故郷≪新潟≫の日々

満65歳で中国・黒龍江大学を定年退職した後、生まれ故郷の新潟に戻り、日々の生活を写真とともに日記風に綴っていくもの。

No.105 「残雪とそば」のお話。

2014年04月15日 | 日記

先日、妻の生まれ故郷である新潟県十日町市に行ってきた。新潟市から高速道路を車で走ると約1時間半ほどで到着する。今年の新潟市周辺の積雪は例年よりも少なく、私は自宅前の道路の除雪作業を数回行っただけであった。しかし、日本でも豪雪地帯として知られている十日町市内には、まだ道路の両側に「残雪」が見られた。

 

多いところでは約1m近くの雪が壁となって残っていた。私と一緒に行った孫たちは雪の山の上に登り、プラスチック製の「ソリ」で滑ったり「雪合戦」などをして久しぶりに雪遊びを楽しんでいた。十日町市の「残雪」が消え、本格的な春が訪れるのはもう少し時間がかかりそうである。

 

十日町市に来ると毎回立ち寄る場所が湯量が豊富で加温もしない千手温泉の「千年の湯」。ここで私はゆっくりと温泉につかり、疲れと汗を流してリラックスすることができた。その後、私たちは越後名物の「十日町そば」の味を楽しんだ。特に小嶋屋総本店の≪へぎそば≫の味は格別である。そば粉は地元・魚沼産の「とよむすめ」を100%使い、純国産のみの原料を使用している「そば」である。

 

特にツルツルとした滑らかな「喉越し」とシコシコとした「歯応え」は小嶋屋の≪へぎそば≫を食べたものでないと分からない。皆さんにお奨めの一品である。

 

残雪和荞麦面

 

前几天,我们去了妻子的故乡新潟县十日町市。从新潟市出发,车走高速的话,一个半小时就会到。今年,新潟市周边的积雪比往年少,我家门前的道路,也只除雪了几次。但是,在{以降雪多而闻名日本的}十日町市内,道路两旁仍然会看到残雪。

 

雪多的地方,形成了将近一米多高的雪墙。和我一块儿来的孙子们,一会儿爬“雪山”、一会儿坐塑料雪橇“滑雪”、一会儿打雪仗,时隔很久又享受到了玩雪的乐趣。看起来十日町市的残雪消失,春天到来,还要等一段时间。

 

每次我们来这里,一定要去的地方就是水量丰富且不用加温的千手温泉的“千年之温泉”。我们在这里,舒舒服服地泡在温泉里、出热汗,消除疲劳,放松身心。然后,我们吃到了越后特产“十日町荞麦面”。特别是小嶋屋总本店的“削薄荞麦面”味道很特别。荞麦 面粉100%使用了当地鱼沼产的丰女儿品种(Toyomusume),并且只使用了纯日本国产原料。

 

特别是,种又滑溜又筋道的荞麦面,只有吃了小嶋屋的“削薄荞麦面”才知道正宗的味道。我向大家推荐。

 

私と一緒に行った孫たちは雪の山の上に登り、「ソリ」遊びを楽しんだ。

早く雪を溶かすために除雪機械で雪面に凹凸をつけていた。

豪雪で樹木が折れないように木と縄で「雪囲い」を作っていた。

湯量が豊富で加温もしない千手温泉の「千年の湯」。

写真は「千年の湯」のホームページから転載。 

玉石風呂

信濃川の玉石を厳選して積み上げた浴室です。

玉石風呂露天

玉石風呂の露天は桧づくり。

桧風呂

桧の香りに包まれる浴室です。

桧風呂露天

桧風呂の露天は玉石づくり。

家族風呂

ご家族で、また介護を必要とする方もご利用
いただけます。

 

足湯

新鮮な源泉が湧き出ています。

 

昼食で越後名物の「十日町そば」の味を楽しむ。

アッという間に食べてしまい、そばを追加することになった。

胡麻をすって「そばつゆ」の中に入れて食べる。

 

 

 


No.104 「屋外グランドで初練習」のお話。

2014年04月14日 | 日記

私の所属している≪60歳以上≫の選手が参加している還暦野球部「新潟エージレス野球クラブ」は、今年の2月1日から毎週土曜日に「新潟市西総合体育館」などの室内練習場で体力づくりを中心に冬季練習を2か月間実施してきた。そして気温も上がってきた3月最後の土曜日に、初めて「屋外グランド」に出て練習を開始した。

