広親子は北条氏輝・氏邦らとともに関東勢四万を率いて景虎助勢のため厩橋より南魚沼郡上田城に達し、坂戸城の深沢利重・栗林政頼らを攻撃した(『前橋市史通史巻一』)。此のことに関係あると思われる。
『武州古文書上』には百姓勘平(土屋氏)が佐野宗綱より結城晴朝に送った書状の寫を持っている。そこに「…仍北安厩橋之地開渡之由…」とあり、全文は不明な点も多いが、日付は、九月廿四日 結城殿御報と記されている。
氏照が下野方面に人員や物資を送るのには所沢市にあつた滝の城を使ったのではなかろうか、清戸(清瀬市)には番所が置かれていた重要地点である。そして、下総方面にも近い。「土屋備前守軍役人数書立」の最後にある部分に「…一人ハ腹中煩高坂ニ差置申候此由由木ニ申断候…」とある。これより推測すると高坂(坂戸市高坂)は北に偏っている、下野・下総方面への移動ではなく、上野の厩橋方面への出動であつたと思われる。

二 天正期における北条氏照家臣団

【安積弥五郎】 本稿の着到状以外にその名はない。
安積氏はその出自を陸奥国安積郷とするが、各地に異流がある。「アサカ」氏は安積臣、大伴安積連、伊東流、がある。「アズミ」氏は播磨国宍栗郡安積保の下司公文職をもつ国御家人で、「嘉吉の乱」では赤松満祐の家臣として、安積監物行秀が知られている。

【守留藤左衛門】本稿の着到状以外にその名はない。
留守氏は頼朝の奥州征伐後、陸奥国留守職に任命された伊沢左近将監家景を祖としている。二代家元以降、留守を称した。留守氏は多賀城国府周辺の「高用名」と呼ばれた地域の地頭で、初期の居城は、利府の加瀬あたりと考証され、代々塩釜神社の神主として強い支配力を有していた。十二代詮家の応永年間より、家督相続などで大崎・伊達氏の干渉を受けることが多くなり文明年間に伊達持宗の子郡宗が十四代を相続し、完全に伊達氏の勢力圏に入った。この一族か。
【倉林弾正】 徳川家康に仕えた倉林弾正の名がある。『寛政重修譜家譜』に次のようにある。
●友則(弾正の父)刑部大輔 北条氏輝に仕へ、天正十八年四月前田利家武蔵国松山の城をせむるの時、友則援兵となりてかの城に籠り、防戦して討死す。法名善慶。●昌知 四郎兵衛(弾正の兄) 小田原没落ののち、武蔵国八王子の眞學寺にあり。天正十八年九月めされて東照宮に勤仕し、のち尾張大納言義直卿に附属せらる。●則房 弾正 五郎左衛門 今の呈譜秀房に作る。小田原落城ののち、兄とともに八王子の眞學寺に寓居す。そののち相模国藤沢の遊行寺にをいて東照宮にまみえたてまつり、御家人に列し、武蔵国都筑郡の内に於いて新墾田をあはせ、采地百六〇石餘及び月俸三口を賜ひ、後關原の役をよび大阪兩度の御陣に供奉し、其のち川越に住し、御鷹塒飼をつとめ、御代官をかぬ。寛永二年十一月十一日後朱印を下さる。三年かの地にをいて死す。年七十六.法名機珊。
倉林和泉守 『町田市史』五八七頁に〔…市内小山町の島崎兵吉家所蔵の『覚書』(宝暦七年正月)に弘冶元年正月に主君の倉林和泉守家次から「島崎三郎次吉」の名乗り下賜わされた同家の祖が…〕とある。

【羽生源七郎】 本稿の着到状以外にその名はない。
日の出町平井川流域には広く板碑が分布している。そして、中世には大久野七騎(和田・羽生・清水・小山・田中・野口・浜中)という武士団が存在した。同地の中羽生家の過去帳に次のような記載がある。
惠日院殿本寥陽心居士  平山兵部大輔景季
耕徳院天信道祐居士   羽生伊賀守 天正十七年八月廿日
義峯院正安全通居士   大膳事羽生彦右衛門 慶長八年正月廿七日
中羽生家には「創羽生大権現記」と記された板版があり、そこに、〔…中羽生伊賀父子北条氏尚公事相劦小田原領先地未幾北条氏羽生餘裔為農業凡九十年…」是時延宝八歳庚申天…〕と記されている。

【豊泉和泉】本稿の着到状以外にその名はない。
【豊泉与一】 本稿の着到状以外にその名はない。
北条氏照朱印状(和田文書)に、甲子五月廿三日(永禄七年)清戸三番衆、三田冶部少輔以下に「…豊泉十兵衛・同かけゆ・同隼人・同惣五郎・同半十郎・同惣二郎…」の人々がいる。氏照は青梅(青梅市)の辛垣城の三田綱秀を滅ぼして、旧臣の三田冶部少輔の引率する師岡采女佑秀光以下四〇人の侍衆を配下に加え、清戸番所詰めの守備隊として組織した。
『新編武蔵風土記稿』「巻之百六十、入間郡之五」の中神村、豊泉寺開基豊泉左近将監、天正三年九月十二日卒す。法名豊泉院名山大譽居士。小谷田村、舊家七兵衛。豊泉氏なり、先祖は小田原北条氏に仕え、後浪人となり、左近将監と云し由、何の頃より爰へ土著せしや、その所以は知らず、中神村豊泉寺を開基せし事は其村の條に辨せり。
【池上平三】 着到状以外にその名はないが、池上将監丞の一族である可能性がある。
○北条氏照の家臣に池上某がいる。天正五年(カ)七月五日北条氏照書状(金上文書)では会津黒川城(会津若松市)の城主芦名盛隆と北条氏照との外交交渉で使者に赴いた。天正十四年九月二十六日北条氏照判物写(佐野家蔵文書)では下野国鹿沼(鹿沼市)への加勢として氏照の家臣小野田源太左衛門尉と池上将監丞等を派遣し、軍律を守るように申し渡す。
○八王子城横山口(八王子市元八王子町二丁目通称石神坂)に池上新右衛門道善の屋敷があったと言われる。元禄二年には氏照の旧臣の子孫であろうと思われる、池上新右衛門が讃州高松家中にいる(『多摩文化』第十四号)。
慶長十三年(一六〇八)、徳川家康はその子頼房を水戸に封ずるにあたって、附家老として、元北条氏の家臣で勇名をはせた中山勘解由の子・信吉を選んだ。中山氏は戦国期、飯能市中山周辺の土豪であり、北条氏に仕えていた関係であろう、配下の者一七名を、北条の遺臣たちから選んだらしく、この中には青梅市域内から「清戸三番衆状」に名が出てくる、富岡あたりの久下兵庫助、厚沢の住人若林作兵衛、二俣尾居住の神田伊兵衛、師岡の住人で、後に吉野織部之助に協力して新町開拓を行った池上新左衛門らが含まれていたが、いずれもその後間もなく水戸家の仕官を辞し、帰村してしまった(滝沢博「帰農した地侍たち」『多摩のあゆみ』第四十六号)。

【志村将監】 あきる野市上代継の志村氏と八王子市元八王子町志村氏の二人の将監がいたと思われる(後述)。
【志村甚二郎】出自不明。志村将監とは兄弟か、その一族。
○八菅山大権現は戦国初期の永正二年(一五〇五)兵火の罹り焼失したので、天文十年(一五四一)に再興されたと思われる。当地の地頭は内藤康行、代官は志村昌瑞と見える。志村氏は遠山氏の被官であろうと思われ、後北条氏の家臣で江戸衆の武士にも志村氏がいる。
志村氏は武蔵の名族豊嶋氏の一族で、武蔵国豊島郡志村郷(東京都板橋区)を本拠とする鎌倉武士の出身で、戦国時代には早くから北条氏の家臣となっていた。天文十年十一月二日には、北条氏康から武蔵川越城(埼玉県川越市)での戦功によって志村弥四郎に感状が与えられた(『諸名将等感状集記』所収文書)。志村昌瑞はその一族であろうと推定される。享徳の乱の頃には、志村氏は扇谷上杉氏の配下に属しており、同じく扇谷家に仕えた内藤氏の被官になったものと思われる。
○東京都下の檜原村にも志村氏を名乗る武士がいるが、江戸志村氏の一族であるか否かは不明である(『城山町史』)。現本村の志村氏は数戸あるだけだが、前記御銅帳、文禄四年(一五九五)の所に志村大隅が記され、下川乗、清水章好家文書(天正元年~天正十年の年記が見える)にも馬場・志村仁左衛門が記されている。志村大隅は平山六人衆の一人と言われている人であろう(『檜原村史』)。
○あきる野市の志村将監 あきる野市上代継の志村行次宅には、慶長十年(一六〇五)一月二十日付の大久保長安署名の折紙がある。内容は志村将監殿老母が「御入候後、家にかかり候、むね(棟)役幷屋敷年貢我等方よりわきまへ指上候而、右分被申付間敷、其上田畑とも年貢さえ取被申候者、かかり役之儀一切可被致無用候」というものである。同家のは二種の系図が所蔵されており、その一つには「東武多摩郡阿伎留郷代継村居住 志村将監吉次 天正九乙巳二月廿日切腹 法名青透院殿功山道無居士」とあり、他の方は「東多麻郡阿伎留郷代継村居住 志村将監吉次 慶長十七年乙巳二月廿日切腹 法名切山道無居士 母号昔鑑栄秀大姉 同年七月二日死」と年次が違っている。志村家は武田家の旧臣であり、系図にある将監吉次の切腹と、所蔵の大久保長安署名の折紙がどのように関係あるのか、今のところ不明であるが、後日再検討を加え、改めてこの文書の全文と史料価値について紹介したいと思っている(村上直氏『多摩文化第二十一号』)。
○八王子市元八王子町の志村将監 〔『新編武蔵風土記稿「巻之百四 多摩郡之十六」』〕に「…百姓清左衛門、小名中宿に住せり、先祖を志村将監と云、北条の家人なり、落城後こゝに隠逸せりと云う、…」とある。この志村将監は慶長の中頃に八王子権現の再興に尽力している。同市下恩方町の山本康臣家所蔵の『三ッ鱗翁物語巻五』は志村景殷によって加筆さてたようであるが、文中に「…志村将監景光…」とあり、八王子城戦での活躍が詳しく記されている。この『三ッ鱗翁物語』の作者は不明であるが、この志村氏のように思われる。隣家の志村茂氏の家伝によれば、八王子城を定めた折に廿里山で兄弟が出会って現在地に来住したようである。
○あきる野市引田には、引田城があり、旧武田家臣・志村景元の居館跡と言われている。この志村景元は慶友社版『武蔵名勝図会』(植田孟縉著)四二九頁に次のようにある。
古額 山王社に掲ぐ、堅七寸八分。幅五寸五分。絵は猿が馬を牽く図を高彫せしものなり。裏銘も彫り付けたり。
古額の裏銘
武州多西郡引田村当領主日奉朝臣平山右衛門大夫也。此家中
令知行当所内、有山王権現古跡、中絶年久者也。忝信某得心
過去因現在果未来業、今歳天正十七己丑奉再興新殿一宇、次某
自男号角蔵者十七歳而刻之、奉寄進当社也。仍而如件
        甲州鶴郡鶴川組生 志村肥前守景元(花押)

 所願成就令満足      引田真正寺
 この志村肥前守景元は引田の正音寺を開基したとされ、正音寺は現在、無住で引田の真照寺の管理となっている。この正音寺の裏山「中平」に舘をかまえ、八王子城の落城の際に自刃した悲劇の人である。地元の言い伝えに「馬場坂で馬の訓練をし、乗馬姿の美しい殿様であった。」とある。この志村肥前守景元と八王子市元八王子町の志村将監景光とは同族と思われる。
 志村氏は『甲斐国志』等に「小笠原長清の孫、伴野太郎時直の後裔・右近允真武、信濃国佐久郡志村にありて志村氏を称す。大永年中当国に来たりて武田氏に仕う、其子に鷹山重右衛門栄貞・志村太郎右衛門貞盛・又右衛門貞時等あり」。この志村氏は千人頭の志村氏である。家紋は一文字、替紋五丁字。八王子市元八王子町の志村氏の家紋は三丁字である。
○千人頭の志村又左衛門貞盈は、天正三年(一五七五)五月長篠合戦の時山縣昌景の首を背旗に包んで必死に逃げ帰ったと伝えられる。天正十年三月武田家滅亡の後に千人頭河野但馬守通重と共に北条氏に仕えたと思われる。
 小田原市下堀地区に「穴部国府津線関連遺跡」がある。遺跡は小田原市の中央部、JR鴨宮駅の北方約一、七キロメートルに所在し、遺跡の南側には中世土豪の舘跡とされる「下堀方形居館」がある。ここは甲州武田氏の家臣であった志村氏が、武田氏滅亡後、小田原北条氏に下った際に下賜された土地であると伝えられている。
○武田信玄の四女於松は武田家滅亡の際、北条氏照の元に避難してきた。その時警護にあたって付いて来た家臣に志村大膳がいる。
【月齋】 月斎吟領(げっさいぎんりょう)
 武蔵国滝山城(八王子市)城主北条氏照の家臣。使者を務める。天正八年十月二日北条氏照朱印状写(佐野家蔵文書)では小野田源太左衛門尉に武田勝頼との戦いに出陣を命じ、先駆けを申し渡した。奉者は吟段とあり吟領の間違いか。年未詳初春(一月)七日月斎吟領書状写(寺院証文一・四二六一)では古河公方の奉行月輪院道久に新年の挨拶を述べ、五明(扇)と芳名(茶)を贈呈された礼に杉原(紙)を贈呈した。「月斎吟領(花押)」と署名。天正十八年正月十七日北条氏直書状(仙台市博物館所蔵伊達文書・三六一七)では奥州会津黒川城(福島・会津若松市)城主伊達正宗に北条方に味方して出陣の事を聞いて甲冑を贈呈し、月斎吟領を使者として派遣すると伝えた。以前から北条氏と伊達氏の交渉役は北条氏照の役であり、そのために月斎吟領を使者として派遣した。年未詳九月二十六日北条氏照朱印状写では相模国西郡早川(神・小田原市)海蔵寺に合力として白綿廿把を寄進した。奉者は月斎(吟領)。

【広瀬殿】 着到状以外にその名はない。
 武蔵国入間郡に広瀬荘あり、比呂世と註す。風土記傳に「今高麗郡の内に広瀬村ありしも、此處ならんには、後世郡界の変ずること知るべし」と。また神名式に入間郡広瀬神社が見え(上広瀬村)、法恩寺寶冶元年文書に入西郡春原荘広瀬郷、健治二年文書も同じ、又広瀬社天正十年銅佛銘には「高麗郡広瀬郷」とある。春原荘は入間川左岸の低地に立地しており、現在の狭山市上広瀬・下広瀬に比定される。
甲斐の豪族広瀬氏は八代小石沢筋郡広瀬邑より起る。清和源氏武田氏の族と云う。角田氏の舊記には「一族也」と述べる。広瀬郷左衛門尉景房・最も名あり。一騎當千の士と称せられる。甲陽軍監に初め板垣衆と。又家忠日記等に見える、但し左馬介に作るは非也。大阪役に広瀬左馬助戦死す、郷左の養子かと云う。恵林寺靑表紙日記に「山形三郎兵衛同心広瀬清八、同清次郎、藤次郎」等あり、此處にも広瀬の地あり(甲斐国志)。
巨摩郡の名族に小笠原氏の族あり、中巨摩郡の誠忠舊家録に「山縣昌景衆、広瀬主計輔景則の後胤、天正自後醫術を業と為す、藤田村広瀬周平和泉」とある。東山梨郡八幡邑の名族、又甲府の名族にあり(姓氏家系大辞典)。
○千人同心の広瀬氏 「千人同心由緒之書付 河野与五衛門組 元禄十二年卯十月」
「権現様御代より御奉公仕候 一 曾祖父 本国甲州 生国甲州 広瀬太郎左衛門 病死 一 祖父 本国甲州 生国武蔵 広瀬波右衛門 一 父 本国甲州 生国武蔵 広瀬市郎左衛門 病死 一 御切米高弐拾六俵 本国甲州 生国武蔵 広瀬源左衛門 当卯ニ四十三歳」。逸見敏刀著『多摩御陵の周囲』に次のようにある広瀬氏がこの千人同心の広瀬氏と思われる。
「…御霊明神の裏に広瀬助之亟と云う家がある。この家は八王子城攻めの時、金子曲輪に於いて壮烈な戦死をした、城方一方の勇将金子三郎左衛門尉家重の末だと云う。當時の古文書數通(広瀬家文書)を所持している。現在の姓広瀬は後千人隊の株を買った時以来のものだと云ふ。広瀬は郷八と云ひ、甲州の士広瀬郷右衛門が弟子であって、郷右衛門は高天神城責めのとき家康から賞讃の言葉を賜わった程の大剛の勇士であった。郷八の子孫は後断絶したと言ふから、之の株を買ったものであらう。…」。
【東三郎左衛門殿】 着到状以外にその名はない。
東氏(とうし)は中世の武家で、千葉氏の庶流。桓武平氏。古今伝授の家として有名。鎌倉時代の初めに千葉常胤の六男胤頼が下総国東荘(千葉県東庄町)に住み、東大社の神官(本来の東氏)より名前を譲り受け、東六郎大夫と称したのに始まる。子の重胤、孫の胤行は歌道に優れ、ともに鎌倉幕府三代将軍源実朝に重んじられた。室町時代中期の当主東常縁は古今伝授をうけ、歌人として有名である。東氏は戦国時代に入ると衰退し、永禄二年(一五五九)東常慶は一族(異説あり)の遠藤氏と対立し、遠藤盛数に攻められ滅亡した。
○郡上の東氏に、東益之(一三七六―一四四一)号素明。通称三郎。官途左衛門尉。東貞常の孫で東師氏の養嗣子。歌人として貴顕と交わる。その子、東氏数(????―一四七一)号素忻。通称左衛門・下総守。歌人。その子か、東元胤(????―????)号素通。通称三郎がいる。この一族が、東三郎左衛門殿と同族か。
【大石惣四郎】 もと松田惣四郎のち大石照基と名のる。信濃守を称す。
北条氏政・氏照の家臣。氏照の持城の下野国小山城(栃・小山市)の城将。大石綱周の弟信濃守の養子となり家督を相続。『異本小田原記』巻四に「大石源左衛門綱周の伯父大石遠江守は永禄十二年十月の三増合戦で武田信玄に捕らわれて甲斐国に連行された。弟信濃守の家督は松田筑前守の孫六郎左衛門(定勝ヵ)の弟が継いで大石惣四郎、次いで信濃守をしょうした」とある。氏照の偏諱をうけた側近家臣。天正五年正月足利義氏年頭申上衆書立(東京史料編纂所所蔵・埼玉県史資料編八、六七二頁)には古河公方足利義氏への年頭の挨拶に北条氏政より太刀と扇が贈られ代官として大石信濃守が挨拶に来たので太刀を答礼として贈る。同年四月二十六日北条氏照朱印状(矢島文書・一九〇五)では小山城(祇園城)の諸触口中に小甫方備前守は他国衆のために彼の家臣等の手作地については違乱の無い様にせよとした。奉者は大石信濃守。同年十月十九日北条氏照朱印状(小山市立博物館所蔵大橋文書・一九五〇)では大橋播磨守に下野国都賀郡卒島郷(小山市)内で知行一〇〇〇疋(一〇貫文)を宛行う。同日北条氏照朱印状写(晃程文書・一九五一)では菅谷左衛門五郎に同郡友沼之郷(栃・野木町、小山市)内で知行一〇〇〇疋を宛行う。奉者は共に大石信濃守。天正六年十月二十六日北条氏照朱印状(青梅市郷土博物館所蔵並木文書・二〇二七)では三田谷(東・青梅市)の並木弥七郎に照基が同道して小山城へ向かった。天正八年二月十九日大石照基書状(小山市立博物館所蔵大橋・四七三一)では大橋播磨守に生井郷(小山市)を宛行う。天正十四年七月十八日北条家朱印状写(楓軒文書纂六〇・二九七二)では常陸国の佐竹義重が下野国都賀郡に侵攻し壬生(栃・壬生町)・鹿沼(栃・鹿沼市)方面に向かうため、対する北条氏は小山衆をこの方面に向かわせる事になり壬生へ水海衆の鉄砲・弓衆を五〇人加勢として送り、加勢衆に良い指揮官を付けて大石信濃守の注進次第に小山城に入る事とした。天正十六年十一月二十八日大石照基判物(小島文書・三三九三)では枝惣右衛門尉を小山領の鋳物師の司の任命し北条氏の御用を務めるように命じた。「大石信濃守(花押)」と署名。ただし、当文書は疑問点がある。年未詳五月二日大石照基(ヵ)黒印状(小山市立博物館所蔵大橋文書・四〇九〇)では下野国寒河郡生江郷(小山市)の年貢を四〇貫文と定め大橋氏の諸役を免除する。月日行下に印文「国所」の黒印を捺印。『北条記』では永禄十二年正月に伊豆国三島(静・三島市)に出陣して武田勢と戦っている。また、照基は天正十八年六月二十三日八王子城(東・八王子市)で討死しておらず、松田惣四郎松庵と復姓し、結城秀康に二三〇〇石で召抱えられた(秀康卿給帳)。
○『大石宗虎屋敷とサルスベリ』(八王子市松木一四九一)
「ここは松木台と称し、永禄(一五五八~一五六九)の頃、大石信濃守宗虎が居館を構えていたと伝えられている。宗虎の養子である照基がここを利用したかは定かではないが、屋敷自体は定基が没した元亀二年(一五七一)から八王子落城の天正十八年(一五九〇)の間に廃されたと思われる。また滝山城にある信濃郭も信濃守すなわち宗虎、あるいは照基の屋敷があったと考えられる。宝鏡印塔の前のサルスベリ(百日紅)は、この松木台の屋敷が機能していた頃のものと思われ、樹齢四〇〇年、根もとの周囲三メートル余、樹高十五メートルと近在にもまれな巨木である」。この屋敷内に墓地があり、そこに、忘れられたような小さな墓石が建っている。他から移したものと言われるが、宗虎夫妻の法名を併刻してある。永林寺過去帳とは少し異なるが次のようである。
   蓮心院法性開華大居士(宗虎)
   法蓮院春応妙華大禅定尼(宗虎室)
 この墓石の左側面に「御法名天正七□□…」と微かに判読できる。これによれば、照基の養父宗虎はこの年次に没したと思われる。照基が信濃守を称するのが天正五年頃であり、家督を譲られたのはこの頃であろう。また、『新編武蔵風土記稿』多摩郡城野村(八王子市)譜願寺の条には開基大石信濃守宗虎の墓があると記し「五輪塔の石塔なり、宗虎は滝山城の城主大石源左衛門定久の嫡子にて初は内記と称せり、近郷由木に居館を構ふ、元亀二年六月八日に没せり」とあり、もしくは定基と同人物か。

【土屋備前守】 着到状以外にその名はないが、あきる野市横沢の大悲願寺過去帳によれば、八王子城で討死の人々の名前に「土屋備前」となっている。その記載順序が、「中山勘解由、狩野一庵、近藤出羽、土屋備前……」となっていることから、身分が高かったと推測できる。武田家の土屋氏と関係深い人物と思われる。
○雄山閣版『新編武蔵風土記稿』第七巻二三四頁に、安立郡上青木村の名族として「…宗信寺…寛永六年村民土屋冶郎左衛門が父豊前守追福のため今の地に移し、本寺十九世の僧を請じて中興開基せり、則父豊前守が法諡及び己が逆修の法號を取て、長陽山宗信寺と號すと云、かの豊前守は甲斐國武田氏に仕え、同國にて卒せりと云のみにて、其傳詳ならず、…」とある。
○北条氏照ヵ朱印状写(土屋和夫氏所蔵文書)に「此度才原、敵打捕候、神妙ニ被恩召候、仍俵子被下候、向後弥軽身命於走廻者、御恩賞仁望可被与旨、被仰出者、也、仍如件、
(天正八年)辰(印文未詳朱印)六月八日 土屋五郎左衛門」とある。
〔解説〕天正八年五月十五日、北条氏照の軍勢と甲斐の武田勝頼の軍勢が西原峠(東京都桧原村)で合戦に及んだ。その時、氏照配下の土屋五郎左衛門が戦功をたてた。そこで氏照が感状を与えたもの。西原を才原と書いている(下山冶久著『八王子城主。北条氏照』)。
また、土屋和夫家には、天正八年(一五八〇)卯月十九日柏木野の坂本四郎右衛門繁直と共に、小河内に攻め入り、才藤六を打取ったときに、戦場で平山氏重より賜わった直筆の感状がある。そこに「…土屋内蔵助との」とある。この人物は土屋五郎左衛門であろう。
○雄山閣版『新編武蔵風土記稿』第六巻五八頁に次のようにある土屋氏。
「…舊家 百姓勘平 先祖は甲州武田家の家臣土屋右衛門尉直村の三男にて、土屋越後守宗昌と號せしが、天正十七年に當村(あきる野市五日市)に来たりて農民となれりと云う、…」。土屋右衛門尉直村は土屋右衛門昌次と同一人物であるらしい。土屋右衛門尉昌次は(平八郎・右衛門尉・法名道官)武田信玄家臣。侍大将。金丸虎義の二男。元亀二年(一五七一)、三河賀茂郡の遠征、同三年、三方ヶ原の戦で戦功をあげる。天正三年(一五七五)長篠の戦で戦死した。その子、土屋越後守宗昌が北条氏照に仕えていた土屋備前守の元に来たのである。北条氏が滅亡する天正十八年八月の直前に五日市村(あきる野市五日市町)に来住しているのは、土屋豊前守と同族の縁を頼っての事であろう。武田家が滅亡したのは、天正十年三月であるから、その間の空白がある、何処でどうしていたのであろうか。後に、徳川家に仕ええた土屋氏も同様であるらしい。北条氏家に仕えた土屋氏、今川家に仕えた土屋氏、武田家に仕えた土屋氏がある。徳川家に仕えた土屋氏は『寛政重修諸家譜』にその系譜がある。
○武田家滅亡に際し、上野国(群馬)まで逃げた者がいる。武田二十四将の一人小幡虎昌・昌盛の本貫地である児玉郷に逃れ、帰農したと言う土屋源左衛門、勝頼十六将の一人で軍用金をもって土谷沢(群馬県下仁田)に落ち延びた土屋山城守高久。また、信州の伊那には土屋惣蔵昌恒の子である宗右衛門が瑞光禅院に落ちて来たという、その外、伊豆の下田に土屋外記、勝長、玄蕃の三人が落ち延び隠れ住んだという。
○土屋氏は桓武平氏中村氏族。相模国大住郡土屋村より起こる。中村荘司宗平の子宗遠が土屋弥三郎と称したのに始まるとされている。豊前守氏遠の時、武田氏に仕え家臣となった。それとは別の土屋氏がある。足利氏の一族一色氏満範の弟範貞を祖とする家で、範貞の曾孫一色藤次が甲斐に下り、武田氏の支流金丸氏の家名を継いだ。戦国時代に、金丸虎義の子が土屋氏の家名を継いで、土屋氏となったものである。
○武田家には土屋備前守がいる。岡部忠兵衛晴綱を以て直村名蹟とした土屋備前守である。この人物は土屋右衛門尉昌次の養父であるが、それらの経緯は少し判り難い。長篠の戦いで戦死した。

【由木】 着到状に「由木」とあるが、天正十八年六月二十三日、八王子城で討死した、由木豊前守(道景禅定門)であると思われる。由木主水佑(西竿禅定門)も共に討死しているが、主水佑には、子の西蔵とその姉(妙野禅尼)がいる。主水佑は由木備前守の子か、兄弟であると思われる(大悲願寺過去帳)。天正五年十一月七日北条氏照朱印状(網代友甫氏所蔵文書・一九五六)では武蔵国網代郷(東・あきる野市)の山作の棟別銭を免除した。奉者は由木某。年月未詳二十日北条氏照書状(秋山断氏所蔵文書・三九二一)では大石四郎右衛門尉・大石左近丞に加勢衆として鉄砲一〇挺を七人の衆から出させ、その一人に「由木」とある。
○由木左衛門尉景盛 興真の嫡男。武蔵国滝山城(東・八王子市)北条氏照の家臣。奉者を務める。天正六年三月十七日由木景盛奉納状写(昆陽漫録四・四七二六)では紀伊国高野山(和・高野町)龍光院の内の宗忍房に両親の菩提料として金二両と宗国の刀を納入した。「北条陸奥守平氏照内、由木左衛門尉景盛」とある。天正七年六月六日北条氏照朱印状(新井巳代治氏所蔵文書・二〇八〇)では武蔵国柏原(埼・狭山市)の鍛冶職の荒井新左衛門等に鑓の穂先を納入させた。奉者は由木左衛門尉景盛。東京都あきる野市の大悲願寺の過去帳には景盛の法名は西安信士、慶長十七年十月二十一日越前国で切腹し嫡男源左衛門も切腹した。この時、両名の妻達も殉じた(越前騒動)。
○由木氏は八王子市上柚木・下柚木・南大沢辺を拠点に鎌倉時代から戦国時代までを生きた武士。源姓。中興系図に「由木 源、本国武蔵由木、左衛門尉利重・之を称す」とある。○由木利重の子である存応(観知国師)は増上寺が徳川家康の菩提寺となったときの僧。家康に最初に仕えた僧の一人である。後に、金地院崇伝・南光坊天海がいる。
             
  おわりに
 本稿は筆者の平成十四年二月「天正期における氏照家臣団と志村氏」を全面改稿したものである。当時に比べ、筆者の研究も少しずつ進んでいるが、土屋備前守については不明な所が多く、今後、尚一層の努力を期したい。着到状の氏照家臣達の生きた戦国の世がどの様であったか、今後の研究課題は尽きない。

『忠直暴走』

2016-07-10 13:53:32 | 郷土史
  『忠直暴走』
                            清水太郎
  はじめに
 慶長十七年(一六一二)十月十九日、北庄藩越前松平家第二代藩主松平忠直は前日の久世但馬守・半兵衛親子の討滅に続いて「弓木左衛門入道齋安といへるも、但馬が党人なりければ、これをも誅せよ」と藩兵を繰り出した。徳川実記には次のように記されている。
 台徳院殿御實記巻二十 慶長十七年十一月―十二月
「……討手の者ども多勢塀を乗越攻いれば。但馬は其ひまに女子子兒をばみな落し。其身主従百餘人討手とたゝかひ。家に火をかけことごとく討死す。本多を但馬がもとに使せられしも。但馬がもとにて本多かならず討れんとの謀なりしとぞ。其翌日弓木左衛門入道齋安といへるも。但馬が黨人なりければ。これをも誅せよと討手をさしむくる。こゝにも家人等よく防ぎ。寄手三十餘人を討取て。主従のこらず討死す。上田主水も自殺し。其家人等も寄手多く討取て。其身もみな討死せり。……」
 このとき藩内は戦乱状態に陥り、死者は三百余人にも及んだと言われた。世に言う「越前騒動」である。この弓木左衛門入道齋安こそが、北条陸奥守氏照に仕え、北条氏滅亡の後に徳川家康の二男結城秀康に仕官し、二千石を賜わり、その出頭人となった弓木左衛門尉景盛であった。それは八王子市上・下柚木附近を拠点に中世を生き抜いてきた「土豪」由木氏の最後であった。

  一 越前騒動の顛末
 北庄藩越前松平家第二代松平忠直は、父秀康の病死に伴って慶長十二年(一六〇七)十三歳にして藩主に就任した。秀康は全国から名ある武人を召し抱えたが、幼年の忠直には、家来を充分に統率することができなかった。とくに慶長十六年(一六一一)、久世但馬守の所領する村の娘が同じ村の百姓と再縁(岡部自休入道という町奉行の所領である石森村の百姓と結婚していたが、石森村の百姓が佐渡へ行って三年間を過ぎても帰ってこないため、ご定法に基づいて他に嫁した)した後、石森村の百姓が佐渡から帰ってきて、今の亭主を殺してしまった。自領の百姓を殺されて立腹した久世は、家来に佐渡がえりの百姓を暗殺させた。この私粉を発火点として、藩内は岡部方(岡部自休入道・広沢兵庫・今村掃部助・中川出雲守・谷伯耆守・清水丹後守・林伊賀守)と久世方(久世但馬守・竹島周防守・牧野主殿・本多伊豆守・由木西庵・上田隼人)の二派に分ける抗争に発展した。今村掃部助(岡部方)の讒言を信じた松平忠直は、慶長十六年十一月藩兵を繰り出して久世但馬守・半兵衛一族を討滅したが、合戦同様の争乱は幕府にも聞こえた。同十七年十一月、幕府は本多伊豆守・竹島周防守(以上久世方)、今村掃部助・清水丹後守・林伊賀守(以上岡部方)の五名を召喚して、本多伊豆守・今村掃部助の両名が家康・秀忠の面前で対決させられ、裁断を仰ぐこととなり、本多佐渡守正信が尋問役になって、今村掃部助・本多伊豆守を尋問した。結果は、久世但馬守をひいきにした本多伊豆守・竹島周防・牧野主殿の三人は無罪となり、岡部自休にくみした連中(今村・清水・林・中川・広沢)は全部有罪とされた。今村掃部助らが家中の紛争をとりしずめようともせず、自らの利益のために火の手をあおり立て、久世但馬守を成敗した上に本多伊豆守を窮地におとしいれて殺そうとした陰謀を家康(家康の二男秀康が久世但馬守を誇っていた)が起こったことは容易に想像できる。本多伊豆守の派を勝ちとしたのは、伊豆守が自分の大忠臣であった本多作左衛門の養子で、骨髄からの徳川党であるためとも思われる。こんなわけだから、家康の下した判決は善悪を証明するものとはいえないようである。この騒動は、別名「久世騒動」ともよばれている(「奥山芳広」)。
 忠直の逸話(忠直年譜)
この年(慶長十七年)老臣争論の事について裁断があった。はじめは家老久世但馬守の知行地の民、某(甲)が、故あって町奉行岡部自休の知行地の民某(乙)を暗殺した事が発端であった。そののち、この事件がやっと表沙汰になったとき、この乙の親族が知行主の岡部自休に訴えた。自休はこの事を久世但馬に伝えて犯人の引き渡しを求めたが、但馬は本多冨正・竹島周防守などと協議した結果、犯人を匿い、事件を握りつぶしてしまった。自休は今村掃部助・清水丹後守・林伊賀守らと相談し、中川出雲守から忠直公のこの一件を訴えたが、本多冨正と竹島周防はこのことを忠直に上申しなかった。自休は大いに怒り、「今奸計のために私が訴えても(忠直公の)お耳に入らない。私はこの事を関東に訴え、また家老共の悪を暴いてこの恨みをはらす」と語って直ちに江戸に向かって発足した。牧野主殿助も加勢として従った。忠直公はこの事を耳にし、人を遣わして両人を留め、「このような小事で関東の裁判を仰ぐには及ばない。直ちに戻って但馬と対決すれば、非理は明らかになるだろう。」と論した。両人はこれを受け入れてそうならば何を求めるであろうか、と帰還した。牧野はすぐに高野山に登って悌髪して入道した。忠直公は既に但馬に対して、速やかに対決するようにと命ぜられていたが、但馬は敢えて命に従わず、そのため誅伐をうける事となった。今村・清水・林らはかねてより本多冨正と仲が悪く、この時に乗じて久世と本多が並んで没落することを望んだので、忠直公に対して「今、久世を征伐するのは本多に勝るものはおりますでしょうか。この度の討手は伊豆(冨昌)にお命じになさりませ」と申し上げた。忠直公はすぐに冨昌を召したが、冨昌は危険を感じて府中城を離れなかった。冨昌は人質を賜ることを望み、人質が渡された後に初めて召しだしに応じて北庄城に参上し、十月十八日、命をうけて久世邸に行き、従者を門の外に待機させて但馬と会談した。会談は終わり冨昌が帰ろうとするとき、久世家臣の木村八右衛門が冨昌を殺害しょうとした。但馬はこれをとどめ、「私の最後は今日目前に迫っておる。私の死後、私の存念を語ることができるのはただこの人を頼るのみである。決して手を動かしてはならぬ。」と固く制した。そのため冨昌はわずかのところで免れて門外に出、備え置いた家臣を進めて久世の屋敷に攻め囲んだ。久世方の婦女や老人・子供は前夜全て脱出していたので、精鋭の家臣百五十二人が力を尽くして防戦した。寄手は先を争って攻めたが、屋敷を陥れることはできなかった。翌日になり、但馬は自ら火を放ち、その中に自害して果てた。久世但馬の家臣は討死、あるいは自害して一人も生き残るものはなかった。また、寄手の討死は二百七人出たということである。十九日、忠直公は青木新兵衛入道芳齋・永井善左衛門安盛を使者に立てて弓木左衛門入道齋安と上田隼人に死を賜わった。二人は自害し、家臣は皆戦って討死するものがすこぶる多かった。竹島周防は久世党の頭目であったので、刀を取り上げて北庄城の櫓の中に監禁した。ここに至ってこの越前国内の動乱が関東に聞こえたため、閏十月十八日、書状を遣わして本多伊豆守・竹島周防守を召しだした。今村掃部助・清水丹後守・林伊賀守は本多冨昌が勢いを得てますます権勢を増すのを嫌い、本多らに召しだしの書状が来たのも知らずに三人で大御所(家康)に訴えるべしと、駿府に至った。この時、家康公は猟りで江戸に入ると聞き、江戸に行き武蔵国忍城下で訴状を家康公に提出した。そのとき、既に本多・竹島も召し出しに応じて忍城下に参上していた。たまたま土井利勝が将軍秀忠公の使者として忍城に来ていたので、家康公は利勝に命じて越前諸士の訴えを聞き届けさせた。利勝は今村掃部などの旅館に来て本多などを呼びだし、自らは中央に座して両党を左右に列座させ、訴えの内容を詳しく聞き出して逐一書面に記録し、夜半になってやっと利勝は忍城内に帰ってこれを報告した。家康公は二三行ばかりご覧になって、「この事は江戸で将軍と共に聞こう」とその書面を再び利勝に戻した。十一月二十七日、江戸城西の丸において、家康公・秀忠公は諸士の訴えをお聞き遊ばされた。本多冨昌は「岡部自休が訴える内容としては、私はもとより自休側にその理があると知っていましたが、久世但馬は武名の高い宿老、今農民の訴えにより処罰する事を見るに忍びませんでした。そのため久世の側に立って自休の訴えを聞き入れませんでした。」と述べた。竹島周防に対しては、なぜ先の主人(秀康)の恩を忘れて、幼い主君を軽蔑する但馬に組したことはどのような考えがあってのことか、という質問が発せられた。周防は「私はいままで但馬と親類に縁もなく、交際もありませんでした。ただ、考えると先君(秀康)が越前にお入りになったはじめに、秀康公は『私は国を得て喜んだことが二つある。一つは北陸の要地に拠ることになったことと、二つは有名な士である久世但馬を家臣に迎えることが出来たことである。』と仰って、但馬が佐々成政に仕えて功名が特に多かったことを感心されて他の家臣に比べて厚遇なさいました。先君がこのように愛した人物であったため、私も特に尊敬する心を持っておりました。そのため理非を論ぜず但馬に与して自休の訴えを拒んだことは先君の恩をお慕いする余りに起こったことでございますのでこのために罪を得て重罪になるとも全く悔いることはありません。」と述べた。
その他、諸士の訴えた内容をつぶさには載せないが、私(筆者)が事情を勘案して考えると、久世・本多が権勢を増し、他の同輩を軽蔑する等のことがらを挙げて嫉妬の心から出たことであるので、家康・秀忠両公の考えを動かす者はなかったようである。翌二十八日、今村掃部助・林伊賀守・清水丹後守を処罰し、丹後は仙台伊達正宗へ、伊賀は上田真田信之へ、掃部は岩城鳥居忠政へお預けと決まった。本多伊豆守は今後益々忠誠を誓って国務を指揮し、竹島周防守は今まで通り政事の合議に参加すべき旨を命じられ、各々越前に帰国した。周防は途中駿河鞠子の宿で自殺した。これは以前、城内の牢に入れられて、江戸に行くときも檻のついた車に乗せられたことを恥じ、再び人に対面することが出来ない、との考えからであるという。
 旧記に記すには、今村以下の罪を断ぜられてのち、大御所は本多伊豆を召しだして直に厳しく譴責なさった。伊豆はこのことを秘して人に告げなかった。そのために他の人はこのことを知らなかった。
慶長十九年から翌年元和元年(一六一五)の大阪冬の陣・夏の陣に忠直は総数一五〇〇〇余りの兵を率いてこれに参戦した。ことに夏の陣では真田幸村を討ち取った。しかし、両陣の恩賞への不満から乱心したと言われ、元和九年(一六二三)に豊後に配流された。