 

毎年のこととはいえ、「室内練習場」から「屋外グランド」に移動すると土の感触・風の影響・太陽の光の強さ・空の色など慣れるまで少し時間がかかる。この日は≪新潟市みどりと森の運動公園≫の「室内練習場」で入念なストレッチ運動をしたあとジョギングで体を温め、キャッチボールなど1時間ほど室内練習を行い、その後初めて屋外での練習を開始した。

 

この日「屋外グランド」ではやや強い風が吹いており、打球が風に流されるケースも多かった。≪天然芝≫の上は柔らかく滑りやすい。1時間ほど屋外で練習していると汗ばんできた。水分の補給も2月の練習に比べれば回数も量も多くなってきた。5月に入ると早くも練習試合が待っている。いよいよ新潟市内でも本格的な野球シーズンが到来した。

 

今シーズン、初めての屋外グランドでの練習を開始。

屋外での練習の前に「室内練習場」で入念なストレッチ運動から始まった。

 

 

 


No.103 「冬菜の収穫」のお話。

2014年04月13日 | 日記

先日、青空が顔を出し気温が≪20度≫近くに上昇した午前中、友人の畑に今年で3回目となる「冬菜(とうな)」の収穫に出かけてきた。畑には春の暖かい日差しを吸い込んで成長した緑色の「冬菜」が元気に空に向かって葉を伸ばしていた。

 

私たちが畑に来るたびに「冬菜」の葉の長さや幅が大きくなっていくようである。冬菜の中心には花芽を持った美味しそうな若葉が伸びていた。その花芽の先端から20cm位のところでハサミを入れてカットしていく。この日、冬菜は広げた新聞紙いっぱいほど収穫できた。

 

収穫も3回目となると「冬菜」の茎もだんだん細くなっていくが、あと数回は収穫の喜びを味わえそうである。収穫された「冬菜」は早速、我が家の夕食に「お浸し」「卵とじ」「味噌汁の具」として食卓を飾ってくれた。

 

趣味と実益を兼ねたこの「野菜づくり」はこれから畑に「トマト」「キュウリ」「ナス」「スイカ」などの苗を植えることになる。

 

≪冬菜的收获≫

前几天,我隔了很久去看了一下菜地的情况。到现在,因为刮北风、下雪、天气寒冷,我以为{去年在菜地里种的}冬菜都已经被雪埋没,没长多少。但是,在冬天,虽然我没施肥,也没照料菜地,可是,由于 天气一直暖和,从冬菜的根部开始长出了新的小绿叶。

 

我一边给菜地施肥,一边看绿色的冬菜, 切实感到了春天的到来。叶子长到15cm至20cm大的时候,就可以作为焯蔬菜和酱汤的配料,为我家的餐桌添色。还有,庭院的角落盛开着漂亮的红色山茶花,再往下看,就会发现地面上露出了大约20个蜂斗叶的茎。

 

等到蜂斗叶的茎再稍微长高时,我夫人会把它炸成天妇罗,我们会在餐桌上品尝‘春天的到来’。遗憾的是,{去年秋天播种 的}茼蒿好像是因为天寒的缘故,大部分都没生长起来。到了4月,院子里的花草会一齐成长起来的。

 

虽然干农活的时候,要忍受腰酸腿痛,但是看到菜地里的蔬菜成长的样子,我会感到一种生活的愉悦。 

 

この日「冬菜」は広げた新聞紙いっぱいほど収穫できた。

収穫も3回目となると冬菜の茎もだんだん細くなっていく。

冬菜は我が家の夕食に「お浸し」「卵とじ」「味噌汁の具」として食卓を飾ってくれた。

 

 

 


No.102 「引き分け」のお話。

2014年04月12日 | 日記

「引き分け」とは私が応援しているサッカーチーム「アルビレックス新潟」のことである。先日、デンカビッグスワンスタジアムで開催された≪ヤマザキナビスコカップ≫の予選リーグで「アルビレックス新潟」は「名古屋グランパス」と対戦し、点の取り合いとなった。結局、この試合は≪3-3≫の「引き分け」に終わった。

 

「アルビレックス新潟」は前半の17分と29分にゴールを重ねた。私たちサポーターの応援にも熱が入り、いい雰囲気で後半戦に入った。しかし、後半戦が始まってすぐの49分と51分に「名古屋グランパス」に点を取られ≪2-2≫の同点とされ、嫌なムードが漂い始めた。そして60分に3点目を取られ≪2-3≫とあっさりと逆転されてしまった。