 結城家法度は下総結城の領主結城氏の法典である。弘治二年(一五五六)結城政勝(秀康の養父晴朝の叔父)が制定した。その前文と第三条にはすでに越前騒動の根源があるように思える。
(前文)
 そなたたちも御存知のように、(我が身は)老年である上に〔当家にとっての重大事が〕五年にも及び、一日として心の休まることがない。人並の遊山や宴会といった気晴らしさえ好まない性格なので、ましてめんどうな訴訟の裁決などは、もっと〔身にこたえる。〕(こうしたことで)不養生をしていては、命が縮んでしまうものである。その上、当家の〔重臣は、私の裁決について不満な〕時は、道理にあうのあわないのと陰でささやいている。〔ところが一方では、〕あるいは自分の身にかかわること(であるためか)か、親類縁者の訴訟となると、白を黒と言いくるめる。親類縁者または指南そのほか頼もしく思われようとするのか、実際には死ぬ気もないのに目をむいて、刀を抜く様子を見せて、無理を通そうとする。同僚もそれほど多くない中で、(このようなそれに)似つかわしくないさしでがましい行為は、理由があるにしても頭の痛くなることである。このような状態であるので、私個人として、法律を決めた。そなたたちもそのように心得られよ。この新法は、〔代々の当主が〕行ってきた政治、また私が前々より行ってきた裁定を〔まとめたものである。〕今後この法律に随わず、勝手にものを言うような者〔があってはならぬ〕。(そのようなことは、)当家に不忠をはたらき、〔全体の秩序を〕破壊し、(結城氏支配の)重要拠点を奪おうとする行動であろうか。この法律にそむかれた方には、誰であろうともかまわず、軍勢を派遣し、誅伐を加えることにする。(今は)平穏を保っている時(なので)、そなたたちの心得のために条目として明文化したのである。後世に至るまで、この法律に従うべきである。
 第三条 ちょっとした喧嘩口論など、どんなことでも、親類縁者を説得して仲間に引き入れ、一ヵ所に集まって徒党を組んだりする者どもは、どちらに理があるにせよ、まず徒党を組んだ方を罰することとする。心得られよ(徒党を組むことの禁止について)。
○越前騒動における由木左衛門景盛に関係する越藩の資料は次のものである。
 『国事叢記 一』
   武州由木左衛門源利重男
   由木西菴武州産。始、左衛門二千石。慶長十七壬子年十月廿一日御成敗。学翁道徹。
   墓 淨光院在り。
『續片聾記 二』
  御成敗 出頭人  同二千石    由木西安
  御成敗 御祐筆  同六百石    上田隼人
『越藩史略 巻之三』
 ○二十一日攻めて由木西安、上田隼人を滅ぼす(磐城曰、藩翰譜云、二十日弓木左衛門はらきつて死す、寄手うたるるもの三十余人、上田隼人、竹島周防守自害して一族郎党を助く)由木西安は武蔵の人、始は左衛門、秩二千石、上田隼人は遠江の人、仕えて祐筆となる、秩六百石、但馬の親戚なり。
 『結城秀康給帳』
   由木源左衛門 三百石 伏見御共番衆・(大小姓)生国・本国 武蔵
   由木左衛門  二千石 伏見御共番衆・(大小姓御詰衆)・生国・本国 武蔵
 「忠直年譜」=「西厳公年譜」(逸話集)―久世騒動(その一)
 *台徳院殿御實記巻二十(徳川実記)
 *『江戸幕府役職集成』によれば二千石の軍役は次のようである。
  侍八人、立弓一人、鉄砲二人、槍持五人、手明一人、甲冑持二人、手替一人、長刀一人、草取一人、挟箱持二人、手替一人、馬の口取四人、沓箱持二人、雨具持一人、押足軽二人、小荷駄四人の計三十八人
  二 大悲願寺過去帳について
 あきる野市横沢にある金色山吉祥院大悲願寺は、かつて末寺三十二ヵ寺を有した古刹である。建久六年(一一九五)源頼朝の命により、平山季重が建立したといわれている。この寺の過去帳は『福生市史資編・中世寺社』の中に公開されている(四五九頁以下)。戦国期の当地域の貴重な資料でもある。その四七七頁に本稿執筆のきっかけとなった次のような記載がある。
 西安信士  同壬子十月廿一日俗名弓木左衛門 北条陸奥守家中也
       俗名景盛行年七十歳  於越前国切腹ス
 西傾信士  同壬子同日   俗名弓木源左衛門云弓木左衛門子息
       也切腹ス
 妙法信女         同壬子同日   弓木左衛門妻
 妙珠信女         同壬子同日   弓木源左衛門妻
(同壬子は慶長十七年)
 この過去帳には由木一族の霊名が各所に記されている。それはこの寺の住持であった海譽法印が多摩郡由木郷の住人由木豊前守の子で、増上寺観智国師とは伯姪の間柄という関係であったからである。
*大悲願寺過去帳の一部を抜粋して次に記す。
 高野山宝生院「宥快」法印 応永廿三年丙申七月十七日報命七十二而化寂
  『小田原北条ノ元祖』
 伊勢新九郎氏茂入道早雲 永正十六年己卯八月十五日寂滅
  『早雲殿天岳瑞公大居士』
 存孝禅定門 俗名由木豊前守 天文九庚子年 増上寺十二世源誉上人実父
 見仏清信尼 天文廿二年癸丑三月十五日 由木隼人興真ノ亡妻左衛門景盛之     母 武州府中高橋氏之女也
 栄仏禅定門 俗名由木加賀守 元亀三壬申 由木隼人興真之実父
 当国府中花蔵院ニ葬之
 法性院機山信玄禅門 天正元癸酉四月十二日 武田信玄ハ参州野田村ノ合戦ニ中鉄砲ニ帰リ陳田口村ノ福禅寺ニ死ス
 妙光禅定尼 天正二甲戌三月十七日 由木隼人介興真ノ母ヲキサ子「実全」律師天台宗府中安養寺住 天正四丙子七月七日 当寺住海誉上人俗性之舎兄
 妙鏡信尼 天正五丁丑六月七日 当寺住海誉上人妹也於武州府中逝去也
  『墓所在当国府中花蔵院』
 奥真信士 俗名由木隼人行年七十三歳 天正六戌寅二月廿五日 当寺住海誉之母方ノ祖
  ジゴヂノシロッキハシム         父也歌道之達者ナリキ
越後国上杉輝虎入道長尾ノ謙信寿四十九死 天正六戌寅三月十三日逝去 上杉三良景 今 本名 虎ノ養父也
 『神護地城築始』当国於油井領神護地山ニ三月比ヨリ新城築始ム横山領ノ古城ヲ移サントスル沙汰ナリ
 妙香信尼 天正七己卯 海誉祖父方西蔵ノ姉
 玉清大姉 於金色山墓所立宝鏡印石塔 天正八庚辰四月四日 近藤出羽守(介)姉
 俗名由木 江戸増上寺源誉上人 『□□信□      天正九辛巳五月朔日       先祖ノ父
「道竿」信士 俗名由木加賀守 天正十壬午九月六日 府中之由木左衛門ノ亡父
妙珍信女 由木隼人ノムスメ 天正十一癸未正月十九日 高橋甚三郎女房
妙心信女 由木加賀守ノ妻 天正十三乙酉亡日未詳
妙菊信女 由木左衛門旧妻 天正十三乙酉亡日未詳
妙正信女 天正十五丁亥八月十七日 府中ノ高橋新十郎ノ母也
妙空信女 来由木隼人ムスメ 天正十六戌子八月十三日 鹿島田与七郎母公
性金庵主 俗名平子左近将監 天正十六戌子八月十七日 海誉上人父方ノ祖父(ヂイ) 
秀吉将軍関東下向 天正十八庚寅三月朔日発足之由弐拾五万騎上杉越後守宰相中将景勝羽柴筑前守前田利家両人ハ其勢三万余騎にて二月十六日に本国を打立て木曾路より下向して関東の諸城せむる風聞承を十月ノ日ニ松枝城候由
妙秀禅定尼 由木豊前妻興真娘 天正十八庚寅三月十七日寂『大悲願寺住僧』海誉母公
大将軍秀吉公三月廿八日ニ伊豆国三島宿江御着陣廿日より箱根之山中城をせめ給城主松田兵衛胎太夫切腹 四月朔日にハ徳川家康公先陳にて箱根山を打越て半腹畑の宿の上下に陣取同二日ニ小田原之城を取巻ときの声あげて攻始め五月中旬比堀際迄攻寄候由
村山領奈良橋岸入道平吉家ハ庚寅六月朔日ニ拝島領ニテ討死
越後守宰相中将景勝 八王子城攻給節当山江従大将 羽柴筑前守利家殿 禁制状被下之候早
              奉行木村常陸介殿
蓮照禅定門 俗名高尾備前 天正十八庚寅六月二十三日ニ手ヲイ廿八日ニ死 高尾助六 父草花村ニ住ス
道景禅定門 俗名由木豊前守 天正十八庚寅六月廿三日於八王子城討死『大悲願寺住僧』海誉ヵ亡父
西竿禅定門 俗名由木主水祐 同庚寅六月廿三日於八王子城討死 西蔵実父
道意禅定門 俗名高橋孫三郎 天正十八庚寅六月廿三日於八王子城討死
淨心禅定門 俗名三内中務 同庚寅六月廿三日於八王子城討死
清照禅定門 俗名飯田新右衛門 同庚寅六月廿三日於八王子城討死 伊奈村住人
憲照信士 俗名高尾弥八郎 同庚寅六月廿三日於八王子城討死
道円信士 俗名高尾弥九郎 同年同日於慈根寺城討死 高尾弥八郎ノ舎弟也
○中山勘解由○狩野一庵『実名宗円』○近藤出羽○皆同日切腹又土屋備前嶋村岩見同刑部森播磨貴志五良同与市妙善妙珍道源大悦左京知了西蔵佐渡源祐吉定宗阿蓮阿宗阿五十嵐佐渡浄金妙精高森但馬能登右京等五百人余
青霄院殿透岳宗関大居士 俗名北条陸奥守平氏輝云氏政ノ舎弟也 
庚寅七月十一日 於相州小田原城切腹八王子慈根寺ノ城主ナリ
慈雲院殿前左京北勝岩傑公大居士 俗名北条氏政 庚寅七月十一日庚寅七月十一日於相州小田原同切腹氏輝ノ舎兄小田原ノ城主
道音居士俗名大森宮内 梅屋道右俗名小暮将監 普斉浄金俗名畠中丹波 性金居士俗名中島豊前 道照居士俗名高尾近 江草花村住人 徳改居士俗名水野豊後 慶俊信士俗名長野佐渡 道源信士俗名高森弥三 高尾雪斉『高尾村平山氏』 柴田日向 鹿島田隼人 川口歓喜入道 土屋備前 若森藤佐 同丹後 小机藤太 道雄居士俗名三内蔵人 道金居士俗名馬場美濃太郎本ハ当国府中ノ人居住伊奈村移住ス上川口村歓喜坊ト孫左衛門トノ父ナリ 己上打死小田原ニテ
道珠信士 俗名三内蔵人 天正十八庚寅八月八日死於八王子手ヲイ帰リテ死ス
道法禅定門 俗名由木式部 文禄三甲午三月十三日於江戸切腹房子父
暁月宗永信士 慶長十六辛亥六月二日 俗名由木弥之助於越前国逝去
西安信士 俗名景盛行年七十歳 慶長十七壬子十月廿一日 俗名由木左衛門北条陸奥守家中也於越前国切腹ス
西傾信士           同壬子同日 俗名由木源左衛門云由木左衛門子息也切腹ス
妙法信女           同壬子同日由木左衛門妻
妙珠信女           同壬子同日由木源左衛門妻
観智国師「源誉」大和尚『世寿八十』 元和六庚申十一月二日江戸増上寺十二世由木豊前守子息 勅許賜法印当山中興「海誉」大和尚上人鏡意坊 寛永十一甲戌十月三日戌刻入滅在住五十歳世寿八十余也『当国府中由木豊前ノ子息ナリ』
*由木豊前守室の墓 慶友社版『武蔵名勝図会』四六一頁上段「墓碑 近藤出羽介の姉にて、由木豊前守室、当寺住寺法印海誉の実母なり。法号は寺の過去帳に載せたり、文字は剝滅して見えず。観音堂の西の丘地にあり」。
 三 由木氏
○由木氏は八王子市上柚木・下柚木・南大沢辺を拠点に鎌倉時代から戦国時代までを生きた武士。源姓。中興系図に「由木 源、本国武蔵由木、左衛門尉利重・之を称す」とある。
本来鎌倉時代の由木郷には横山党系の由木氏と日奉氏(西党)系の由木氏がいたと思われるが、本稿の由木氏との関係は不明である。
○由木豊前守は土屋備前守軍役人數書立(年月不詳)に「由木」とあるが、天正十八年六月二十三日、八王子城で討死した、由木豊前守(道景禅定門)であると思われる。由木主水佑(西竿禅定門)も共に討死しているが、主水佑には、子の西蔵とその姉(妙野禅尼)がいる。主水佑は由木備前守の子か、兄弟であると思われる(大悲願寺過去帳)。
天正五年十一月七日北条氏照朱印状(網代友甫氏所蔵文書・一九五六)では武蔵国網代郷(東・あきる野市)の山作の棟別銭を免除した。奉者は由木某。
右、網代之山作、棟別七間分之所ニ五間之御用捨有之、
   二間依無御印判、代官衆及催促、人馬引候、迷惑之段、
   依御侘言申、此度二間分御赦免御印判被下候、此上御陣
   役幷御印判を以、被仰付御用、聊無 沙汰可走廻候、
   少も御公方御用致不足ニ付而者、可被懸過失、為先此御
   印判、志ち者ニ引候人頭幷馬取返、御公方御用厳密ニ可
   走廻旨、被仰出者也、仍如件、
     天正五年
      丁  (印文未詳朱印)
        十一月七日      由木奉之
      丑 網代 山作

年月未詳二十日北条氏照書状(秋山断氏所蔵文書・三九二一)では大石四郎右衛門尉・大石左近丞に加勢衆として鉄砲一〇挺を七人の衆から出させ、その一人に「由木」とある。
(折紙)
    加勢衆鉄炮
   一丁 石原主膳
   二丁 嶋村
   二丁 由木
   一丁 車丹波衆
   一丁大石四郎右衛門衆
   一丁同左近衆
   二丁大藤手組之内
    以上十丁
    (北条氏光)
一、 右衛門佐殿御手前、敵之取寄近来候、今夜為加勢遣
候、申端可被仰所、加治左衛門ニ指添可遣事、
一、玉薬二百放可指添候、□□可渡事、加治□□
一、加治左衛門為物主指越候、彼者如申可走候、少も油
 断不可致、虎口可走事、
   右之条  猶仰所、直ニ可被申付候、
      以上
     (年月未詳)
 廿日   氏照 (花押)
        (秀信)
       大石四郎右衛門尉殿
       大石左近丞殿
○由木左衛門尉景盛 興真の嫡男。武蔵国滝山城(東・八王子市)北条氏照の家臣。奉者を務める。天正六年三月十七日由木景盛奉納状写(昆陽漫録四・四七二六)では紀伊国高野山(和・高野町)龍光院の内の宗忍房に両親の菩提料として金二両と宗国の刀を納入した。「北条陸奥守平氏照内、由木左衛門尉景盛」とある。
  由木左衛門状写
         北条陸奥守平氏照内
              由木左衛門景盛 謹奉頼條々
   俗名由木隼人ト号ス吉祥院住海誉上人之祖父也(朱筆)
   亡父興真 天正六戌寅年二月廿五日逝去
   俗性武州府中高橋氏海誉之祖母也(朱筆)
   亡母 見佛 天文廿二癸丑稔三月十五日逝去
   依之二親為成佛於高野山月牌奉納之但黄金
   弐両京目幷位牌料拾疋者当國之惣社六所宮
   之大般若経一部独筆写之法印幻性房賢恵上人奉牌
   相渡申所也速に二親成佛得達然則子孫安楽守護必然之事
 一 亡父興真之骨筒越奥院江奉納所骨堂之
   垂木ニ被為打付毎日入院之時者二親成佛之回向
   所仰就中興眞在世之頃如申伝者法華妙典之
   内方便品ニ云如我昔所願今者己満足之金文者必
   後世之可成回向之由越遺言也右之金文毎日毎日
   御回向奉願候事
 一 興真者年来触雪月花之興其上扼悪心
   勤善心七拾三歳之春遠行兼而如望忌日
   二月廿五日導師賢恵上人也朝暮南無天満天神
   別而者江州石山寺之大悲観世音菩薩と称
   念佛一三味ニ而暮候也仍而速証菩提之心越
    筑波山しげき言葉の花の露    景盛
池のはちすの種となるらん
   骨奉納とて
    春風は浮世の雲越払いつゝ    景盛
     月はたか野の山に入るなり
   二親え月牌奉とて
    玉くしけふたり手向の袖ふれて  景盛
    高のゝ山に入の嬉しさ
   当世武家無手透処に此春中御暇給わりて
   在宿免ニ旅行え御時も袖に取付て六字之
   すゝめおも申奉り尤在世之内ハ善ニも悪ニも守□
   聊茂背事なく一代孝心之道越専一とせしかは
   親子之契約□勿論候一入被加不便たり依之
   かくも申伝るへきにや 然則子孫安楽守護必然也
    千世の宿かわらし物とたらち男の
    草の陰にもさそ思ふらむ
   如我昔所願今者己満足之金文之心越もろの願も今はみてるなり   
景盛
    昔にかへる法の庭人
   すてに今ハはや入院安楽の心越
    折越得て高野ゝ山のさくら花    景盛
    散る夕こそ心やすけり
   右六首寔に初心不及是非に候へ共亡父此道
   越心にふれたるなれは扼善悪申鎖侍る所也 必不可有御他見事
 一 興真一代之善根右一巻に申尽せり即
   景盛ハ亡母ニは拾壱歳之春捨られし也
   其後者祖母妙光蒙智情成人申候なり
   依之興真之如仕置毎日月牌越当國府中之
   俗名由木加賀守(朱筆)俗名由木加賀守妻(朱筆)
   花蔵院に祖父栄仙と祖母妙光との月牌越 奉る所なり      
忌日十七日(朱筆)
 一 亡父興真之随下知法華経千部者真言之沙門
   浄光坊奉願令読誦所也二世安楽之可願御
   祈念之事
 一 陸奥守平氏照家人一庵無二ニ興真在世之項歌道之伴にて被渡如親子入懇不浅次第也 仍而六字之名号越句の上にすゑ六首之和歌是あり 二世迄も契り給へきなれハ興 真一巻与一合に被相認可給置事  以上
   
 右之条々申達儀自他之批判越かへり見す
 申伝る也抑貴僧者同國同所□仁に御座候へ
 し添も御本寺仏法高野御住山乍恐難有
 奉存候従下野帰陳砌於府中遂拝面所存
申渡候へき興真遠行え折節貴来父子共ニ
二世成就ニ候此上二世安楽之御祈念無怠慢
御勤行所希状如件
   武蔵国多摩郡北条陸奥守平氏照内   
   由木左衛門尉  干時世寿三十六歳(朱筆)
   此景盛ハ於越前國慶長十七年十月廿一日切腹行年七十歳(朱筆)
   天正六年戌寅三月十七日        景盛判
   拝進                 カゲモリ(朱筆)
    高野山龍光院御内
         宗忍御房
*由木左衛門尉景盛が高野山を訪れている途中に、上杉謙信が脳卒中で倒れ没した。それは三月十三日のことである。(氏康・信玄・謙信と関東の戦国を生きた英雄達は没した。)景盛が完成間際の安土城下を訪れていた頃であろうと思われる。織田家と北条家は信長の父、信秀がすでに北条氏康と接触していることから、両家の関係は良好であったと思われる。天正八年三月九日には氏照の家臣、間宮綱信(間宮林蔵の祖)は氏照の使者として安土城を見学しているので、景盛が安土城の天守を眺めていたことは想像できる。しかし、景盛が帰途に就いた頃には謙信の死は信長にも伝わっていたことであろう。氏照は景虎(実弟)の支援のため越後に出兵したが、景虎は敗死した。
*八王子城の築城は天正六年頃と大悲願寺の過去帳にある。安土城には天皇を迎える施設(御在所)があったらしい。この頃、氏照は古河公方足利義氏を補佐する関東管領であったようで、八王子城も古河公方を迎えることができる城として、縄張りを考えられたとすると広大な城域の謎がとける。しかし、古河公方足利義氏の死(天正十年十二月廿六日)により築城は中断され、豊臣秀吉の関東征伐に備えて、再築城されたが、未完成のままに天正十八年落城となったと思われる。
*この書状は大悲願寺文書「中世・戦国武将関係」に分類された中の写しである。大悲願寺文書は二十四世如環・二十六世慈明の代に整備充実されたようで、この由木左衛門状の写しは、日の出町の古文書研究家、清水菊子氏のご教示によれば二十四世如環の書体であろうと言われた。「(朱筆)」の箇所と大悲願寺過去帳の由木氏の記載より推測すると、天正期(一五七三~一五九二)の北条氏照に仕えた由木氏は由木豊前守系と由木左衛門尉景盛系の二家があったと思われる。また武蔵名勝図会の由木氏についての記述も再検討を要するであろう。
*この書状では天正六年当時の武士の高野山に対する納骨の風習などがわかる資料であるとともに、教養(和歌)や当時の貨幣「京目」につても知ることができる。また、北条氏照家臣としての立場、特に狩野一庵との親しい関係が読み取れる。景盛は子孫安楽守護を強く願っていたが、その思いは叶わなかったのである。
東京都あきる野市の大悲願寺の過去帳には景盛の法名は西安信士、慶長十七年十月二十一日越前国で切腹し嫡男源左衛門も切腹した。この時、両名の妻達も殉じた(越前騒動)。
*景盛は国宗の刀を奉納している。由木氏伝来の家宝であろうか。国宗は鎌倉中期の備前直宗系の刀工で、備前三郎の名で知られ、後に鎌倉に移り、相州鍛冶の基を開いたとされる。
天正七年六月六日北条氏照朱印状(新井巳代治氏所蔵文書・二〇八〇)では武蔵国柏原(埼・狭山市)の鍛冶職の荒井新左衛門等に鑓の穂先を納入させた。奉者は由木左衛門尉景盛。
      御書出
    右、先年棟別依御用捨、一年鑓卅丁宛打而上可申旨、以
    御印判被定置処、九年未進候、今般御改之上、雖可被遂
    御成敗、一廻御用捨、然者未進弐百七十丁之所、半分者
    御赦免、残者百卅五丁、今来年ニ霜月十日を切而立進
    納可申、如毎年横江ニ可相渡、当役如此被仰付上、別ニ
    国役之走廻有之間敷候、但大途惣国並之御用欤、無所據
    御用有之時者供物を以、可被仰付、此上就無沙汰者、可
    被遂御成敗旨、被仰出者也、仍如件、
          己   (印文未詳印判)  奉
      天正七年 六月六日          由木左衛門尉
          卯
             新井新左衛門
             同 半四郎
             同 九郎左衛門
             同 郷右衛門
             岡五郎右衛門
豊田 入子
○由木利重の子である存応(観知国師)は増上寺が徳川家康の菩提寺となったときの僧。家康に最初に仕えた僧の一人である。後に、金地院崇伝・南光坊天海がいる。
 【慈昌】〔じしょう、天文十三年(一五四四)一月十日~元和六年(一六二〇)十一月二日〕は、安土桃山時代から江戸時代にかけての僧。号は貞蓮社源誉存応。武蔵国多摩郡由木の出身。初め武蔵国新座郡の時宗太平山法台寺の蓮阿に師事し出家、一遍の法流を伝えた。永禄四年(一五六一)岩瀬大長寺の存貞に従って浄土宗に改宗した。その後武蔵国川越蓮馨寺をへて、天正二年(一五七四)与野長伝寺を開創し、天正十二年(一五八四)には江戸増上寺の十二世となる。天正十八年(一五九〇)徳川家康の関東入部にともない師檀の関係を持ち、増上寺は徳川家の菩提寺となった。慶長三年(一五九八)増上寺の寺地を現在の芝(東京都港区)に移して、家康の手厚い保護のもと京都知恩院とともに浄土宗の名刹となった。浄土宗法度や浄土宗関東十八檀林制度の議に参加し、また紫衣の綸旨を賜っている。「普光観智国師」の号を贈られた。国師の幼名は「松千代」で武州多摩郡由木村に由木左衛門利重の次男として生まれた。
*一二一 源譽書状(折紙)
        (ママ)
     尚々能々御様生專一ニ候、委細者口上ニ申條條不具候、
     以上、
  幸便之間一書令啓候、其以來者、遠境故無音之至ニ候、
  仍御煩氣之由、能々御養生可被成候、於其地可然醫者無
  之付而者、此方へ御越、薬をも可有御用、萬正的ニ申含候、
  恐々謹言、
                  觀智國師
     九月十一日          源 譽(花押)
        吉祥院
    (奥端書)
    「吉祥院    增上寺
             源 譽」
                 (あきる野市横沢大悲願寺所蔵)

  *一二二 源譽書状(折紙)
    追啓、寒天も近ク御座候間、頭巾一ッ、しゆちんの黑襪一足、御音

  敬具 信之首尾迄ニ候、諸余重而可申候、以上、
  遠路預使儈候、猶一段之柿幷柚松茸、何茂此口珍物ニ御
  座候、就中松茸之事ハ、珍敷賞翫申候、其以來者御物遠
  ニ打過候、遠境之條不期便宜、背本意候、何様上様御下
  向之時分、御禮可有之間、正的寮も御座候間無氣遣幾
日も可有御逗留候、必々申合候、彼仁をハ五拾石之知行、
  寺山屋敷百石餘之寺ニ申付候間、御心易可思食候、委細
  期後音時候、万々恐惶謹言、
                  觀智國師
     九月十五日          源 譽(折紙)
      吉祥院          増上寺
         御同宿中
                 (あきる野市横澤大悲願寺所蔵)

  観智國師と海誉
 存応には甥の海誉がいた。彼は大悲願寺の住持であったが、存応が可愛がった一人である。元和三~四年ごろと思われるが、海誉は病気になった。その報を聞いて心配した存応は書状をやり、遠いので無沙汰をしているが、病気の様子はどうか、注意をしてよく養生しなければならないぞ。五日市は田舎であるから、よい医者もいないであろう。もしそうならば江戸に出てきてよい医者にみてもらってはどうか。自分は江戸に出てきてよい薬を服用した方がよいと思っている。使いの正的によく申しつけてあるから、考えて処置をするように。くれぐれも体に注意するように(あきる野市横沢大悲願寺文書)と言っている。
 これは何もお世辞ではない。本当に心から出た言葉であろう。気性の強い存応に、これほどの親切心があろうとは、すこしも想像もつかないことである。やはり肉親になると異常になるのかもしれない。それはそうかもしれないが、同病あい憐れむで、自分の病身につまされた彼の真意であったと私は考えたい。たしかに片田舎の五日市には良医も少なかったであろう。親戚の一人や二人の面倒をみる経済的な余裕は多分にあった存応である。しかも彼は国師号をもらい、飛ぶ鳥も落とす勢いである。良医との交際もあったであろう。早く良い処置をして治してやりたい、というのが存応の気持ちであったろう。
 このころから存応は忠風であったらしい。忠風の気は前からあったのかもしれないが、悪化したにはこのころであろう。そして余命のないことを悟ったらしい。彼は無性に海誉に会いたくなった。さいわい海誉の病気もその後はよくなったらしい。恢復したとなれば、何とか江戸に呼んでみたかったのであろう。いや自分の手元に置きたかったのであろう。存応は九月五日づけで海誉に書状を出し(あきる野市横沢大悲願寺文書)、遠いところ使僧をありがとう。みごとな柿と柚・松茸、いずれもめずらしいもの、ことに松茸はおいしくいただいた。その後はあまりに遠ので心ならずも無沙汰をしている。秀忠下向のときはお礼もできなかった。正的の庵があるから出てきて長く滞在するように。必ずそうしなさい。正的は五十石の知行寺、百石余の屋敷をもつ寺に入れるようにしたから、安心して来るように。なお、これから寒くなるから頭巾一つ、足袋一足お礼として進呈する。といっている。これは海誉が存応に土地の産物を見舞として贈ったときの礼状である。正的は存応の使僧であったらしいが、どんな人であったのか明らかでない。ともかく存応としては、正的のあとに海誉を入れたかったのであろう。沢山の弟子がいても、どうしても肉親は可愛かったのであろう。それでさかんに誘ったのであろう(玉山成元著『普光観智國師』)。
  あとがき
 八王子落城の天正十八年(一五九〇)は関東の戦国時代の終焉である。この時、本稿の人々の年齢は幾つ位であったろうか。由木左衛門尉景盛は主人の北条氏照と同年の四十九歳位と思われる。観智国師存応は天文十三年(一五四四)の生まれとあるので、四十六歳位であろう。兄の由木豊前守は氏照や景盛と同年の四十九歳位と考えたい。海誉上人は天文二十三年(一五五四)前後の生まれであるから、三十六歳前後と考えられる。
 観智国師存応の存在が徳川実記に由木左衛門景盛の記載をさせたのであり、海誉上人がいたことが、大悲願寺の過去帳に由木氏の人々を記したのである。
 歴史は過去にさかのぼって考えることができる。あの時こうあったらとつい我々は考えてしまうものである。しかし、歴史(時間)の修正はできない。この時を人々が、精一杯に生きたことを信じたいものである。

『詩集・今書いている詩Ⅲ』

2016-07-10 10:13:44 | 
  『詩集・今書いている詩Ⅲ』

    たろうさんの輪廻(りんね)

 たろうさんへ「…奇遇ですね…」と
 嬉しいメールがありました
 「…奇遇ではありませんよ、今の世に
  共に生きているのは前世でも
  一緒だったのです…」と返信しました

 そうなのです たろうさんは
 人は輪廻を繰り返すと考えています
 この世で果たせなかった思いは
 次の世に引き継がれるのです
 だから一度限りの命ではありません

 「…恋人・妻・兄弟・親子・友人・
  師弟だったのでしょうね…」と続いて
 返信しました
 たろうさんはまだ見ぬ人のことを
 考えると嬉しくなります
 想像力が異常に働くのです

 娘さんにいつも「次の世でも 親子でいたい」と
 言っては顰蹙(ひんしゅく)を買っています
 そうなのです 親子は夫婦よりも強い関係なのです
 夫婦は離婚してしまえば他人ですが
 親子はいつまでも親子ですからね

 「俺が死んだら お父さんはお前の
  守護霊になって守ってやる」と言うと
 「肩が重くて困るわ」と言い返されます
 それでも嬉しいたろうさんです

 洋子さんとは次の世ではどうなるのでしょうね
 考えてますか たろうさん

      たろうさんの明日

 たろうさんの明日は
 真っ暗な天井を見つめて考えます
 昼間は天井板の模様を眺めていました

 眠って起きれば何ともない朝が来て
 仕事に出かけてゆく生活が戻ってきました
 何も変わらない生活です

 希望も見えてはいません
 (せめてロト6か ミニロトがあたっていればなぁ~)
 からだが健康であれば
 お金は働いた分だけ入ってきますよ

 娘は時々帰ってきます
 神さまを忘れて仕事に出かけます

 残業でいくら働いても年金は
 カットされてしまいます
 ため息が出ます
 (愚痴ばかりですね たろうさん)
 でも健康が宝ですね
 打ち出の小槌です
 (取るに足る生活ですよ)

 たろうさんには洋子さんと
 近くに娘さんがいるではありませんか

 今日も眠って起きる生活です
 「たろうさん 不満がありますか」

 「なんだぁ~わたしと同じなんだぁ~」
 そう思っているあなたは普通ですよ

 何も変わってない平凡な生活が
 幸せなのですねたろうさん

 たろうさんは都合の良いときだけ
 神さまを思い出します 

    たろうさんの不思議な縁

 ファンヒーターが唸って
 加湿器の湯気があがる
 雲に日差しが遮られて
 寒くなった午後のリビングで
 ひとりのたろうさんは
 ボンヤリと考えます

 夫婦の縁とは 親子の縁とは 
 友達の縁とは 別れた恋人との縁とは
 何だろう

 前世で果たせなかった思いが
 この世でのめぐり会いだとしたら
 妻以外の女の人とセックスしなかった
 たろうさんは思いを残して
 次の世で再会を果たせるのでしょうか
 男と女は「合い縁 奇縁」と言いますよ
 たろうさん

 錘のついた糸が右左に揺れるように
 人は善と悪を繰り返し
 糸の振れが止まったら
 悟りとなり輪廻はやむそうですね

 この世では善にも悪にも
 振れてないたろうさんは
 次の世があるでしょうね

 「また次の世で娘と親子の縁に
 繋がりたいなぁ~」と甘い考えの
 たろうさんもっと厳しく生きましょうね

 「仏縁の赤い ぶっとい糸で結ばれた
  洋子さんは一日中パートで遅いですよ 
  羊羹を食べて 待ちなさいね」

 たろうさんは思い出したように
 冷蔵庫の扉を開けました 

    たろうさんの峠

 たろうさんは山の峠に
 向かって登って行きます
 まだ途中です

 峠を越えたら
 希望に出会えるだろうと
 思いながら背中の
 荷物の重さに耐えています

 何処まで登っただろうかと
 振り返っても人生の原生林に
 囲まれて視界が悪いうえに
 不安という霧が覆っています

 たろうさん荷物が重いのなら
 休み休み行きましょうね
 まだ峠は先ですよ

 あなたの荷物の中身は何ですか
 大きな愛ですか
 思い出ですか
 生きる苦しみですか 
 悲しみですか
 不安という恐れですか
 (重いお米だったりしてね)

 峠に辿り着いたら
 荷物を降ろして
 いらない荷物は
 捨てましょうね
 軽くしましょうね

 だから今諦めては
 いけませんよ
 登り終えるのです
 あなたの荷物には
 愛と希望も詰まって
 いるのでしょう

 あの峠は老いの坂です
 今はその途中です
 付録のような楽しい
 人生もありますよ

 たろうさん峠を越えても
 明日を期待し過ぎて
 人生の下り坂で
 躓いてはいけませんよ

 洋子さんも傍に
 就いていますからね

    たろうさんの土曜日

 朝7時40分に洋子さんをパート先の
 エコスたいらや西寺方店に
 送って帰ってきてたろうさんは
 2日間の仕事の疲れから寝ていました

 昼前に起きて洋子さんの
 「今仕事が終わりました」の連絡を待ちます
 今日は娘さんが帰ってくる嬉しい日です

 エコスたいらや西寺方店からスーパーアルプス恩方店の
 宝くじ売り場に行き小さいほうの駐車場に止めるのです
 此処に止めるほうが当たると確信しているのです

 洋子さんはミニロトを3枚 スクラッチを2種類3枚ずつ買いました
 たろうさんはロト6とミニロトを 3枚ずつ買います

 直ぐ近くのセームス西寺方店でたろうさんのスーパーユンケル1箱と
 白元の貼るカイロミニ10個入り3個と
 フランスの水コントレックスを3本買いました

 今日の昼は昨日のカレーを食べると言いながら
 たろうさんはパンの袋を開けてしまいました
 「違うでしょう」と洋子さんに言われて
 たろうさんは慌てて袋を閉めましたが遅いです

 キュウイの木を切りかけて大仕事に気付いた
 たろうさんは「どうする」と洋子さんに聞きます
 「会社に持って行く袋は今日作らなくていいの」と
 言われ慌ててやめます
 腕も痛さがあまり感じなくなったのでたろうさんは
 思いきってやろうかと思っていたのです

 食事を終えた洋子さんはスクラッチを削ります
 1000円と200円が2枚当たり1400円で
 200円の儲けです
 流石はあげまんの洋子さんです

 たろうさんの袋を縫うミシンの音がリズミカルに聞こえます
 冷蔵庫には娘さん専用のカップヨーグルトが入っていました
 たろうさんは自分のヨーグルトに入れそうになり
 「これは里美のだな」と聴き返しました

 娘さんの大好きな苺を洋子さんは買うのを忘れてしまいました
 空が曇ってきましたお金のなる木に日が当たらなくなりました
 ガビチョウの番(つがい)が餌台で仲良く餌を食べています

 娘さんを高尾駅まで迎えに行くまで時間をもて余している
 土曜日の嬉しいたろうさんです

    たろうさんの極楽浄土

 たろうさん極楽浄土はあの世ではなく
 あなたの目の前にありますよ

 仏法の辿り着いた最終の地
 この日本にあるのです
 今のあなた達の繁栄こそが極楽浄土です

 滅法による子どもたちの虐待
 老人の孤独死 理由なき殺人など
 地獄のあり様ですね
 でもマスコミに踊らされてはいけません
 現世こそが極楽浄土です

 テロリストの自爆に怯える必要はありません
 日々のありふれた生活があるのです
 宗教対立からの戦いのない国ですよ
 終戦からの平和こそが願いですね
 神も仏も愛と平和を願っているのです

 神も忘れ 仏も忘れ
 唄い 笑い 騒ぎ 嬉し泣き 叫ぶ
 あなたが わたしが みんなが 愛し合い
 この世の極楽浄土を味わうのです
 それが神と仏の願いです

 たろうさん重い瞼を挙げて
 この世をよく見なさい
 心の目で見なさい

 「世上 みてたんのう(堪能)」
 あなたの叔父さんが下手な字で
 額に入れて飾ってあった言葉です
 案外身近な所に神仏を
 見つめている人がいるのですよ

 信じ合うのです
 愛し合うのです
 求め合うのです
 この世の命果てるまでね
 たろうさん

    たろうさんの仮眠

 わたしもあなたも仮眠して夜を渉る
 あなたは今も孤独で膝を抱え
 泣きながら仮眠を続けているのか

 私は目を擦りながら
 朝食を終え 家を出る
 2つの袋を抱えて自分の車で
 富士森公園の森が大きく
 被さった坂の家に着き
 車を乗り換えて都内に向かう

 月曜日の中央高速は渋滞している
 今もあなたは自分との終わりのない戦いを
 続けているのだろうか

 「人の頭の中を変えるよりも 
  自分の頭の中を帰るほうが
  簡単ですよ」と返信したが
 自分を変えるのがなお難しいのだ

 府中競馬場の周りの欅の葉が落ちて
 剥き出しの馬場がゆっくり過ぎる
 若い馬のあなたは疾走できないのだ

 あなたはまだうずくまって仮眠を
 続けているのだろうか

 渋滞の中でノロノロ走っては止まりの繰り返し
 わたしは追突を避けるように
 蛇行運転をする

 たろうさん危ないですよ 
 運転も 心も
 空は曇っている 

      たろうさんのリメンバー

 失われたものは何ですか
 身体ですか 魂ですか 記憶ですか

 なぜ魂は人に宿ったのですか
 いつからですか 
 わたしたちの祖先が 
 立ち上がり歩き始めた時からですか

 神はなぜ人を選ばれたのですか
 身体が神に似ているからですか
 神は姿形がないと言いますね

 神は愛をどのようにして人に
 吹き込まれたのですか
 動物にもつがいの愛と
 親子の愛がありますね

 人類が猿人から人になって
 言葉というコミュニケーションを覚え
 愛を語り合う人間になり
 神という概念を知り 恐れを知る

 神は愛と不安を語りながら
 愛を取りなさいと言います
 あなたならどちらを先に採りますか
 不安が先に生まれたのですよ

 神は答えない
 たろうさん自分で
 思い出すのですよ
 (リメンバーですよ)

 「すべてはあなたに教えてある
  学校で学ぶ必要はない
  思い出しなさい」 

    たろうさんのガビチョウ(画眉鳥)

 小さな砂場の上に
 重さで潰れたキュウイの
 パイプ棚がある

 いつ切ろうかと思っているうちに
 たろうさんは帯状発疹になり
 洋子さんが自分できると言い始めました

 ガビチョウの番(つがい)が
 餌台から飛び移り
 キュウイの枯れ枝に
 止まってメスが砂場の角にある
 プラスチックの洗面器の
 まだ氷の解けたばかりの
 冷たい水をツンツンと飲む

 繁殖の季節なのだ
 まだ夫婦になれない
 娘たちのことをたろうさんは思います
 自分たちはもう枯れた夫婦です
 鴛鴦(おしどり)になって37年ですよ

 ガビチョウは特定外来種で野鳥になれない
 異国からの侵入者と同じで
 ペットが鳥籠から放されて
 野生化したのだと言われています
 敵視されている鳥です
 たろうさんの家からも近い
 高尾山でよく聴けるので有名です

 ガビチョウ君は新緑の頃によく啼いてくれます
 その声にいつもたろうさんは癒やされていますよ
 街中では五月蝿い(うるさい)と言われ
 ガビチョウ君は可哀想ですね
 不法密入国者のように扱われてますよ

 たろうさんは君達が大好きなんですよ
 増えてしまった君たちに罪はないんです
 認めてくださいね 皆さん

 今日も八王子は寒いです
 毎朝プラスチックの洗面器は凍っています
 ヒヨドリ君もピーピー啼いて元気ですよ 
 たろうさんは20日から仕事に復帰です

    たろうさんのお金がなる木

 日の入ってくる昼時の静かな
 リビングでたろうさんは
 椅子を持ち出して部屋に取り込んだ
 お金のなる木を眺めています

 たろうさんは具合が悪くて
 去年から外のクーラーの
 室外機の上に置きっぱなしだったので
 寒さにやられて葉も茎も
 弱ってしまったのです

 葉は触れるだけで
 ポロポロ落ちてゆきます
 茎もしなだれています
 根元の近くに少し色の悪くなった
 葉が残っています

 外は風が吹いて
 笹竹や枯れススキが揺れています
 たろうさんは背筋を
 伸ばして眺めます

 洋子さんもいない静かな昼が
 過ぎてゆきます

 「そうか 剪定の手術が必要か」
 たろうさんは思い切って
 剪定バサミで枝を切り落としてゆきます

 切り落とされたお金のなる木は
 思ったよりも元気に見えます
 たろうさんも元気になりました

 お金のなる木が元気になって
 ロト6が当たるといいですねたろうさん

    たろうさんの大船(大乗)・小船(小乗)

 川の向こう岸に渡るのに
 大勢乗れる船ですか
 一人乗りの船でゆきますか
 あなたはどちらですか

 大勢で往けばそれは楽しいですね
 一人で行けば静かで景色も良く見えます

 川の向こう岸とは例え話です 彼岸の世界です
 彼岸の世界とは迷いのない悟りのことです

 小乗とは仏法で大乗の世界を説いた人たちが
 お前たちは小乗だと卑しめた言葉です

 わが国にやってきたのは大乗の教えです
 釈迦は大乗・小乗などの区別はされていません
 人の救いに大乗も小乗もない筈でしょう

 今の人たちは情報社会で丸裸にされ
 核家族化して孤独ですね

 今は自分ひとりが救くわれることです
 個々の人が救われてその輪が広まって
 社会が良くなればそれでよいのです

 たろうさんは小乗の教えこそが
 今の時代に必要だと思っています

 仏教に救いを求める人たちが大勢いますね
 たろうさんは難しいお経も作法も
 要らないと思っていますよ

 救ってあげたい心が大切です
 自分ひとりが救くわれたら良いのです
 自己中大賛成です
 人間釈迦に戻ったら良いのですよ

 若しかしてたろうさんにできるのは
 ただ詩を作ることだけですか   

    たろうさんの羅針盤

 人生の航海にも羅針盤が
 必要ですね
 たろうさんの航海にも
 愛の羅針盤がありますよ
 奥さんの洋子さんです

 たろうさんは航海(後悔)ばかりしているので
 名船長(迷船長)が持つ特製の羅針盤が
 欲しいのです

 でもその羅針盤は世界に一つしかないので
 たろうさんはそれを求めて頼りない
 小さなおもちやの羅針盤を使って旅をしています

 たろうさん羅針盤に頼りすぎてはいけませんよ
 もっと頼もしい洋子さんの愛の羅針盤が
 いつも進む方向を指していますよ

 磁気嵐にも狂わずに船が難破しないような
 素晴らしい性能の羅針盤ですよ

 でもたろうさんそんなに洋子さんの
 愛の羅針盤に頼りすぎて大丈夫ですか
 愛に狂いが生じてませんか
 一等航海士の娘さんはもういませんよ

 愛のヨットの帆は揚がってますか
 たろうさん号は今 航海(後悔)の分岐点に
 差し掛かっていますよ

 愛のヨットも凪ばかりでは進みませんね
 備えつきの小型エンジンの燃料が
 なくなりつつありますよ

 早く仕事を決めて燃料を港で
 補給しましょうね
 「北北西に進路をとれ」の
 今日のたろうさんです

    たろうさんの夕陽

 陵北大橋を妻のパート先へ車で向かう
 中程を男が夕陽を横に浴びながら走ってゆく

 橋を渡り終えると交差点の左手に黄色いビルがある
 看板もなくオートバイを売っている風でもなく
 解体ばかりしている怪しげな店である

 交差点の向こうはレモンガスの本社で
 最近越してきた
 元コンビニのサンクスの跡である

 企業などとは先の見越せないものだ
 落日もある
 永遠に好調な成績など残せない

 あのトヨタでさえ今の状態を予測し得なかった
 また今度は120万台のリコールの為体である

 思えば30年前にたろうさんの勤めていたスポーツ用品卸の
 会社が倒産して人生に狂いが生じた

 その社長はいま北八王子の辺りを中心に
 成長して読売新聞の一面にまで広告を出す
 八王子では大手の建売住宅の会社になっている

 たろうさんにしても2年前に始めた
 「清水中世史研究所」と1年程遅れて
 開設した「清水太郎の部屋」のブログが
 受け入れられるとは想像出来なかった

 娘さんがたろうさんの生まれた
 元八王子の地に加藤君と新しい
 生活を始めることなど誰が知り得たろうか

 3月にたろうさんは定年である
 新しい仕事はまだ決まってない
 重いローンを抱えて働かなくては
 ならない状況にある

 老後の人生が長くなったこの時代
 たろうさんに楽はない
 恵まれた家族愛だけが救いである 

    たろうさんの歌舞伎町

 今日は歌舞伎町の蝦夷御殿本館で会食です
 たろうさんは職安通りで待機ですよ

 歌舞伎町は歓楽街で危ない所の
 イメージでしたが最近は見た目には
 治安もよくなってきているように思います
 でも車で中に入ってゆくときは緊張します

 職安通りは思いで深いところです
 安田生命にいた頃ですから
 20年も前でしょうか
 その頃この通りには
 外人の「立ち君」達がいました

 車の中を覗かれたりされました
 じっと目を凝らして見る彼女たちは
 生の映画シーンを視ている様な
 興奮に満ちていました

 いま路上に駐車していると
 不審な車はパトカーにしつこく職質されます
 この前に来たときには直ぐ前の車がそうでした
 その車は同じ所に長く止まっていたので
 2回も職質されたのです

 ボンネットを開けたり
 後ろのトランクを開けたりされてました
 なんでもなかったのですが
 運転者は若い男でした
 たろうさんの様な黒塗りの
 役員車は職質に合わないようです

 「立ち君」は女の人の悲しい職業
 のようにも思えますが
 3月で定年のたろうさんには
 強い女の最後の武器がありません

 「なんくるないさぁ~」
 で行きたいですねたろうさん  

    たろうさんと女性たち

 上石神井駅から高井戸の
 東京トヨタにクラウンハイブリッドの
 エンジンの本体キーとサブキーの
 バッテリーを交換に廻りました
 エンジンを切ったときに「販売店に
 行ってください」と表示が出たからです

 待っている間に女の子に
 コーヒーを頼みました
 女の子は顔なじみですが名前は知りません
 いやみのない今風の美人の応対に嬉しいたろうさんです
 店内にはエステマとプリウスが飾ってあります

 たろうさんは安田生命立川支社の
 女事務員さん達を思い出しました
 毎日が楽しい勤務でした
 今も年賀状を交換している人がいます

 今の派遣先でも美人の女の人が
 いっぱいいて嬉しいたろうさんです
 でも3月で定年となり仕事は終わりです

 派遣会社とこの派遣先には感謝ですね
 「清水中世史研究所」と「清水太郎の部屋」は
 この会社に配属されて幸運にも続けられてきたのです

 たろうさんは美人に弱いです
 でも女の人の多い職場で働くと
 不思議にうまくゆくのです
 気持ちが通じ合うのです
 嬉しいオーラーをいっぱい出して
 いるからでしょうか

 4月から先の仕事は決まりそうにないのですが
 帯状発疹の後遺症もよくなりそうですよ

 ときどき欲望も出始めて
 如意棒が少し硬くなったかなと
 悦んでいるたろうさんです 

    たろうさんの朝日

 昭和通りに車を止めて
 パソコンを打っている
 たろうさんです

 ビルの陰に隠れて画面が
 見やすくさせているのに
 突然に反対側から朝日が
 飛び込んでくる

 ビルの反射光線だ 
 スペシュウム光線ではありません

 日陰側からのビルの隙間からも
 たろうさんの車を目掛けて
 また太陽光線だ

 あっ 狙われている 
 ウルトラマンたろうさんが

 駄目ですよ 
 太陽さん
 パソコンの画面が見えなくて
 ウルトラマンたろうさんはピンチです

 八王子で朝 
 待機している場所の
 室外気温は-3度でした
 おおさぶぅ~

 たろうさんは「めぐリズム」を
 お尻の上に貼り
 腹巻にホッカイロを
 2ついれてますよ

 かなり寒がりの
 ウルトラマンたろうさんです
 これでは愛のスペシュウム光線が
 今日も凍っていそうですね

    たろうさんの二つの袋

 たろうさんはいつも二つの袋を
 持っています

 洋裁を教えたり お客さんの仕立物を
 若いときからやっていた洋子さんが
 キルトの余り布で作ってくれた袋です

 小さい袋にはモバイルパソコンと
 電源コード・マウス・下敷き
 ノートが2冊入っています

 大きな袋には愛情たっぷりのお弁当と
 お茶と水のボトル・3つに分けられた
 ビニールにはユンケルやチョコレート・補助食品と
 干し柿・ミカンといっぱい飲むようになった
 たろうさんの薬です
 忘れていけないのは車から電源を取れる
 パソコン用のインバーターですね