 

約50人程の「名古屋グランパス」のサポーターの大声援が巨大なスタジアムに響き渡った。前半は選手の動きもよく、いいゲームをしていた「アルビレックス新潟」。後半に入り選手の動きが鈍くなり、セカンドボールを相手に拾われた。78分に相手チームに退場選手が出て数的に優位に立ったが、追加点がなかなか奪えないイライラする時間帯が続いた。

 

敗戦ムードが流れる中、試合終了間際の89分に小泉選手がゴールに押し込み、ようやく同点に追いついた。予選リーグBグループで6チーム中、上位2位に入らなければ決勝トーナメントに進めない。応援に力の入る日がまだまだ続きそうである。

 

 約50人程の「名古屋グランパス」のサポーターの大声援が巨大なスタジアムに響き渡った。

「アルビレックス新潟」は前半の17分と29分にゴールを重ねた。

≪2-0≫で安心したせいか、後半に入り選手の動きが鈍くなった。

後半戦が始まってすぐの49分と51分に「名古屋グランパス」に点を取られた。

60分に3点目を取られ≪2-3≫とあっさりと逆転されてしまった。

試合終了間際の89分に小泉選手がゴールに押し込み、ようやく同点に追いついた。

熱心に最後まで応援した「名古屋グランパス」のサポーター。

試合終了後、「名古屋グランパス」のサポーターに挨拶する選手。

試合終了後、「アルビレックス新潟」のサポーターに挨拶する選手。

 

 

 

 


No.101 「雪割草」のお話。

2014年04月11日 | 日記

「雪割草」とは辞書によると『サクラソウ科の多年草。本州中部以北の高山に自生し、高さ約10cm。葉は根際から出て、へら形でしわがあり、裏面に淡黄色の粉状のものがついている。初夏、淡紅紫色の小花をつけ、名は雪解けとともに花が咲くことによる。』と説明されている。

 

高山で初夏に花が咲くことになっているが、平場の新潟市では春の草花として今が見頃を迎えている。私の家の2つの植木鉢にも「雪割草」がピンクと白色の美しい花を咲かせている。この花をよく観察すると早朝は花がやや閉じた感じで咲いており、昼頃に全開する。

 

先日、私は「雪割草」で有名な「新潟県庁の森」へ出かけてきた。ここでも新潟県雪割草愛好団体連合会から寄贈された「雪割草」がピンクや白色のほか、薄い紫色、濃い紫色、青みかがった色など様々な色をつけた可憐な花を付けていた。

 

この「雪割草」は新潟県内に多くの自生地があり、「雪割草」といえば全国的に見て新潟県と言われるほど全国の愛好家から等しく認められているという。その「雪割草」は2008年3月1日に≪新潟県の草花≫として指定された。 

 

昼頃に全開した我が家の「雪割草」。 

我が家に咲いている「雪割草」。早朝は花がやや閉じた感じで咲いている。

昼頃に全開した我が家の「雪割草」。

我が家に咲いている「雪割草」。早朝は花がやや閉じた感じで咲いている。

 「雪割草」で有名な「新潟県庁の森」。

 

 


No.100 「梅の花」のお話。

2014年04月10日 | 日記

今年の1月1日から再出発した私のブログ「故郷≪新潟≫の日々」も節目の≪100回目≫を迎えた。誠におめでとうございます。 ≪100回目≫を祝うかのように我が家の近くの家の「梅の花」も満開となった。新潟市内で「梅の花」といえば新潟市中央区にある「白山公園」の梅が有名である。先日、私は春の陽気に誘われてその「白山公園」に行ってきた。

 

この公園はあと1週間もすると「桜の花」の時期を迎え、土・日曜日ともなると多くの「花見客」が押し寄せ、桜の木の下で輪になって≪宴会≫を始める場所でもある。しかし、私が訪れたのは平日のためか、数組の家族連れと写真愛好家が「梅の花」の下でカメラのシャッターを切っていた姿が見られるだけであった。

 

ここでは新潟市制施行100周年を記念して寄贈された40本の梅の木を含め、正確には数えていないが60~70本の梅の木が植えられている。ジックリと観察すると、花の色はひとつの色ではなく、白色、濃いピンク、薄いピンク、紅色などがあり、いろいろな「梅の花」が楽しめる。

 

ここは「白山神社」の中にあるため、「鳥居」「狛犬」「石灯篭」などと「梅の花」のコントラストを楽しめる場所でもある。皆さんも一度訪れてみてはいかがですか?