 今日持ってきたファイルには
 昨日書けなかった履歴書があります
 たろうさんの仕事探しに必要なものです

 3月には定年で職探しをしなければ
 干物男になってしまいます切実なのです

 日曜日の八王子地域の求人広告に
 二つ良いところがありました

 今そこへの履歴書を書き終えました
 何度も書き損じて近くのコンビニへ
 買いに行きなんとか出来ました

 パソコンばかり使っていると
 字を書くのが駄目になりますね

 そればかりではありません
 集中力が維持できなくなっているたろうさんは
 歳のせいだけでしょうかね

 昨日は娘さんが帰ってきて幸せ一杯でしたが
 この幸せをいつまでも続けたいと願う
 たろうさんの二つの袋です

    たろうさんの娘(3)

 電話では腕を捻挫したと聞いていましたが
 元気な姿を見るまでは大丈夫かなと
 心配症のたろうさんでした

 金曜日の昼間に来るとは聞いていましたが
 昨日は仕事で遅くなる日でした
 早く帰りたい気持ちばかりで
 うわの空の運転でした
 危ないですよ たろうさん

 身体が揺れているように思いながら
 車のドアを開けて玄関の靴を見ました
 リビングに入ると娘と妻が楽しそうに
 話しながら待っていました
 長椅子に二つの袋を投げ出すように置きます

 娘の幼い時も可愛かったけれども
 成人して彼氏と暮らすようになっても
 娘といることが嬉しいのです
 よほど前世から強く結ばれていた
 親子なのでしょう

 妻は持たせる品を買ってあります
 苺が好きなのです
 自分の家の苺は3回に分けて食べるのに
 家の苺は一度に食べてしまい
 3個しか残っていません

 「冬菜と大根を持って帰りな」と言うと
 妻が庭に下りて行き大根を抜きます
 「冬菜は採らないのか」
 「この冬菜は黄色くなっているでしょう」
 青い葉を少しと細い大根を3本抜きました
 「大根の葉っぱは味噌汁に入れたり
  炒めたりして食べな」

 彼氏はたろうさんに気を効かせて
 ゆっくり迎えに来ました
 目の横に剃刀負けして絆創膏が貼ってあります
 「大根を播くのが遅くて出来が悪いのですよ」
 たろうさんはそう言いながら玄関で見送ります

 洋子さんは外までお見送りです
 娘さんは今年の秋には加藤姓になる予定です 

    たろうさんの明日(2)

 人の歩んできた現在までは
 記録されていればわかるが
 未来は容易に知りえない

 占いなどは知ったところで
 当てにはならないのに
 人は夢中になる
 明日の未来が知りたいのです

 明日は確実に来る
 時は止められないから
 あなたがどのようにしていようとも
 朝が来るのです

 時は秒針で区切れない
 無常に連続している
 誰にでも平等です
 あなたは時の流れるままに
 身を委ねられますか

 たろうさんも明日の自分が
 知りたいです
 「そんなことは簡単ですよ
  目を閉じて醒ませば良いのです」
 だれでもがそうして不眠症の
 人でも朝を迎えます

 一日が始まればたろうさんも仕事に出かけます
 仕事に出かけられるたろうさんは幸せですね
 暫くすれば自分の未来のことなど忘れて
 たろうさんは車を運転しています

 「家のローンの分だけ働いてくださいね」
 神さんの洋子さんは言います
 膨張した生活は直ぐには引き締められません
 「本当に大丈夫だろうか そんな仕事があるだろうか」
 たろうさんは自分の明日を考えます

 家族愛に溢れるたろうさんの弱点は
 思い込みすぎですね
 洋子さんの様な神さんがいますよ  

    たろうさんの蓬莱橋

 汐留の日テレから銀座へ
 帰るときにたろうさんは
 カーナビに銀座の営業部を
 入れておいたのに
 道に迷ってしまいました

 蓬莱橋は汐留川に
 架かっていた橋です
 なぜグルグルと迷って
 しまったのでしょうね
 不思議ですね

 蓬莱とは古代の中国で
 東の海上にある仙人が
 住むという山だそうです
 その山は四霊の一体である
 霊亀の背中に存在するといわれます
 四霊は麒麟・鳳凰・霊亀・応龍です
 霊亀は吉凶を予知すると言われてます

 ああ~ 危ないですね たろうさん
 運転に迷いがありますよ
 人生にも迷いがあるのでしょう
 それとも銀座の受付の
 美人さんのことを考えて
 いたのではないですか

 今日は遅くなりますよ
 待ち時間がありますね
 通りを闊歩するOLさんや
 細身のホステスさんに
 見とれていてはいけませんよ

 家で洋子さんが帰りを
 待ち詫びています
 いい子で帰りましょうね
 病み上がりのたろうさん

    たろうさんの恋?

 今日はバレンタインデーですが
 たろうさんは洋子さんからの
 チョコだけで 娘さんは後からです
 安田生命の時は最高で
 12個ぐらいもらいました
 あの頃は楽しい日々でしたね
 今は二つだけですよ

 悔しいからもっと楽しい
 思い出を書きます
 たろうさんの恋?

 3年前の夏でした
 勤めていた学園の
 女の子それも30歳前の
 長身でスレンダーな美人でした
 名前は森高千里の千里さんです

 廊下ですれ違ったときに
 この学園にもこんな素敵な子が
 いるのかと思いました
 ある日 思い切って遠くから小さく手を振ると
 振り返してくれたのです
 本当に嬉しいたろうさんでした

 それから時々家まで送ってあげました
 妙に馬があったのです
 62歳のオジサンと30前の娘さんです
 きっと前世では恋人同士だったのでしょうね

 帰りの車の中でいろいろなことを話しました
 そして 2人で2度も東京へ行きました
 国立博物館と私立美術館です
 その時に日本橋近くの美味しい鰻屋にも行きました

 でも楽しい夢のような日々は終わりです
 同じ学園の名物先生の結婚の噂があり
 彼女に聞いてみたら「それはわたしなのよ」です

 妻も娘も公認の付き合いでした
 勿論 手を握った訳でもなく
 本当に清く正しく美しい?
 オジサン(老人?)と娘の恋?でした

 彼女が家の近くのマンションに住んでいるときに
 妻の勤めるスーパーで偶然会えました
 それきり会えないのです
 家を買って移り住んだからでした

 彼女は今、お母さんです
 幸せでいることを願う
 夢のようなたろうさんの
 ひと夏の出来事でしたよ

    たろうさんの恋?(2)

 平成元年にたろうさんは国会で
 追求されていた某派遣会社に
 役員の運転手として就職しました
 そしてその配属先が立川の
 安田生命立川支社でした
 この時代が平成8年3月まで続きました

 役員の運転手稼業の始まりです
 この職は会社が変わっても
 いままで続いているので
 ある意味では天職なのだと思うのです

 そしてこの会社では楽しい日々を送りました
 生命保険会社がバブルのころで
 営業員さんも事務方のスタッフも
 活き活きしていたまさに良き時代でした

 たろうさんの生活も市営住宅住まいで
 家賃も安く自動車もなかったので
 お金に余裕があり貯まりました
 (洋子さんが残したのです)

 じつに様ざまな人を見てきました
 支社長も3人に仕えました
 小長谷総務課長さんお世話になりました
 増田渉外課長さん美味しい食べあるきと
 いっぱい会社訪問にゆきましたね
 営業員さん今はどうしてますか

 事務員さんの中にたろうさんが秘かに
 恋?してた○○真由美さんがいました
 彼女が28歳でたろうさんが42歳です
 一緒に働いているだけで楽しかったのです

 ある時 今で言う告白タイムですね
 その支社では紙に書いて出すアンケートに
 誰を好きか書く欄がありました
 たろうさんは散々迷った末に○○さんと書きました

 彼女が支社から本社に転勤になるときに
 「わたしが好きだったんだ」と言ってくれました
 本社に支社長が行ったときに2回ほど昼食を共にしました

 次の世で出会うときには妻にしたいほど素敵な女性でした
 たろうさんと今でも年賀状のやり取りが続いています
 洋子さん以外の女性で大切な人です  

    たろうさんの恋?(3)

 ○○真紀さんがたろうさんの
 勤めていた学園に入社してきたのは
 20歳頃であろうか

 最初の印象は美人ではあるけれども
 斜に構えているところがあった
 地元で一番のH高校を出ているとのこと
 何故大学に行かなかったのだろうと思った

 銀行廻りや郵便局なとの雑用で
 車でつれて行く機会がよくあった
 少しずつ話すようなり警戒心も解けて
 笑顔も見えるようになった

 彼女はお金に困っていたのだ
 よくある話で両親の離婚で
 戸建ての家の借金の返済に追われているらしい
 それが彼女のお金に困っていた理由である

 それにしても彼女が書く字の下手なことには驚いた
 これでよくあのH高校には入れたものだと思った
 本人もそれはよくわかっているらしい

 学園にも慣れて明るくなったが勝ち気な面もあった
 山の歩き競争にも同僚と出ているらしい
 驚いたのは金属バットを買いバッティングセンターで
 ボールを叩いてることだった
 実習の時間にフォークリフトも乗り回している
 こんな女事務員はいないだろう

 いつも銀行廻りの時に「宝くじが当たったら秘書兼運転手として
 雇ってあげるよ、高給でね」と約束していた
 たろうさんの大風呂敷きである
 本人はジャンボ宝くじを一枚だけ買うと言う
 これではロト6を買い続けて当たったら
 すぐに電話を入れてあげたい

 年賀状に「わたしは今もいます」の添え書きが来た
 今も連絡がつくたろうさんのお気に入りの彼女である
 もちろん恋のお相手ではない

    たろうさんの木(sae)

 無法にも大木は切り倒されますか
 あなたの若木も切られますか

 チェンソーで伐ればあっという間ですね
 今まで生きてきた時も虚しいです

 年輪は白く瑞瑞しく見えますか
 数え切れますか

 伐らずに置く方法はなかったのですか
 お金のためですか
 見晴らしを良くするためですか
 要するに邪魔なのですね

 生きることは木も人もおなじですよ
 人は何気ない言葉で傷つき倒れます
 木は黙って現実を受け入れます
 でも本当に木に心がないと
 あなたは考えてますか

 人が一番尊いから死は現実ですか
 あなたは今でもそれを望んでいるのですか
 生かされる必要がないからですか

 木も人も無意味な時間はないのです
 時のサイクルの中で
 大きな地球の中で
 生かされているのです

 あなたの若木も
 たろうさんの老木も
 愛ある明日のために
 伐らずに置きましょうね
 時が過ぎて笑える日まで

    たろうさんの娘(4)

 資生堂のBCとして入社して4度目の冬を越し、2月7日(月)に社員登用への試験があった。たろうさんの娘は2回目の受験である。娘の弱点は英語と数学、時事問題である。大学入試でも英語が出来なくてすべて落ちた、その度に泣いた。最後の東京家政学院大学の3次でようやく受かったが、その結果がわかる日に高校からバイトしていたマックの仲間が入学おめでとうのお祝いの当日であった。娘がそれまでの日々をどんな気持ちで過ごしていたのかと考えると切ない、まさに滑り込みセーフなのである。夜は家に帰ってくるというので、予定より早く帰ってきたので高尾駅まで迎えの行くと妻にメールを入れさせた。「電話では明るい声だったよ」と妻が言っていたのだ、車に乗ると直ぐに「どうだった」と聞くとやはり英語と数学、時事が駄目だと言った。加藤君にはメールで伝えたらしい。「美容の問題はパーフェクトに近いよ」と言い、3日後には結果が出ると言う。加藤君に手伝ってもらい2週間勉強したと言うのだ、日頃、新聞も読まない上にテレビのニュースも見ない、その上にパソコンも壊れたままなのだ。見るテレビは「コナン君」と「石田さんち」のオバカぶりだが店の成績は良い、どの月も前年を割っていないで、特別セールでは見事な数字を出している。身長が167センチでモデルのような体型の上に親の目から見ても美人である。「芸能界には興味ないのか」と聞いても知らん顔なのだ。試験の当日、番号札の上にコメントとキットカットのチョコレートがあり、キットカット(きっとかつ)にちなんだらしい、今までの二人の男の営業はそこまではしてくれなかったが「女の子の営業は違うね」と言うから「店の売り上げで、返してあげな」と言ってやった。マックのバイトで人に接するのは得意なのだ、資生堂に入れたのもマックで7年近くバイトをしていたことや容姿が優れていることに加え顔の肌が素晴らしいのが一因だと思う、資生堂から通知が来るときに「薄いのできたら落ちた知らせだよ」といってあったので、薄い通知がきたので恐る恐る開けたら泣き出した、合格の通知であった、うれし泣きだったのだ。前から美容に関心があったので美容関係の仕事につきたいと思っていたらしい。大学4年の秋が採用の時期でそれまで待っていて就職活動もたいしてしていなかったが良く受かったものだ、今の子は4次ぐらいの面接をしてようやく決まるそうだ。娘の同僚の多くは辞めたらしいが、今の氷河期の子達はさすがに辞めないようだ。しかし、試験の出来が良くても実践の販売経験のない頭でっかちの子達は店で苦労していると聞く、ミスマッチは続いている意欲のない美容部員がいるのは大企業体質であろうか、今回も登用試験は駄目であったが、ラッキーな娘にたろうさんはエールを送る今日この頃である。

   たろうさんの浮き足

 たろうさんは仕事柄歩きません
 その上に去年の暮れから
 正月を過ぎて20日になって
 ようやく仕事に復帰しました

 その間寝ていたので
 家のリビングをグルグル歩いても
 膝ががくんとするのです
 地に足が着いてないのですね
 身体が浮いているような気がしてます

 最近のたろうさんの詩を見て
 浮いているようにあなたは感じませんか
 訪問したある方のブログを拝見して
 たろうさんは上辺だけで
 深さがないとつくづく感じました

 すべてのひとではなく
 本当に身体の底から滲み出す
 訴えるような言葉を吐き出しているブログを
 書いている人がいるのです

 記事は多く書いていませんが
 私の涙腺を緩ませるブログなのです
 たろうさんは多くの人に読んでもらおうとして
 浅く広いブログを書いてしまっていたのです

 それは今までの仏教の大乗の教えと同じです
 今の時代は小乗の教えが必要ですね
 個人が救われて次第に池の波紋のように
 広がってゆくのが良いのです 
 それがたろうさんの望みですが
 広がりすぎると緩んでしまいますね
 ああ 難しいですね

 スーパークユンケル飲んで
 体力をつけて元気なたろうさんに
 戻って下さいね

 雑念を捨てましょうね たろうさん
 健康が第一ですよ 
 洋子さんも娘さんも
 それを待ち望んでいますよ  

    たろうさんの不眠

 昼間 横になって左手で
 パソコンを打ちながら
 寝入ってしまった

 それだけのことだったが
 23時には蒲団に入ったのに
 眠れなかった

 「オヤジ、涅槃で待つ」と書き置きして自殺した
 俳優の沖雅也の言葉が何故か
 浮かんでは消え浮かんでは消えの繰り返し
 頭の中をグルグル掻き回しています
 打ち消そうとしてもまた浮かんできます

 涅槃は釈迦の最後の姿で
 たろうさんも寝るときには
 この姿勢なのです
 横向きで右側を下にするのです

 沖雅也は何故このような言葉を残したのか
 上手い言葉なのだが彼は病んでいた
 深い遺書ですね

 たろうさんはこの言葉に引きずられ
 眠ろうとしても寝付けません
 なぜこの言葉が頭の中を離れなかったのか
 浮かんだのか不思議です
 2時過ぎにようやく寝たようです

 朝6時には起きるのですが
 洋子さんに6時14分に起こされました
 たろうさんは今日土曜出勤です

 ユンケル飲もうかと思って我慢の
 たろうさんです
 門まで送りに出た洋子さんに
 「気をつけて行ってね」と言われました

 この朝携帯が出掛けに見つからなくて
 バタバタしてそのまま出かけた
 たろうさんなのです   

    たろうさんの伯父

 今日は寄居まで仕事で行った
 此処には鉢形城がある
 北条氏邦の上野の支配の中心的な城である

 清水姓の方からこの氏邦の家臣について
 訪ねられたが判らなかった
 後日、鉢形分限帳の中に清水姓の
 侍がおられたと連絡が来た

 小学校の低学年のように思うのだが
 いまは亡き伯父に連れられて
 好きだった釣りの伴で来たように
 思うのだがどのようにして
 此処まで来たのかまつたく記憶にない
 ただひどく河原で待たされたことだけを覚えている 
 勿論魚は釣れなかった

 いまから思うと不思議に思えるが
 北条氏邦は北条氏照の弟で
 母方の先祖は志村将監と言う
 氏照の家臣であった

 この兄弟は共に北条氏の下野国の
 攻略の中心的存在であった
 伯父はこの志村将監の血を引いていた
 本人は多分このことを知らなかったと思う

 私も郷土史を本格的に始めたのは
 母方の先祖がこの志村将監であり
 元八王子歴史研究会に入会しての
 論考に選んでから知ったのである
 「清水中世史研究所」のブログを始めたのも
 また不思議な縁である

 わたしはこの伯父が好きであった
 後妻になった志村ヨシを墓に入れたのも
 この伯父の為であった
 わたしが志村家の墓を継いだのも
 これまた不思議な縁である

 3月は伯父の命日なのである
 志村義治は母の兄なのである
 志村家の墓石を建立したのが母である
 わたしは母の身体を洗うのだと思って
 タワシで墓石を洗う
 この間、娘が加藤君と墓に行き
 同じようにタワシで洗ったと言う
 涙が出るほど嬉しかった 

    たろうさんの闘い

 大戦が終わって66年の夏を迎えるのに
 見えない敵と闘いを続ける人がいます
 それは誰ですか それともあなたですか 

 あなたの敵は何処にいますか
 見えますか 見えませんか
 世界中の人ですか 物ですか
 それは貧困ですか 資本家ですか
 政治家ですか ウイルスですか
 それとも 優しい言葉を吐く恋人ですか

 では何のために闘うのですか
 それは必要なのですか
 闇雲に闘うのではないでしょうね

 その闘いにどんな武器が要るのですか
 大砲ですか 戦車ですか バズーカ砲ですか
 何気ない言葉や あなたのパンチですか

 注射器もいりますか 包帯はどうしますか
 寝る薬はいりませんか

 成果はありましたか
 人は死にましたか 山は枯れましたか
 川の魚は 海の貝は どうなりましたか
 人は何人死に 生まれましたか
 桜はいつ咲きましたか
 もうカボチャの種は目覚めていますか

 おやおや 寝ながら玉袋を搔いている
 たろうさんはこの闘いに
 参加できそうにありませんね

 はい たろうさんゲームオーバーですよ

    たろうさんの神さま

 多くの人は救われているから
 本当に救ってあげたいのは
 あなた独りですよ
 救われたいあなたがいるから
 私がここにいます
 でも私は力が弱いので
 多くの人を救う願いがあっても 
 救えません

 根源的な神さま(宇宙を創った)がいて
 その分身(八百万の神)が幾十億のあなた
 ひとりひとりの神さまですよ

 あなたの神さまですから
 独り占めできますよ
 悩みも聞いて頂けますよ
 たろうさんの神さまも同じです

 たろうさんの神様は
 愛と平和を求めています
 制約も罪も罰もありません
 聖書も経典もコーランもいりません

 世間を良く見てくださいね
 愛と平和こそが難しい求めです
 あなたなら簡単ですね 出来ますよ
 いつもされていることですから

 父母・祖父母・家族・伴侶が
 あなたと神様を結ぶ糸ですよ 支えです
 いつもあなたを見守っている人達がそうですよ

 たろうさんの神様は
 ユーモアが好みです
 エロスも愛してます
 笑いも忘れません

 夢や希望まで求めるのですか
 あなたの神様とよく相談してくださいね  

    たろうさんの春

 寝そべっている部屋に
 日が差し込んで
 たろうさんの全身を
 包むように照らしています

 たろうさんは食いしばっていた
 歯と肩の力を抜きました
 「いいねぇ~春の陽は」

 久しぶりにさっき
 車を洗いましたよ
 長靴の中に入っていた落ち葉が
 砕けて靴下の裏に
 こびり付きました

 病院の支払いのお金を
 パートから帰ってきた
 洋子さんに言うと
 「どうしてこんなに高いの」
 「特効薬と血液検査があるからなぁ~」
 暢気そうに言うたろうさんです

 今日は風も収まって
 もう春ですよ
 怒らないでね
 お神さんの洋子さん

 帯状発疹の痛みも
 暖かくなれば消えるでしょう

 思わず居眠りの出てくる
 たろうさんの春ですよ 

    たろうさんの春(2)

 なんだかはっきりしない天気
 これも春が来ている証拠
 曇り空から落ちてくる雨も
 きっと暖かく感じますよ

 庭に出てごらん
 土が湿って深呼吸しているね
 たろうさんの菜園の冬菜も大根も
 もう花を咲かせたいんですよ
 でもオオイヌノフグリは
 何処かでまだ眠っているようですね

 起きているのはたろうさんと
 洋子さんだけですよ
 娘さん帰ってくるといいですね

 今日ね 娘さんから電話で
 加藤君が「3月は夜勤が5回もあるんだよ
 ごめんね」と連絡があったと
 遅く帰ってきたたろうさんに
 洋子さんが嬉しそうに言います

 加藤君が夜勤の時は
 娘さんが帰ってくる日なのです
 ばんざぁ~いですよ

 エンジェルエスタさん
 222の連番の意味が判って来ましたよ
 うれしいコメントありがとさんです

 スズメが チュン ヒヨドリが ピー
 たろうさんと洋子さんは
 ニコッニコッとですよ

 たろうさんの家の春は
 もう其処まで来ていますね 

    たろうさんの春(3)

 春は一進一退をしている
 「押しくら饅頭」をしているのかな
 庭の桃も堅い蕾だし
 遅咲きの梅も
 蕾があるのかなと覗いてみたが
 枝に微かに蕾があるみたい
 でも白い花の沈丁花は
 膨らんでいる

 隣の家は引っ越して
 車だけだが置いてある
 主は必要なときにだけ来る
 寂しいよ お隣さん
 早く戻ってきてね
 鳥たちはえさを忘れると
 催促の鳴き声ですよ

 明日娘さんが来るというので
 待ち侘びるたろうさんですが
 泊まりに来るのではなく
 冷食とペットボトルの
 おおーいお茶と紅茶と

 加藤君が好きな胡麻昆布と
 焼き肉のタレを取りに来て
 すぐ帰るようですね

 他に娘さんのリクエストで
 ソース・マヨネーズ・ケチャップ
 みりんがあります
 洋子さんの気持ちの
 ミカン・イチゴ・オレンジジュース
 も持たせるそうです
 あっ 忘れてました トイレのペーパーを
 なんだかたろう商店さんで
 買い物をしてゆくお客さんのようですね
 でもうれしいたろうさんと洋子さんです
 「春遠からじ」ですね

    たろうさんの春(4)

 春です
 リビングに立ち
 外を眺めています
 違和感があるなぁ~
 あの資材置き場

 何処から運ばれてきた
 土砂で谷が埋められて
 市街化調整区域の空き地が
 どんどん広がってゆきます
 でも彼処には家が建たないはずだが
 建った方がむしろ景観的には嬉しい
 今年の夏は昨日キュウイの木を
 切ったので丸見えです

 たろうさんの帯状発心が良くなったので
 思い切ってキュウイを切りました
 自分の重みでプラスチックの棚が
 潰れてしまっていたのです
 手入れしないから枝も
 コンガラカッテイマス
 下枝は枯れています

 隣にある木蓮やキンモクセイは
 枝に絡まれて苦しそうでした
 その伸びた枝は途中で切られて
 宙ぶらりん 枯れるのを待つ運命です
 高枝バサミでも届かないのです

 本当は伸び放題の方が
 キュウイの木にとって嬉しいのかなぁ~
 そんな仏心がつい出ていたので言い訳ですかね
 斬られて痛かったかなぁ~
 キュウイ君ごめんなさいね

 洋子さんは大汗をかいて大活躍でした
 たろうさんも切った枝を鎌で切りましたよ
 下手ですねぇ~刃が毀れててしまいした
 夏の草刈りに使えますかねぇ~

 たろうさんも洋子さんも昨夜は
 「春眠暁を覚えず」でしたよ 

    たろうさんの菜園準備

 雪が降ったすべてのものを
 覆い隠すと思っていたが
 マスコミに踊らされた
 気象庁の馬鹿と言いたいが
 詮無いたろうさんです

 八王子は5㎝ほど降ったと思ったのに
 今日の庭の雪はもう斑です
 できの悪い冬菜と大根の葉が見えてます
 キュウイの枝も思いきって切る予定ですが
 なかなか出来ないでいます

 「今年は菜園を加藤君に耕してもらおうか」
 「前にフローリングを手伝ってもらったときに
  終わったら里美の部屋で寝てましたよ」
 「あのときは加藤君も緊張してたから今度は
  家族同然だからやってもらいたいね」

 たろうさんは菜園にジャガイモを植えたいのです
 それには早く菜園を耕さなくてはなりません
 たろうさんの菜園にはジャガイモが適している
 と思っているのです
 昔のたろうさんが生まれた家の畑の土と
 気候が似ているのです

 3つ並んで置かれたプランターの土の中には
 カブトムシの幼虫の芋虫が眠っています
 たろうさん忘れないでくださいね
 そうです春はすぐそこまできています

    たろうさんの告別式

 このところ仕事で葬式に行くことが多い
 昨日は通夜で今日は告別式だった
 たろうさんは父母の葬式も出したが
 中学・高校と代表で出席していた
 妙に縁があった

 高校の時は女の子であったが
 遠くから見ていたら棺桶から足が見えていた
 寂しい出棺であった
 この子の家も貧しかったのだ
 たろうさんも夜学であったから同じである

 子どものころは前の家が神主さんで
 神式の葬式であった
 太鼓をたたいて祝詞をあげていた
 当時は土葬である

 今はお金があれば葬儀は立派なものになる
 会社に在職中であれば人も集まる

 今日の告別式の人はたろうさんからすれば
 派遣先の人である
 劇場で待機の時には真っ先に
 「清水さんご苦労さんです」と笑顔で
 声を掛けてくれる配慮のできる人であった

 この人の魂は救われるだろうか
 残された家族はどうなるのか
 元妻はどう思っているのか
 いろいろ考えさせられる死であった

    たろうさんの告別の辞

 2月の烈しい風と共に
 あなたの魂も遠い国に
 旅立ったのであろうか

 苦悩や苦痛から解き放たれて
 満足だろうか

 優しい愛や微笑みももう
 二度と感じられない

 あなたの肉体は一塊の
 骨と灰になり白い陶器の中に
 収まっている

 あなたの無念は天井に留まり漂い
 私たちを見下ろしているのか

 「末の娘が大学に合格した」
 と喜んでいたのに
 無常の風があなたに吹いたのだ
 自分で呼び込んだのですね

 あなたの死を悼む男が
 此処にももいますよ

 忘れないと誓っても
 時は私の記憶を
 押し流して行くことでしょう

 だからいまだけでも記憶に
 留めておきますよ
 あなたの笑顔と大きな声を
 たろうさんの脳裏にね

    たろうさんのミラー

 街角に設けてあるミラーを
 たろうさんは見て また左右を
 確認して車を発進させます
 車を運転するあなたはどうしてますか

 たろうさんはミラー即ち鏡が
 苦手なのです
 ジッと視るのが出来ないのです
 吸い込まれそうで怖いのです

 鏡は信仰の対象にされているのですから
 魔を払うのでしょうが
 たろうさんは反って魔性の人が
 写る様な気がするのです

 鏡恐怖症でしょうかね
 あなたはどうですか
 ビジネスホテルの鏡に写った
 心霊写真が取り上げられることがあるでしょう
 鏡越しに誰かが覗き込んでいないかか
 あなたは気になりませんか

 鏡を見るのが好きなあなた
 魅せられていますよ
 あなたの中の魔物が
 写っているのかも知れませんよ

 でも鏡の中に写った今のあなたは
 大丈夫普通の人です

 今日は思い過ごしから来る
 たろうさんの怖いお話でした 

    たろうさんのヒヨドリ

 今日の八王子は天気予報が外れて
 昼過ぎから晴れ間が出てきました
 「春だよ」の気候ですね

 スズメ達は朝から元気です
 なにを相談しているのか
 唄っているのか忙しないですね

 あらあら 早く餌を食べないから
 餌台が鳩の夫婦に占領されてますよ

 最近ガビチョウの夫婦もたまに
 餌を食べに来ます

 たろうさんが特に嬉しいのは
 ヒヨドリ君が来て首を振りながら
 一所懸命に餌を食べていることですね

 このヒヨドリ君はオスですかね
 毛並みがきれいに光っていますよ

 今は庭の草も枯れているので
 砂場に置いてある洗面器で
 水浴びしていてもドラ猫君が
 直ぐにわかりますね

 前にこのドラ猫君に
 襲われてヒヨドリ君の
 お父さん(?)が可哀相なことに
 なってしまったのです

 それから暫くたろうさんは怒って
 ドラ猫君を追い払ってましたよ

 たろうさんの家は庭に土や草があるので
 猫君たちに好かれているのです
 中には草を食べてる猫君もいました
 「おいおい 草を食べるのかよ」と
 たろうさんは呟きます

 今日は団地の美容院で髪の毛を
 カットしてきた幸せな
 たろうさんとヒヨドリ君です 

    たろうさんのうつ

 人はみなうつを 持っていますよ
 いまあなたが陥っていても
 不思議ではないのです

 愛よりも不安が先に
 生まれたからですよ

 たろうさんも うつな心に
 陥ることがありますが
 笑いを思い出します
 オーラーが輝くように
 嬉しいことを想像します

 たろうさんは元々根暗なのです
 それが表に出ないのは
 洋子さんと娘さんがいるからです

 でも何気ないことで人は
 うつな状態に陥りますね

 今のたろうさんは仕事が
 3月でなくなることです
 生活基盤を失うことが
 大きな不安なのです

 失業状態はうつの入り口です
 多くの失業者がそうなる
 可能性があるのです

 あまりにも忙しい
 働きすぎもいけません
 身体の蓄積された疲労は
 精神まで疲れてしまいます

 思い込み過ぎも駄目ですよ
 グルグル考えが巡って
 出口を見失い 心を犯すのです

 完璧主義で真面目なあなたも
 うつに囚われますよ
 偶には男ですから
 エロ画像みてエネルギーを
 補給しましょうね

 よく性欲をなくして
 清く正しく生きましょう
 スローガンの宗教がありますが
 カスのような人間を作って
 どうするのですか

 これらはたろうさんが
 経験したことですよ
 65年無駄飯食ってはいませんよ

 でも仏教でいえば
 たろうさんは在家です
 釈迦の戒律は修行僧に
 与えたものです

 あなたもはき違えては
 いませんか
 自分で自分を追い込まないで
 くださいねたろうさん 

    たろうさんの娘(5)

 ゴルフの仕事で予定より早く帰ると
 3週間ぶりに娘が帰っていた
 「今週は ああ疲れたな」と思っていた
 たろうさんは嬉しい誤算です

 娘さんは体と心のスイッチをOFFに
 するために帰ってきたのです
 トイレの便座は揚げっぱなし
 トイレのペーパーをグルグル使う
 テレビも灯りもつけたままで仮眠する
 朝飯抜きでトイレにだけ降りてくる
 来たかと思うと冷蔵庫をあさる

 「お父さんはおまえが生まれて良かったと思うよ」
 「眠くて難しいことは考えられない」とまたかという顔
 いまも自分の部屋に上がってゆく
 加藤君が夜勤を終えて迎えにくるのを昼頃まで寝ながら待ち 
 体と心のスイッチをONにして帰るのです

 「たいらやでトイレットペパーが178円と お米が安いからな」
 玄関には家のトイレットペパーが置いてある
 チーズ・チューブの生ショウガ・青じそドレッシングが今回の獲物
 イチゴは半分食べて残りはこの次にと冷蔵庫の中

 この娘と加藤君にはたろうさんの家の未来が懸かっている
 「重いなぁ~」と感じているかも知れない
 娘はバレンタインチョコを置いて元気に帰って行きました

 妻の実家では弟が那須に移り住みたいので親族会議をするという
 義母は要介護3で89歳 少しぼけて耳が遠い どうなることやら一騒動です
 私の叔母は90歳で一人暮らし こちらは耳が遠いが元気です
 もうすぐ春の嵐が来そうな予感のたろうさんです

    たろうさんの不眠(2)

 朝方3時頃まで眠れなかった。寝付きが悪いのです。その上ここ数日忙しくて時間が不規則である。前の日は5時起きで、よる8時30分頃にやっと帰れた。羽田への行き帰りす、派遣先で深く寝てしまったこともある。それに遅く食事をした上に食べ過ぎである、なぜこんなにも働かねばならないのかという不満のやけ食いもあるのだろう。帰ってきた顔を見れば不機嫌さが顕れている。態度も良くない、長椅子の上に荷物をどさっと置く、口数が少ない。あと2週間もしたら退職日だというのに仕事をもうしたくないのだ。仕事に復帰して1ヶ月になる。毎月80~90時間の残業で朝は家を6時30分に出て、帰りは8時頃という生活を2年近く続けた末の帯状発疹であった。ブログを書く時間がこれに重なったことも影響している。疲れのピークが来ていたのだろう。テレビで快眠の方法を放映するのは不眠の人々が増えているのだ、大人ばかりではない子供たちもそうである。眠れない社会、寝付きの悪い生活のためである。たろうさんの場合は運動不足もある、ストレスはもちろん影響している。寝付かれないままに、ふと思い出したのだ「たろうくんのニワトリ」の詩の続きを、たろう君に言われてニワトリをお父さんはどうしたのだろうか?殺してみんなで食べた記憶がない、どこかに逃がしたのなら良いが嫌々ながら殺したのなら、その時のお父さんの気持ちはどうであったのかと!そこまで考えが及ばなかった、たろうさんの浅智慧をである。89歳で死ぬ1週間前に病院に見舞いに行ったときに「たろう 救命丸飲んでいいかな」と訴えた父、なぜあのときに「いくらでも飲んでいいよ」といってやれなかったのか、妻にそのことばかりが心残りだと何度も言ったものだ。父は病院には1週間入院しただけで亡くなった、家にいるときは這ってでもトイレにいっていた気丈な父であった。親鸞は「悪人でも救われる」と説いた、父のニワトリ殺しの罪も救われないと困るのだ、たろうくんの犯した罪でもある。親鸞の「悪人とは」生き物を殺す仕事をする人々を指している。この眠れないときにたろうさんの頭の中を「ドナドナ」の歌が繰り返し流れていった、イディッシュ(中東欧ユダヤ文化)の歌で、牧場から市場へ売られてゆくかわいそうな子牛の歌である、子牛は殺されるのだろう、不思議だった。父は息を引き取るときにその魂は鹿沼の直ぐ下のやはり病院にいた弟の所に飛んでいったらしい、従兄弟に「父が死にました」と電話で伝えると叔父は「今八王子が来たよ」と話していたという、父は鹿沼に行ったことや弟が入院していることも知らない。そんなこんなでたろうさんが寝たのは3時でしたよ。

    たろうさんの神さま(2)

 あなたは泣いているけれども
 幸せの鍵でも失したのかい
 あなたは笑っているけれども
 幸せの鍵でも拾ったのかい

 誰にでも幸せになる権利は
 あるんだよ
 でもね 今は違うね
 不平等に出来ているんだよ

 神さまはね
 平等と不平等の
 目盛りのついた天秤で
 愛と不安に換算した
 あなたの幸せを計るんだ
 「どちらが重いかなぁ~軽いかなぁ~」
 盛んに比べてるよ

 そんな神さまをたろうさんは
 冷徹な眼で眺めていたけど

 苦しまない 
 責めないという
 青竹を左手に持ち

 右手に自由という
 涙の入った瓶を
 ぶら下げて叫ぶんだ

 「十一面観音さまぁ~
  お元気ですか」
 「わたしは今を生きまます
  明日を生きます
  未来を生きます
  過去にはサヨウナラですよぉ~」

 あなたは信じれるかい
 たろうさんの神さまを

 そうだ 春が来たら信じようね
 たろうさんも神さまもね

    たろうさんの春(5)

 春だから何気ない言葉に
 深く傷ついてしまう
 僕がいる
 私がいる
 たろうさんがいる

 大気が揺らめいて
 陽炎となって
 上昇するのが
 心に映えているんだ
 だから途轍もない
 想いが沸き上がってくるんだ

 でも誰も春が来るのを
 止めようとしない
 浮かれているんだ
 戦場へ出かける
 初めての少年兵のように

 知らないと言うことは
 素晴らしいのか
 悲しいのか判らない

 国境のトーチカでは
 機関銃を構えた老年兵が
 待ち構えているのに少年兵は 
 チューインガムを噛みながら
 行進をするんだ

 だからたろうさん
 春は死への季節ですね
 呪文を唱えましょうね
 ノウマクサンマンダー バーサラダー
 ノウマクサンマンダー バーサラダー
 少年兵のために 老年兵のために
 (愛と平和は遠い春だなぁ~)

    たろうさんの自転車

 家の横のドクダミの咲く所に
 たろうさんの自転車が放置されてます
 乗られなくてタイヤのゴムがひび割れて
 錆が全体を覆っています

 自転車には思い出がいっぱいあるのに
 たろうさんは車の世界です
 隣の西村さんの坂の上の空き地にも
 子供たちの自転車が置いてあります
 西村さんは引っ越してゆき
 暫く帰る予定がないのです

 子供たちに愛されて
 力一杯漕がれた記憶は
 もう錆付いています
 昔はチェーンが伸びて
 ガラガラ音を立てて
 走っていたものですね
 今は空き家ですよ

 数年前ですがその空き地に
 歩き始めたばかりのかわいい女の子が
 お父さんと来て
 コンクリートにしゃがんで
 指さしてお話しているようでした

 そこにはドングリが落ちているのです
 嬉しくなる光景でした
 娘もドングリを小さなポケットに
 いっぱい詰めていましたね
 あの子はもう入学でしょうか

 他人の子が大きくなるのは早いものです
 たろうさんの孫ができたら
 ここでお話してくれるでしょうか
 ドングリと一緒にね

 その頃には自転車の思い出も
 たろうさんからは
 屹度 忘られていますね
 いまは自転車が寂しく
 独り言ですよ

    たろうさんの獲物

 「おはようございます」の声に向かって
 たろうさんは恋のトリガー(銃爪)を引く

 美しいあなたの心を射貫こうか
 撃ち込まれた玉薬は
 あなたの心を溶かすのに十分な威力

 標的はあなたの笑顔
 横顔は美しい 完璧に捕らえた

 吸い込まれるような眼と瞳
 きめ細かい頬はどうだ

 きれいに引かれたアイラインと
 濃い化粧は何を語る

 あなたの舌は口唇の中で蠢く
 軽く唇を開いて

 「誘っているのか」
 「乱れているのか」

 「どこからでも挑戦してちょうだい」
 「さあ早く」

 たろうさんの次の獲物は
 あなたに決まりですよ

    たろうさんの羽田空港

 たろうさんは大井南の
 パーキングエリアで待機です
 羽田空港に向かう湾岸道路を
 車がビュンビュン通り過ぎます

 羽田空港の誘導路から
 出発する箱 帰ってくる箱
 管制官の思いが聞こえます
 「巨大な箱が飛んでいるんだよ」
 「墜ちないのが不思議だね」

 パイロットも客室アテンダントも
 乗客も荷物も
 この箱の中では運命共同体ですね

 愛も不安も夢も希望も苦しみも
 上がったり下がったり
 まるでエレベーターですね
 あなたとわたしの運命と同じですよ

 この箱に染みついた
 悲しみをあなたは感じましたか
 喜びを共にしましたか

 たろうさんも車のパイロットですよ
 乗せる人と運命を共にしてます
 「さあ ぼちぼち出かけましょうかね
  わたしとあなたの羽田空港へ」
 「愛と幸せと希望を迎えにね」

    たろうさんのチェアーベッド

 今日はたろうさんのチェアーベッドの
 実演販売ですよ

 そこのお兄さんもお姉さんも
 もっと近くに寄って見てってくださいね

 このチェアーベッドはそんじょそこらの
 品物とは違います いいですね
 ローマからシルクロードを遙々と
 駱駝に乗って運ばれてきたという
 勿体なくも有難い品物ですよ

 さあ 此処で広げてみますから
 嬢ちゃんも婆ちゃんも身体を
 この上で伸ばしてみてくださいね
 どうだい 手も足も心も伸びたでしょう
 寛げたでしょう

 ではこのチェアーベッドを畳むと
 どうなりますか 
 心も閉じた それは実に残念ですね

 この品物は ほれこの通り
 折り畳 自由ですから
 東西東西 この通り

 あなたの好き勝手にやりましょうね
 買えない人はどうすればいいかって
 その地べたの上で
 手足を伸ばしなさいね

 ハイお金を払った人から
 ゆっくりズムで リラックスリラックス
 絡み合った脳も一休みですよ

 今日はたろうさんのチェアーベッドの
 大安売りですよ はい
 お買い上げ有難う御座いました

    たろうさんのゴルフボール

 私は優勝出来ない中年のゴルフプロです
 優勝の懸かった最後の18番で
 いつもビビリ 
 スリーパットで
 お金が逃げて行くのです
 その瞬間にいつも叫びます
 「オーマイ ゴッド」

 俺はゴルフボール
 今日は朝から思いっきり
 引っぱたかれて
 身体が軋んでる

 最後の18番ホールで
 グリーンに向かって飛ぶ
 256ヤードだ

 今はグリーンの上
 カップに向かって
 転がる 転がる 転がる 
 ご主人様の運命も転がる
 穴が見えた
 落ちる
 ご主人様に
 拾い上げられる

 嬉しそうに奥さんが駆け寄る
 泣いて抱き合っている

 俺の身体は観衆に向かって
 投げられる
 優勝だ

 その俺を受け止めたのが
 たろうさんです
 俺は右ポケットの中に
 収まって眠る
 たろうさんの太ももは
 温かいです

    たろうさんのおひな様

 たろうさんが元気を出さなくては
 あなたが笑顔を見せなくては
 たろうさんのおひな様も
 あなたのおひな様も
 悲しそうですよ

 さあ 箱から出して飾ってあげましょうね
 今からでも遅くはありませんよ
 たろうさんの家のおひな様は
 早く出して遅くまで飾るのですよ

 でもおひな様を飾れない人もいますね
 女の子のいない人
 お金がなくて飾れなかった人
 そんな人は心の中に
 おひな様を飾りましょうね
 ひとりで白酒を飲みましょうね

 いまごろたろうさんの家のおひな様の
 ボンボリが廻っていますよ 静かにね
 あなたの心も楽しく リズミカルに
 回っていいることでしょうね

 だから もう悲しいことは忘れて
 お祝いしましょうね ひな祭りの夜を
 あなたには笑顔が似合いますよ

 ほら おひな様も微笑んでいます
 三人官女も 五人囃子も
 左大臣も 右大臣も
 あなたを待っていますよ

 あなたを守るたろうさんの
 今夜のおひな様ですよ 


『詩集・今書いている詩Ⅱ』

2016-07-10 09:06:34 | 
  『詩集・今書いている詩 Ⅱ』

    還暦男の告白(3)

 高田瑛子さんあなたとの思い出は
 本当に切なくて   
 今はもう伝えられませんが
 タイムマシンで時をパスして
あなたのもとへ帰ってはいけませんか

 あなたがいなくなってから
 何処かでまた会えないだろうかと
街角の雑踏の中を 電車の中を
捜しているたろうくんでした
 あのときはいけない恋をしていた
 たろうくんでした

 あなたとお別れして40年になりますが
たろうくんの記憶の河は
思い出に浸かり過ぎて
泳ぎの下手なたろうくんは
向こう岸に渡れそうもありません

 時は過ぎゆくほどに   
 甘く切なくなりますが
磨りガラスの向こうの
 あなたがぼやけて
 見える40年の歳月です

 たろうくんは良い奥さんと娘さんと
幸せに暮らしていますが
 ときどき思い出してはあなたと
 お会い出来たらと願っています 

    たろうくんの深沢山

 あなたが其処に座しているから
私はあなたを見つめています
 あなたが私を守っているから
 わたしは此処に居られます

 天正十八年六月二十三日の
悲劇を忘れたかのように
由井の山河を 村人を
眺め続けてきたあなた

 三角錐の山容を天空に晒して
泰然として今も座っている  
 私のあなた
 私の存在しない時代にも
 悠久の時を越えて  
 有り続けたあなた

 私は此処から朝も昼も夜も
あなたを見続けていますよ
 私はあなたから離れないでしょう
あなたも私を離さないでください
 
 雪化粧したあなた  
 茜色に染まったあなた
 あなたが其処におられるから  
 わたしは安らかで居られます
 あなたがたろうくんの拠り所です
あなたがたろうくんの産土神です

    たろうくんのひとりごと(2)

 あなたは独りかい
私には妻も娘もいるよ
 父と母はもういないけどね
 でもね あの世に行く時は
誰でも独りで行くんだよ

私も若い時は孤独性だったよ
 それを解決してくれたのが愛さ
 愛を求めてごらん 天に向かってね

 神の創造のプログラムが  
 動き出すんだよ
 生かされていることに
 感謝してごらん 
 信じてごらん
プログラムの成功への道が  
 近くなるよ

 簡単なことさ 難しくはないよ
 でもね 誰もが夢中でやっている  
 ゲームだから
 答えが出ないうちに  
あなたが諦めて
終わらせてしまうこともあるね

 答えが出ないこともあるんだよ
 次の世に持ち越されてね
完全なものが地上に存在しないように
 可能性が残されているんだよ

たろうくんのひとりごと(3)

 あなた 心が暴走しすぎて
心のスピードメーターが制限速度を
越えていますよ  
 タコメーターがレッドゾーンですよ

 ああ とうとう高速道路で  
 止まってしまいましたね
燃料計は如何ですか
ガソリンは有りますか  
 オーバーヒートですか

 心が気鬱なあなた
 心が停まってしまったんですね
 人は誰でも故障して  
 停滞することもあるのです

 オーラーが輝きを取り戻すように
あなたの心に 笑いと笑顔を  
 補給しましょうね
ガソリンの中に薬と言う添加剤を混ぜて
 また走り出しましょうね  
 
笑顔を作ってごらん  
 最初はぎこちなくてもいいからね
 笑ってごらん 
 心の緊張が解れて
嬉しいオーラーが輝いて来ますよ

 大丈夫ですよ 明るい昼間でも
あなたの星は輝いていますよ
 たろうくんは 今日も古井戸の底から
 あなたの星を見守っています

     たろうくんのひとりごと(4)

 真理なんて突然に  
 閃くものなんだよ
 たろうくんは家の前の  
 冬枯れの雑木林が風に
 揺られているのを見て  
 神の神慮に気がついたんだよ
 (ああ わたしは生かされているんだなぁ~)
 たろうくんは心の窓が  
 少し開いたんだね

真理を求めていれば  
 いつかはわかる時がくるけれども
答えが出ないのが人生だね  
 だから正解もないんだよ
0点でも生きてゆけるよ
100点満点を求め続けるなんて
あなたらしくないよ   
 虚しいだけです

 たろうくんの娘さんは
小学生の時0点をとりましたよ
でも世渡りがたろうくんより
とても上手ですよ 実生活向きです
 たろうくんは優等生でも  
 失業の繰り返しで
うかうかとした日々を  
 過ごしてきました
 ようやくいま自分の仕事を見つけました

 たろうくん「本当の自分を見つけるのも
 時間がかかるんですね」

    たろうくんの小学校ー創立100周年記念ー

 体育館への渡り廊下を
スリッパで行くと
子どもたちの歌声が聞こえてくる
 一生懸命にうたっている
 穏やかな昼時に響いている
 ピアノも唄っている

 合唱コンクールの歌かな
今日の祝賀会の練習かな
 紅白の幕で囲まれた  
 体育館の壇上で
正秋バンドがリハーサルをしている

 校舎の刈り揃えられた生垣の上に
折りたたまれた  
 夏の日よけネットが置いてある
 プールの脇に気象箱が  
 ポツンと立っている
 ダイダイが半分だけ色変わりして
冬を迎えようとしている中庭

 廊下のスピーカー今日は黙っている
 校庭の照明灯 昼間はねむいなあ~
 工作準備室 覗いてみた
 何を準備するのだろう
 子どもたちが自分の椅子を抱えて
体育館へ運んでくる 
小さな運命も運んでくる

 寒い体育館 人で一杯になると
 暖かくなるかなぁ~
寒がりのたろうくんはそう思いながら
歩いています

    たろうくんのタイムカプセル -創立100周年記念ー

 佳き日に 空が青い
 子どもたちがドッチボールをしている
校庭を駆け廻っている
 みんな嬉しそうな笑顔の土曜日の登校
 私は工作室の絵の具で汚れた
分厚いテーブルとセットの四角い椅子に
  座って外を見ている

  私の通っていた頃とは学校も
 建物も周りの風景も変わっている
 大きく見えた教室も机も椅子も
 今は小さくみえる

 100周年を記念した埋められた
 記念碑の横のタイムカプセル 
 子どもたちの夢が  たくさん詰まっている
  10年後はどうだろう  みんなの夢がかなうといいね
 でも神さま 子どもたちの夢が多すぎて
 これから先が大変ですよ 同情します

 私は手持ちぶさたで ウロウロしているだけ
 てもたろうくんも参加しています
 嬉しい創立100周年記念行事に
 娘に子どもが生まれたら
入れたいなこの学校に
 たろうくんの夢も膨らんだ一日です

   たろうくんの子どもたちー創立100周年記念ー

 子どもたちの歌声って  
 素晴らしい
 子どもたちの笑いって
 素晴らしい
 子どもたちの夢って  
 素晴らしい

 夢よ 希望よ
 あなたの住む
 街へ 野原へ
 山のかなたへ
 雲が湧き上がる空へ
 いっぱい届け

 たろうくんは今日も
 いっぱい感動しました
 力をいただきました
 早くお休みですよ

  たろうくんの海ー八幡はらぼけ地蔵

 六地蔵が海を  
 凝と見ている
 あなたの歩く道を見て  
 立っている
 波も立っている浜辺は  
 風も激しく吹いている

 遠い国からやって来た  
 流木よ
 口をあけている  
 桜貝よ
 あなたの何を語ろうか  
 どんな夢を話そうか
 今私の居場所は何処に  
 あるだろうか

 水平線の向こうに  
 夢がある
希望がある  
 愛がある
 どんなに悩んでも  
 構わないよ
 もう直ぐ夜が明けて  
 闇が取り払われ
 あなたの心にも  
 陽が差し込みますよ
 たろうくんも  
 お目覚めです

   たろう君のお休み

 ハエさん窓にしがみついて
外に出ようとして
チッリチッリしても  
 駄目ですよ
 今日のたろうくんは
 風邪で会社もお休みです

 あなたを外に逃がす  
 気力がありません
 家の中に入ってくる  
 馬追いも 蜘蛛も 
 飛びまわっているゴキブリも  
 殺さない主義ですが
蚊は殺しますよ  
 娘を刺すなら蜂も  
 殺しますよ

ちびまるこちゃんの  
 カメムシはそっと逃がします
 やれ打つな 蠅が手をする 足をする
風邪でダウンのたろうくんです

    たろうくんのお休み(2)

 濡れる 濡れる
 初冬の雨に  
 雑木林も 
 菜園も 
 屋根も
 みんな濡れる 
 たろうくんの心も
 濡れる

 けぶる けぶる 
雑木林も 
 遠くの山も
 みんな けぶる

 残った木の葉が  
 雨にぬれて
 鮮やかに映える
たろうくんも生き返る
 陽が当たる 当たる
乾く 乾く  
 雑木林も 菜園も 屋根も 
 たろうくんの心も乾くだろうか

 おーい ベランダから巣を張っているクモ君 
君は元気かい 
 君は誰だい
 もう獲物はいないよ  
 君の捕らえた獲物は
 糸でグルグル巻きだね
 君も早く冬ごもりしないと  
 干からびちゃうよ
 たろうくんの2日目のお休みです

    たろうくんのお休み(3) 

 お天道様  
 昨日のあなたは
 ご機嫌が悪かったのですか  
 良かったのですか
 朝はザーザー大雨  
 昼はポカポカ陽気
 夜はビュービュー季節風  
 たろうくんの体も狂ってしまいます

 久しぶりにFMさがみ83・9MHz聞きました
 なんで八王子にはFMがないの
  相模原に負けてますよ

 医院の帰りにたろうくんは
 ジャンボ宝くじ・ロト6・ミニロトを
 買いました  
「あたるといいなぁ~」
「あたるといいよねぇ~」
 願望と願いが入り混じって聞こえます
 キイロのハンカチで包み黄色の袋に入れ
本棚の上の本の隙間にそっと置きました

 風邪がまだ治らない
体の軽いような力の入らない
たろうくんのお休みの3日目でした

    たろうくんの不思議

 私を待っていてくれた大幡(八・西寺方町)の
山よ 川よ ありがとう
 私が今 此処にいるのが不思議です
 私の家が此処に用意されていたのが不思議です
 その家に妻と娘と暮らしているのが不思議です

 儀海上人が800年前に私の家の横を通っていたのが不思議です
 私の生まれた慈根寺(元八王子町)で娘が新しい生活を
 始めるのが不思議です
 私は此処で 私の中のあなたを受け入れます
 私の中のあなた 私の晩年に素晴らしい
 プレゼントをありがとうございます 祝福ですか?

「たろうくん 不思議ではないのです あなたが私の
 プログラムの一員として 経験という名の設計図に
 従っているだけなのです あなたの感謝は私の
 大いなる喜びと愛へとつながっています すべては
 あなたの生まれる前から始まっていた物語の1ページです
 まだまだあなたの知らない続きがあるのですよ…」   
 たろうくん いいのですか
あなたのカバンの蓋が  開いたままですよ  
さっき 初恋の思い出が  零れましたよ

古道具屋で買った 値打ち物のエロ雑誌の  
 背表紙が覗いてますよ
 あのー 言いにくいのですが 
 ズボンのチャックも開いてますよ
 ご用心 ご用心 邪悪な北風 吹き込みますよ  
 閉めましょうね

 お月さま 雑木林の隙間から  
 覗いて笑ってますよ
 毎年飾っていたプラスチッチクのクリスマスツリー
娘さんが出てゆくので  今年は辛くて飾らないのですか
 クリスマスツリーも  寂しがっていますよ
 たろうくんもついてゆきたい  
 クリスマスになりそうですね

     たろうくんのモミの木

 おーい モミの木君   君はいつからそこに立っているんだい
随分長い間そこに立っている  気がするんだがね
 君は一年中青葉の衣を  纏ったままだね
 北風は寒くないかい  夏は暑くないかい

 雨は汚れを落としてくれるかい
 慰めてくれるかい  雪は重くないかい

 もうすぐクリスマスが近づくから  浮かれた人間がやってくるよ
 北向きの磁石を持って  地図を眺めている  人間がいるよ
 小屋のそばで斧を研いでいる  人間がいるよ

 エンジンのかかったトラックが  赤ワイン倉庫の前にあるよ
 たろうくんも浮かれた  人間でなければいいね

    たろうくんのひとりごと(5) 

 青春て 何だろうね たろうくんは老春だね
 みんなと同じように 笑ったり悩んだりしています
 さすがに 胸がキュンとすることは なくなったけれどもね
 その代わりにドラマを見て 泣き虫に成りました

 会社の美人の受付の女の子や 医院の看護師さんを見て
お話してみたいとは思います お食事に行けたらと思います
 時々エロ画像も見ちゃいます まだ男が残っているんですよ

 若いあなた 青春はよく燃えますよ 勿体つけないで燃やしましょうね
 たろうくんは青春を求め続けて 還暦を超えましたが
 心だけは今も万年青年ですよ でも体は病気のデパート状態です
 
ヒヨドリとスズメは元気だね 妻の洋子さん元気に歩いて  
 パートに行きました
元気のないたろうくんは スパークユンケル飲みました

    たろうくんの愛欲

 愛欲に悩んでいるあなた 性欲に悩んでいるあなた
恋に悩んでいるあなた 愛に悩んでいるあなた
自分の暴走に悩んでいるあなた
 それはあなたが人間だからです

人間をやめることはできない 一人では生きてゆけません
 誰でもが父母から生まれたのです
 愛欲は親鸞聖人にもありました 知らない人もいるけど
認めたくない人もいるけれども

 親鸞聖人は二十九歳のとき六角堂に参籠して
百日の祈念をされたその九十五日目の聖徳太子の
 夢告が次のような教えです   
「行者宿報設女犯、我成玉女身被犯、一生之間能荘厳、臨終引導生極楽」
  (行者が宿業の報いによって 女犯の罪を犯すなら、
 われは玉のような美しい女の身になって犯されよう、
 そして一生の間荘厳し、臨終には 引導して極楽に生まれせしめよう)  

あなたの代わりに悩んでいた 親鸞聖人がおられました
若いあなたも 老いたあなたも 異常ではありませんよ 正常です
石炭が蒸気機関車のエネルギー源のように
エロスは人間のエネルギーの源ですよ

 干からびた あなたでは 私では 未来という列車を牽引出来ませんよ
 文明という明日を切り開けませんよ 再びエロスに目覚めた  
 老春のたろうくんです 

  たろうくんの守株待兔(しゅしゅたいと)

 あなたはいつも 待ちぼうけ  たろうくんもいつも 待ちぼうけ  
 待っても無駄ですよ  待ち人は来ませんよ  
 良い知らせも来ませんよ  良い出来事も起きませんよ
 あなたも たろうくんも  いつも期待の海だけど  何もしないで  
 唯待っているだけの毎日では  進歩がありませんよ
 工夫をしなさいね  行動を起こしなさいね
 最初は天に向かって  あなたの夢の設計図を 大声で語りなさいね  
 宇宙の創造のコンピューターの スイッチを入れなさいね
 あなたの たろうくんの 未来が動き始めますよ  
 必ず叶うと信じなさいね 夢の実現に向けて 一心に努力しなさいね
 同じことの繰り返しのようでも 意志を持ち続けることが
 天才なのです 才能なのです
 くたびれますか 休むことはあなたに 任せられていますよ
 最良の方向を 自由に選べますよ 設計図の修正もできますよ
 あなたも たろうくんも 素晴らしい明日が見えて来ますよ  
 これが本当の期待の海です 

    たろうくんの祈りと詩

 夢を諦めてしまったあなた
 望みを失ってもがいてるあなた
 辛いと感じているあなた 病と闘っているあなた
 祈りなさいね  他力でいいのですよ

一心に祈るのですよ 信じて祈りなさい
 疑っても祈りを やめてはいけませんよ
 私にはあなたに向かって祈る
 それがいま出来ることです
 言葉で伝えることも 手を握って励ますことも
永遠に出来ないかも知れません
 でも祈りは時間と空間を超えて あなたのもとへ届くでしょう
 そして私に残されているのは 詩を伝えることです

 いっぱい創りました その中のどれかが あなたに響くでしょう
 たろうくんの祈りと詩で ひとりでも元気なあなたを
 喜ぶあなたを 笑うあなたを 自分を取り戻したあなたを  
 知りたいのです
 呪文はいりませんよ 唯祈るだけでいいのです
遠い宇宙の彼方に向かって 放射されたあなたの祈りが
新しい命に引き継がれる日まで  
 たろうくんの祈りと詩は続きます 

    たろうくんのエロス

 少女は何を見ているんだい 求めているんだい
 遠い山かい 海かい それともあなたかい
瞳が求めているのは 美しい花かい それとも 邪悪な華かい
 青年は何を求めているのかい 平和かい 戦かい セックスかい
 おーい たろうくんは何を 求めているのかなぁ~  
 愛あるエロスの世界かな
 好きだね~ 仕方ないけれど エロ画像を拡大して 喜んでいるけど
 たろうくんの前世は 性に飢えた僧侶かな
 君はまったく好きだから 仕方ないと諦めている お方がいるよ
 でも エロスの世界も 信仰の世界だね  
 男根 女陰は古代から 豊穣のシンボルだよ
 夫婦和合の道祖神 繋がった夫婦杉 奉納された神社の男根と女陰  
 みんないいねぇ~
 みんな隠しているけれど 知らない振りしてるけれど  
 エロスはエネルギーの源です
たろうくんのエロスも信仰にまで  
 昇華するといいねぇ~ 

    たろうくんのキュウイ

 塩化ビニールで作ったキュウイ棚が  
 自分の重みで壊れてしまっている
 雨に濡れた樹が黒く光ってる 葉は残っていない  
 採り切れない実だけが 残っている
 枝は隣の椿 モクレン 金木犀を 飲み込むように伸びて覆っている
 全部切ってしまおうかなぁ~  切らずにおこうかなぁ~
 優柔不断のたろうくんは 迷医でも外科手術が苦手です
 自然のままに残してやりたいが 庭木は手入れしないと駄目ですか?
 伸び放題が いいがなぁ~  裏庭の榊も伸び放題です
 前に住んでいた人は植物が好きで
琵琶も クリの木も 桃も 沈丁花も 
西洋シャクナゲも 椿も モクレンも 金木犀も
 ゆずも アジサイも キュウイも 榊も 梅も
 ツツジも 紅葉も 萩も みんな植えました
 知らないうちに 南天も 青木も 八つ手も生えてます
でも クリの木も 西洋シャクナゲも 沈丁花も 枯れてしまいました
 手入れをしないたろうくんが悪いのですか?
 庭も 草ボウボウです 菜園だけが大根・冬菜・早撮り京一株で元気です
 自分勝手かなぁ~ 切られる木のことを考えると  
 気が重い迷医のたろうくんです 

  たろうくんのタイヤ

 小気味良い音を立てて スタッドレスタイヤが
路面を掴んでいる 唸っている
 ハガキ4枚程の大きさで 車体を支えている
 あなたは掴んでいますか 連れ合いの心を
 家族の心を 友達の心を 恋人の心を
 心を掴みきれなくて 泣いてはいませんか

 時に人生は 泣き笑いですね 照る日 曇る日の 連続です
 たろうくんスピードオーバーです 過信はいけませんよ
 程々にしましょう 車の運転も人生もね
 「そうかなぁ~」と思いながら 明日も仕事に励む  
 たろうくんのタイヤです  

    たろうくんの夜空

 あっ ねがい星 かない星 東の空に見っけたよ
 半欠けお月さん 西の空に沈んだよ
 オリオン輝く南の空に 幸せの願い投げ上げてみたよ
 流れ星ひとつ北の空に 捕まえたよ
 たろうくんの夢と あなたの恋 叶うといいね
 星が揺れるから 明日は屹度 晴れるね
 星座が輝く冬の夜空を たろうくんは今日も  
 見上げています 

    たろうくんの桃の木

 2階で臥せっている たろくんはベランダ越しに 桃の枝を見ています
 雑木林で朝日がろ過されて 桃の芽の産毛を淡く 浮かび上がらせている
 硬く小さい芽は 幼いあなたのようですね
 おーい 桃の木君 13年前には途中から 切られていたね
 どんな理由があったのかな ヒコバエから復活して
 傷跡は何処にもないね 「桃クリ3年…」だけれども 君は強いねぇ~
 毎年 実をつけるけれど 鳥さんか 虫さんの 美味しい食べ物だね
 「来年は袋をかけて たべたいなぁ~」  
 食いしん坊のたろうくんは 寝ながら思っています

    たろうくんのゆずの木

 おーい ゆず君 君は12月が近づくと 黄色くなるけれど  
 恥ずかしがっているのかい 少し照れているのかい
 たろうくんの家でも 冬至にゆず湯の 習慣だけれど
 いつも君が実を いっぱいつけるので 知り合いに配っても残って  
 もう毎日 ゆず湯ですよ 幸せも一緒に配れてるといいね
 日が弱った冬至に大昔 日野市の坂上で 日奉氏が火を焚いて
 お祭りしていたそうですよ  たろうくんの体も温まるといいね
 一年中青葉の君に 黒アゲハ君もやってくるね  
 白い花も咲いて 嬉しいたろうくんのゆずの木ですよ 

    たろうくんへの宅配便

 幸せは軒に吊るされた 干し柿のように 甘くなって並んでいるかな
 希望は隣の家の干し大根のように 萎びてないかな
 干し柿も 干し大根も 今が食べ頃ですよ
 でも美味しすぎて 幸せも 希望も あなたの胃袋の中で  
 消化できますかそれとも  消化不良になりませんか
 はい 此処にクレオソート丸 置いときますよ
 「ピンポーン」「たろうさん宅配便です」「ご注文の愛の干物です」
 「水道水で元の愛に戻るそうです」「代引きですから お金と判子ください」
 「ご注文いつもありがとうございます」 

    たろうくんの銀座

 たろうさん私は街を 行く当てもなく 汚れた服と少しばかりの  
 荷物を引きダンボールを抱えて 歩いているのに 幸せが必要でしょうか  何処に希望があるでしょうか
 入浴出来なくて 赤照りした顔にも 明日は来ますが  
 毎日ねぐらを求めて 唯歩いています
 安住の地も 時もありません 伸びたヒゲと白髪を 寒風に晒しています
 いつか訪れる安らかな眠り 私の願いはそれだけです 
 青木ヶ原の樹海にゆく お金も気力もなく 銀座の外れを歩いてます
 たろうさん私の未来が あるのなら教えてください

     たろうくんの道

 楽しい道を往くときは 広く感じる 辛い道を往くときは 狭く感じる
 あなたは今どの道を 歩いていますか
 広い道は快適に車で行けますね 狭い道は注意が必要ですね
 画布に広い道を描くか 狭い道を描くかは 画家の人生ですね
 たろうくんならば ジグザグな狭い道を描きます
 あなたは自分の往く道を 自由に選べますか  
 分かれ道では熟慮しなさいね
 迷い道でも 脇道でも あなたの往く道ですよ
 連れ合いと 家族と 仲間と 恋人と みんなで往けばひとりよりも  
 楽しい寄り道が出来ますよ
 クリスマスが来て 来年の干支のうさぎが 福を招いて待っていますよ
 たろうくんも南天で 難を払って新年を 迎えるつもりです

たろうくんの苛立ち

 生活している 暮らしている 私もあなたも 息をしている
 夢や希望はどうだろう すべて幻想ではないのか  
 (時を写真で切り取れるか)
 こうありたい ああなりたい 思い巡らしても
 実現しない思いは幻想ですね
 たろうくん考えが「メビウスの輪」になっていますよ
 帯状発疹の後遺症で悩まされて 現実から浮いていますよ
 クリスマスイブの夜まで仕事になって 奥さんと娘さんで祝えなくて  
 ガッカリしているのは判りますが 早く帰れると良いですね  
 現実の厳しさに苛立ちの 隠せないたろうくんです 

  たろうくんの動物園

 動物園の動物達は あなた幸せですか
 どんなに環境が良くても 捕らわれているのです
何代にわたって交配されて 飼育されているのです
 本当に彼らはそれでも 幸せとあなたは思いますか
 人間に見られるだけの 彼らの人生ってなんですか
 そのうちに人間動物園が出来て
 あなたの子孫が いや孫が 飼育ケージの中にいて
 案内板に「この人間ずる賢くて 危険 餌を与えないでください」と
 書かれるかも知れませんよ
 その時の飼育員は たろうくんでしょうかね 

    たろうくんの会話

 台所の妻と娘の会話 妻「私の運はいいのかな?」  
 娘「お父さんを引いたので悪いのじゃない!」
 妻「でもスクラッチで7万・5万当たったし?」
 たろうくん「家も買えたし 私はお母さんで良かったよ!」  
 あなたの会話ならどうなりますか
 今日から娘さんは新しい生活を始めるので
 たろうくんの家から仕事場へは最後の出勤です
 そのまま新しい家に帰ります
 娘「おっ父 行ってくるよ!」 たろうくんはソファーに寝ながら  
 「おう!」とだけ答えました
 たろうくんの家から新しい娘さんの家まで 車で8分です  
 高尾駅からタクシーでワンメーターです
 「仕方ないよね 近くにいてくれるんだから」  
「いつまでも 3人で暮らせないからな」
 たろうくんは娘さんがジャンボ宝くじを買ったので
「大当たりしたら 1000万円貸してね」と言いました  
「返す当てがないから もらうのでしょう」と奥さんが言います
 「当たってくれるといいなぁ~」と心の中で思い  
 たろうくんは少し嬉しくなりました

    たろうくんの風船

 希望をいっぱい吹きこんだ 風船を持って
娘は家を後にした 行く先は彼氏との新しいアパートへ
 たろうくんの風船は萎んでいます
 でも大丈夫たろうくんの風船は 奥さんの洋子さんが  
 新しい空気を入れて膨らませてくれますよ
 娘さんは直ぐに帰ってきますよ 幸せという風船を持ってね
 「いつでも帰っておいで 此処にお前の家があるからね」
そうたろうくんは娘さんに言いたかったのです
 たろうくん娘さんは判っていますよ
 お父さんのことを一番心配していますからね   

    たろうくんの特効薬

 たろうくんの症状を聞いていた 西寺方医院の理事長先生は  
 「これはもう特効薬しかないですね」
 この薬は11月に承認された 最も新しい薬だそうです
まるでたろうくんを 待つていたような薬です  不思議ですね
 この薬を開発してくれた皆さん ありがとうございます  
 西寺方医院の看護師さん スタッフの皆さんありがとうです
 高血圧・糖尿病・下肢静脈瘤・風邪・帯状発疹と続いた 今年のたろうくん
 改めて健康でいることのありがたさを感じましたよ
 でも一番の特効薬は皆さんのエールと
 自分勝手なたろうくんの用事を してくれた奥さんの洋子さんです
 来年は65歳の坂を無事に越える たろうくんだといいですね

    たろうくんのフクロウ

 「あっ 今フクロウが啼きましたよ」今年の春に来たフクロウ君です
「私は此処にいますよ 見守っていますよ」
 「君は何処にいたんだい」  
 君のいない間のたろうくんは 大変でしたよ  
 フクロウ君「食べ物は十分ありますか」「いろんな世間を見ましたか」
 帯状発疹の痛みに耐えて たろうくんはようやく年賀状を書き終えました  
 今日の仕事を替わってくれた 須藤さんありがとうございます  
会社の武蔵部長さんありがとうございます
派遣先の桜井さんありがとうございます
阿部社長さんご迷惑をおかけしてます  
 今日の夜は娘が帰ってきます フクロウ君たろうくんの分以上に  
 娘を宜しくお願いします
 「寒月にフクロウ啼きて道遠し」

     たろうさんの娘

 昨日の夜9時頃 娘さんの 携帯から「河原宿のあたりだよ」  
 と連絡がありました 娘の最初の里帰りです 腕の痛いたろうさんは  
 特別サービスで歩いて5分ほどの バス停まで車でお迎えです  
 いつもは母親の洋子さんが 坂を下ってお迎えでした
 たろうさんが元気な時は 必ず車でお出迎えに行ってました  
 娘に何かあって後で後悔しても
 いけないと夫婦で思っている  過保護な親です
 今日は11時まで爆睡の娘です 起きてきたら冷蔵庫を漁って
足りないものを物色です 持つていった物のリストです
 トイレットペーパー・折りたたみ傘・明太子・鮭切り身(6)・
 牛肉(200g) プリン(2)・ヨーグルト(2)・焼きそば・
 梅干し(少し)・丸美屋のふりかけ(5)・午後の紅茶(明けたもの)
 ほうれん草・わかめ・長ねぎ(これはカップのインスタント)  
プリマのハムセット〔ハンバーグ(2)・荒引きポーク・
 あい鴨ハム・ベーコン・ミニステーキ〕
 今日母が買ったもの ミカン・ゴマ昆布
 「何でも持っていきな」「娘のためだから仕方ないですね」  
 「自分の家の家計費のことだけ計算して  
 こちらの家計は計算していないね」
 彼氏が13時頃きて 帰ってゆきました ヒヨドリがピーピー啼いて
 クリーンヒータの音がする
 静かな夫婦の暮らしがまた始まりました
 たろうさんは長椅子で寝そべっています

    たろうくんの大晦日

 弱い朝日がリビングに 差し込んでいる 長椅子に寝そべっている  
 たろうくんの耳元で クリーヒーターが  唸りを上げている  
 加湿器の蒸気が 真上にあがっている

 静かな大晦日の始まり 昼を告げる時計が鳴る 陽が強くなる  
 部屋は暖房が要らなくなる
 「大丈夫 迎えに来られる」「ああ ゆくよ」
 緩やかなS字の坂には 塩カルが撒いてある
 初めての信号機を過ぎると 陵北大橋で突き当りの信号を  
 右折し次の信号の角が 妻の勤めているエコスたいらや西寺方店
 駐車場の誘導員は顔なじみだ  
 判り易い所に車を入れ替えて妻を待つ 帰りも片手運転だ危ない
 妻が乗り込んでくる 家までは5分もかからない
 ジャムをつけてパンを食べる これが旨い   
 皿に入ったキャベツを そのまま口で食べる
 「もう 二人は起きているかね」
 「昨日遅かったから どてっと寝てるんでしょうよ」
 「少しは片づけているのかな」「今日は忙しくて行けませんよ」
 左手でパソコンを打つ スズメが餌を啄ばむ音が聞こえる
 たろうくんは長椅子に寝そべり 右腋の下に左手を差し込み  
 帯状発疹の痕を撫でる 少し感覚が戻ってきているが  
 痛みは続いてる もうジャンボ宝くじの抽選が  終わっているだろう
 「あたしと お母さんに当たったから 宝くじは当たらないよ」と     
 娘が言っていたのを思い出す
 耳鳴りがして起き上がる  
 大晦日の昼下がりのたろうくんです

    たろうくんのお正月

 帯状発疹の後遺症で痛い たろうくんは考えます  
 人の痛みを知りなさいとの 教えでしょうか
 今までにない痛みの 毎日なのです 挫けそうになります
 あなたも痛みますか 身体ですか 心ですか
 何時まで続きそうですか 薬で治りそうですか 私の詩では駄目ですか
 心まで負けてはいけませんよ 私の痛みはもう直ぐ治るでしょう  
 消えるでしょう
 あなたは消えない痛みを 持っているのですね  
 私に売ってもらえたら良いですがね
 自分に希望を持ちなさいと 誓うお正月のたろうくんです

    たろうくんの詩始め

 山で「おーい 希望よー」と叫ぶと
 「お~い 希望よ~」と小さく 帰ってくる  
 街で「希望よー」と叫んでも  返ってこない
 雑踏の中から「失望ー 絶望~」と還ってくる
 でも信じている  屹度いる
 新しい望みが生まれて
 笑顔が溢れる友がいる
 あなたがいるから
 たろうくんは今日も詠います
 「希望よー」と寝ながらね

     たろうくんの鶯(うぐいす) 

 正月2日の事始の日に たろうくんの庭の桃の木の下で
 藪鶯(やぶうぐいす)が「チッチッチッ」と 啼いていました
 鶯君まだ「ホーホケキョウ(ホー法華経)」と 啼けないんだね
 悟りは先だね
 「ホーホケキョウ(ホー法華経)」は ありがたいお経だけれど  
 あなたは知っていますか
 法華経では女人は救われません 仏教は男の宗教なのですよ
 今の日本は葬式仏教になってますね 男も女もありません誰でも  
 救われる事になってます
 キリスト教は最初から 男女平等です 神道ではどちらかというと  
 穢れを除けば女性優位ですね
 夜に蛍光灯の周りを グルグル元気に飛び回ってた  
 ハエ君が二階の廊下で  死んでいましたよ
 娘さんがいないので ハエが死んでいても 大騒ぎになりません  
 たろうくんも片付けません
 ハエ君は成仏できたでしょうか「一寸の虫にも5分の魂」が  
 たろうくんの信条ですね
 今日も藪鶯(やぶうぐいす)君が「チッチッチッ」と啼いていますよ  
 穏やかなたろうくんの昼下がりです

    たろうくんの夕焼け

 雲の隙間から 陽が差し込む 夕焼けの里が茜色に 染まるころ  
 「カア カア」烏が 勝手に啼くんだよ
 昨日は元三大師の ご命日なのに「カア カア」烏が 啼くんだよ 
 トンビが グルグル廻っているんだよ
 庭の菜園の大根も 冬菜も 早取り京一カブも 出来が悪くて  
 春の菜の花は最悪だね  
 でも時間は過ぎて たろうくんの定年は迫ってくる
 たろうくんは帯状発疹で 寝ている 娘さんが 帰って来るから  
 落ち着かないね たろうくん
 寝ていられないよ いそいそとバス停まで 車でお迎えですよ
 啼くなよ 烏よ トンビよ帰れ 娘よ 帰っておいで永遠に  
 彼氏と共にね?
 今日も夕焼けの里に 夕焼け小焼けの チャイムが響いて  
 救急車が 走ってゆきます
 バイクが走り廻って パトカーが追いかけてます  
 幸福と不幸は裏表で 嬉しさと悲しさが  
 交差するたろうくんの こころに今日も  
 夕焼けが綺麗に映えていますね 

    たろうさんの夢

 ピアノが立っているリビングに 幼い時からの娘の写真が  
 額に入って飾ってある いっぱいある
 ピアノはもう引かれない 自動演奏も使われない 調律も何年もしてない
 妻はひとりしか生めなかったのです 娘よ お前は彼氏の前では  
 淫乱で 子どもを5人も 産んでほしい
 お父さんはお前の子どもたちに 自分の夢を託す
 男の子には 作家 歴史家 画家 女の子には 音楽家 女優
 お父さんの家は お前の子どもたちの  
 託児所となって支えるから 二人で働いておくれ
みんなを学ばせる学費を稼いでおくれ
 今お父さんはこの夢を 天の創造のプログラムに組み込んだから  
 お父さんの夢は動き出すよ スイッチが入りました
 だからたろうさんは85才まで 元気に生きますよ  
 奥さんの洋子さんも共に元気でね
 信じていれば夢は 実現するのですよ 20年後が楽しみですね
 夢見るたろうさん

    たろうさんの灯油

 「お寒む 小寒む 山から小僧が…」の歌声を流しながら  
 灯油売りのおじさんが 今日もやって来ました
 たろうさんの家を 通り過ぎてしまったので  
 あわててたろうさんは 呼び止めました
 「家にもお願いします」車はバックで戻って 来てくれました  
 ポリタンク2つで 3160円でした
 寒がりで着膨れした たろうさんを 心の中まで  
 温める灯油が あるといいですね   
 今日も娘さんが 帰ってきます  
 洋子お母さんは 娘さんの好きな イチゴを買いました  
 「もっと温度を上げてください」 寒がりのたろうさんが言います
 暑がりの洋子さんは 嫌な顔をして少し温度を上げます
 この灯油でも心が 温まらないのですか たろうさん  
 クリーンヒーターが 唸っていますよ
 今夜も星が揺れていますね 八王子は明日氷点下5度ですよ  
 たろうさんはもう寝ています

    たろうさんの如意棒

 朝から猫が盛りのついた 鳴き声で騒いでる  
 そんな季節なのだろうか 春なのかな
 たろうさんの如意棒は 力なく萎んでいます  
 もともと精力がない上に 大きくもなく早漏気味で
 自分の思うようにならない 困った如意棒ですね
 もう暫くセックスレスですよ たろうさんの歳では
 仕方がないですね 自慢ではありませんよ  自信喪失です
 でもこの歳になると 夫婦はこれで充分なのですよ  
 負け惜しみではありません 現実なのです
 今は若くてもセックスレスだそうですね 日本の将来が危ういですよ  
 セックスは毎日でもしましょうね
 若いあなた神様は使うように 身体を作られたのですよ
 夫婦は淫乱でも良いのです
 干からびた気力では 新しい活力ある日本を作れませんよ  
 先進国病でしょうかね
 人類が滅びないためにも セックスに励みましょうね
 今日はたろうさんからの 過激なメッセージです

     たろうさんの地球

 朝と夜の始まりと終わりは 地の果てでヘラクレスが  
 いまだに大きなカーテンを 開け閉めしているのだ
 太陽は東から西に 動いているのだ たろうさんは海を
 あまり見ないので 水平線が 平でないなんて信じない
 名工は「…水平の水が曲がっている…」と知って発狂する  
 たろうさんの尊敬する 埴谷雄高さんの「死霊」の 一節だが信じたくない
 そうでしょう 車で運転していても 丸いなんて思わない
 山坂があるだけです
 たろうさんは帯状発疹で 寝ていても寝床の下が  
 丸い地球だなんて思いたくない
 ああ 大昔のこの世は 何処までも平の世界が懐かしい
 川の水は地の果てで 滝のように落ちているのだ        
 「それでも地球は回っている」ガリレオが最後まで言っていた
 あんたは偉いが たろうさんの夢を 最初に壊した男だ
 ブラジルのクリチバの joseさんとは 長い糸電話で 繋がっているのだ
 たろうさんは今も 自分の夢と空想の世界を 信じながらも
 現実の世界で 帯状発疹の 特効薬を飲んでます   

     たろうさんの物干し竿

 「竿やー~竿竹はいりませんかぁ~」 今日も軽トラックで
 竿竹売の声が 宝生寺団地に響いています
 女の人の売り声だ たろうさんは甘いから
 運転手まで女の人と思ってしまう
 「声かけようかな いや止めておこう」ともう一度考えます
 そうなのですたろうさんは前にも 洋子さんのいない時に
 駐車場の段差ブロックや 風呂場の水漏れのマスキングを
 頼んだりして 叱られたのです
 たろうさんの家の物干し竿はかなり 痛んでいるのですが
 たろうさんは希望印の洗剤と柔軟剤で洗った
 洗濯物を干してもらいたいのです
 たろうさんは下着を畳んだときの あの優しい希望の香りと
 柔らかさが 嬉しいのです
 あなたの家の物干し竿にも 希望印の洗剤と柔軟剤で
 洗った洗濯物が干してありますか
 希望は物干しに吊る下がっていますか 物干し竿は痛んでいませんか
 「カインズで買えば安いのよ」 帰ってきた洋子さんに言われて
 「ああ 買わなくって良かった」と 心の中で思った たろうさんでした 

    たろうさんから45歳のあなたへ

 45歳のあなた 私の歳までは 20年ありますね  
 長いと感じるか 短いと感じるかは あなた次第ですよ
 私の歳になると1年は短いです カレンダーは直ぐに12月を  
 捲ることに成ってしまいます
 若い人は長く感じることでしょうね
 人生65年穏やかなことばかりでは ありませんでしたよ
 私も辛いことが3度ありました 3度目は家を買って2年目でした
 今から10年前になります それは会社をやめると決意して
 家のローンをどうして支払って行くのか 妻にはどのように言えば良いのか
 車で陵北大橋を過ぎるときに 橋の下を覗きたくなりました
 家を手放す位ならいっそと思いました
 そのとき 私は自分の心におられる
 神に 今の私を助けてくださいと叫びました
 でも神は 私の妻でした 妻は私の言うことを聞いて  
 またか仕方がないと言った顔です
 さすがにわが神です
 それから仕事も3度変わりました その都度 妻は神でした 
 娘は天使でした 自分で思いつめてはいけませんね
 前を向いて歩いても 脇見をしてもいいのですよ  
 廻れ右も時にはあるでしょう 道に迷って立ち止ることも  
 そんな時わき道を見つければいいのです
 今あなたは何処にいますか 道が見つからなくて苛立っていませんか
 仕事が決まらなくても 今のあなたに与えられた日々を
 一生懸命に生きましょうね  
 無駄だとあなたが思う時間も 与えられた人生の休暇と思いましょうね
 あなたも家族を持つといいですよ 神に出会えるかもしれません
 今日は神を2つ持った たろうさんから弟へのメッセージです 

     たろうさんの廃品回収

 「…ラジカセ・ミニコンポは無料にて回収いたします…」   
 今日も廃品回収の車が 宝生寺団地を廻っています
 「毎度ありがとうございます 本日は人間の廃品回収に
 おうかがいしておりま~す」という日が来るのでしょうか
 人間は健康でなくては廃品回収もしてくれないでしょうね  
 その時は「…健康診断書を添えてお待ちください…」となるのでしょうね
 老人の医療費が増えていますね たろうさんもお世話になっています
 薬も一杯飲んでます 去年は病気のデパート状態でした
 痴呆症・若年痴呆症・介護・介護疲れ他人事ではありませんね
 たろうさんの両親は介護の必要もなく亡くなりました
 洋子さんといつも「息子孝行の親だったね」と言っています
 「清正お父さん タツお母さん」ありがとうです
 清水由貴子さんの自殺は同じ名字なので悲しいです
 介護ご苦労様ですが 「私たちも廃品回収に出したいわ」の  
 辛い言葉を聴きたくはありませんね
 暗いことばかり考えていたので
 「…本日も人間の廃品回収にお伺いしております…」
 「あれれ…空耳アワーかな~」とたろうさんは一瞬 思いました
 たろうさんの家の前を廃品回収の車が
 「……ありがとうございま~す…」と通り過ぎました 

    たろうさんの住む町

 八王子市街の東から朝日が昇り 南の高尾山の上を通り  
 西の夕焼けの里に  夕日となって沈みます
 (本当は地球が西から東に動いてる)
 富士山は邪魔されているので見えません その犯人は高尾山です
 洋子さんは江戸っ子だから 富士山の見えないところには
住みたくないそうです
元八王子っ子のたろうさんはそのたびに 悔しい思いをします
 元八王子小学校からは「でんべそ山(大嶽山・別称キューピー山)が
 見えるよ」と むき気になって言います
とても富士山とは太刀打ち出来ません
 一訓君(私の友達)のお母さんが 私の家を見に来てくれた時に
 「いい家を見せていただきましたよ でんべそ山は見えるかねぇ~」が
 第一声でした
 陵北大橋の上は寒いので洋子さんが
 「店に着いたら頬が凍っているようだ」と言います
 陵北大橋は八王子八十八景に入ってます 恩方がずーと見渡せます
 この橋から でんべそ山が少し見えます 
 たろうさんは腕がいま不自由なので  
 休んでいても車で送り迎えが出来ません
 だから借りがいっぱいあります
 「あんたがボケたら面倒みるからね 俺が先にボケたら ボケもん勝ちだよ」
 冗談交じりに言います 
 洋子さんは「私をボケるなんて言わないでよ」とお冠です
 たろうさん早く治って仕事に行きなさい  
 みんながそれを待ってますよ  

 たろうさんの娘(2)

 娘が休みで 彼氏が夜勤だから 車で送ってくる 
 娘が帰ってくるのです 明日は家から仕事に行きます
ヘルスメーターの電池も換えました
 首をキリンさんのようなが~くして待ってます
 たろうさんは少し寂しい 車で帰ってゆくたびに  
 娘さんの部屋の荷物が 少なくなり部屋が片付いてゆくのです  
 大事な大きなクマのぬいぐるみも 持ってゆくと言ってます
 洋子さんは 娘のベッドで ゆくゆくは寝たいと言っていたが
 まだその気はないらしい まだ下の寒い部屋で寝ています
 未練たらたらのたろうさん もう諦めなさいよ  
 でも父親なんてそんなものですよね
 長谷川潤も 香里奈も 北川景子も ファンで美人だけれど  
 たろうさんの娘の方が美人ですよぉ~
 (馬鹿な父親ですね たろうさんは?)  
 「おいスズメ 私が立ち上がるたびに逃げるな 
 俺が主人でいつも餌をやっているだろ~」
餌台が窓辺の近くにあります
 たろうさんスズメに八つ当たりはいけませんよ  
 娘さんは何処にも行きませんからね
 たろうさんが生まれた所に住んでいるんでしょう
 洋子さんはパートから帰って来て 昼飯の焼きそばを作っています
 美味しいですよ たろうさん食べる前と後に  
 忘れずに 薬飲んでくださいね
 娘さんはもうすぐ帰って来ます」からね  
 (あ~あ~ 娘さんも大変ですね)

    たろうさんの神さま

 たろうさんの神さまは語ります  
 「たろうさん わたしはあなたの心の中に いますよ 
 心を通じてあなたに語ります わたしは姿を顕わしません 
 姿形はないのです あなたのインスピレーションがわたしの囁きです」
 たろうさんはいつも考えています「神はおられるのだろうか」
 「私は何のために生かされているのだろうか」
 「私は誰に守られているのだろうか」
 「私は何故に詩を作っているのだろうか」
 たろうさんは友人に「…山ノ神・うちの神さんと言います…」  
 と教えられて「なるほどね」と思い納得しました
 確かに洋子さんはたろうさんを助けてくれる神さまです  
 娘さんはたろうさんを癒やしてくれる天使です    
 「たろうさん自分の周りをよく見なさい あなたが一番
 大切なのは誰ですか 娘さん 洋子さんですね 
そうですよ あなたが思っているように 
 あなたのご両親もあなたのことを大切に思っていました
 そのご両親もそのまたご両親を大切に思っていました   
 ごれが続く家族の絆です それがご先祖の縁に繋がります」
 「あなたが運転中に危ないと思ったときに 助けているのは  わたしだけではありません おわかりですね あなたに繋がる 人々ですよ ご両親を始めとするご先祖です」
 「でも一番今を生きている人々があなたを助けていることを 忘れてはいけません 
 今を生きるのです 生きている人々が わたしの業(愛)をなせるのです 
 死んだ人に教えるのではなく 今を生きる人にあなたは教えるのです」
 「たろうさんあなたを守っているのはだれかわかりましたね  
 あなたが詩を作るのもわたしの業(愛)を人々に教えるためですよ  
 今の人々の魂を救うためですよ それがあなたの役目です」
 たろうさんは100篇目の「今書いている詩」のためにこの詩を書きました  
 たろうさんは誰かに生かされている 書かされているのだと思いました 


エッセイ「父へ」

2016-07-10 07:41:20 | エッセイ
 お父さん貴方が亡くなって、もう十八年に成るのですね。亡くなる一週間前に「太郎救命丸飲んでもいいかな」弱い声で言いましたね、あの時飲みたいだけ飲ませてあげれば良かったなと思います。電話の声も性格も貴方に似てきました、親子なのですね。「明日から仕事に行かないからな」と母に言っていたのが今の私の心境に似ています。些細な物損事故で三十年続けてきた運転手の仕事を投げ出したからです、年金暮らしの私には家のローンが重いです。娘の3歳の、七五三のお祝いのビデオに貴方が映っています。妹の女の子を競輪に連れて行きましたね、今の私の孫と同じ歳頃です。「おじぃ~ちゃん、有希江にものをひろわせないでよ!」妹がよく言っていました、孫と一緒に出かけるのが嬉しかった事でしょうね。貴方と同じように今、私が二人の孫と散歩しています。男の子です、お兄ちゃんは一生懸命に歩きます。弟は乳母車です。孫の可愛さが良く分かります、至福の時を過ごしています。娘の家族は私が生まれた所に家を建て2年になります、貴方のお墓にも近いですね。私が志村のお墓を受け継いで貴方も母と叔父達と同居です、寺から庫裏を直します、寄付を三十万お願いしますねと言われましたがお金が無いので先延ばしにしています。お墓の中で肩身の狭い思いをしていませんか、娘の連れ合いの加藤君が「僕は次男だから、彼処のお墓でも良いよ」と嬉しいことを言っているみたいです。志村と清水のご先祖さま我が儘な父を宜しくお願いしますね、お父さん貴方の歳までは生きられるかどうか判りません、でもひ孫達がお墓参りをしてくれると思います。たった一度ですが五千円の小遣いをあげました、うれしかっですか?バイクで高尾山に椎茸を採りに行きましたね!あの世でも母と仲良く暮らしていますか?娘は貴方がお葬式の日に泣いていたと言いました、孫たちとの思い出をお土産にあなたの所に行きます。待っていて下さいね!