 

100回を祝うかのように我が家の近くの家の「梅の花」も咲き始めた。

 

新潟市制施行100周年を記念して寄贈された40本の梅の木を含め、60~70本の梅の木が植えられている。

 

 

 

 

 


No.99 「壮行会」のお話。

2014年04月09日 | 日記

先日、中国・黒龍江大学日本語教師の大島先生から「壮行会」のお話をメールでいただいた。冬季間≪氷点下20度≫を記録した黒龍江省ハルビン市も最近では昼間の気温が≪プラス15度≫を超える日が続いており、かなり過ごしやすくなってきた。そして野球の練習も始まり、土曜日には大島先生を含め40~50人の学生たちが練習を楽しんでいるという。

 

この日の「壮行会」の主役は黒龍江大学日本語教師の韓春紅先生。韓先生はこの4月から新潟市の≪国際交流員≫として採用され、日中友好交流業務に従事することになったという。日頃から韓先生にお世話になっている大島先生を始め三浦先生、丸山先生の3人の新潟県出身の先生方が韓先生の「壮行会」を開催した。

 

私が黒龍江大学に勤務していた時、若くて元気のいい韓先生から授業のやり方、試験問題の作り方、成績のパソコンへの入力方法、ハルビン市内の案内など公私にわたり本当にお世話になった。その韓先生と新潟で再会できるのも何かの≪縁≫である。私は折角のこの≪縁≫を大事にしていきたいと考えている。

 

いつもタイムリーに貴重な情報を頂戴している大島先生に感謝申し上げたい。

 

左から三浦先生、大島先生、韓春紅先生、丸山先生   (写真提供 : 大島先生)

久しぶりに拝見する懐かしい「ハルビン料理」と「ハルビンビール」。

 

 


No.98 「やすらぎ堤」のお話。

2014年04月08日 | 日記

新潟市内の中心部を流れる「信濃川」は長さが367Kmある日本一長い川である。その「信濃川」の両岸の堤防が「やすらぎ堤」とは呼ばれており、散歩、ジョギング、サイクリング、また憩いの場として多くの新潟市民に親しまれている。先日、青空に誘われて私はこの「やすらぎ堤」を久しぶりに歩いてみた。

 

私が訪れた時は、≪新潟県の花≫に指定されている「チューリップ」が10~20㎝ほどに伸びた程度で、花が咲くまでにはもう少し時間がかかりそうな様子であった。ここの「チューリップ」は約2Kmに渡って「やすらぎ堤」の花壇に植えられている。一方「桜」の蕾もうっすらとピンク色に変わってきたが、まだ花が咲くまでには至っていない。

 

あと一週間ほどで約1.000本の桜が満開になると、桜の木の下ではシートを敷いて弁当を食べたり、お酒を飲んだりする多くの「花見客」で賑わいをみせることになる。同じ時期に「チューリップ」も赤、黄色、ピンクなどの花が絨毯を敷いた様に咲き、私たちの目を楽しませてくれるはずである。

 

私の大好きな「やすらぎ堤」の花の季節が間もなく到来する。

 

ここの「チューリップ」は約2Kmに渡って花壇に植えられている。

一方「桜」の蕾もうっすらとピンク色に変わってきたが、まだ花が咲くまでには至っていない。

一方「桜」の蕾もうっすらとピンク色に変わってきた。

 

 

 

 

 

 

 


No.97 「送別会」のお話。

2014年04月07日 | 日記

「≪新潟杯≫日本語スピーチコンテスト」で≪優秀賞≫を獲得した学生たちの新潟県招待旅行も最後の夜を迎えることになった。「送別会」の会場はホテル日航新潟の3階にある≪セリーナ≫。出席者は先日開催された「歓迎会」のメンバーに黒龍江大学留学経験者である新潟県国際課中国室長の桑原さんからも出席していただいた。

 

席上、新潟県国際交流協会の中山理事長さんからこの「中国・黒龍江省大学生招聘事業」は非常に効果の大きな意義のある事業であり、今回の事業で終わることなく、例えば2年ごとに開催してはどうかといった前向きなご提案もなされた。黒龍江大学の孫琳娜さんを始め、学生一人ひとりから新潟県内を視察した感想を述べてもらった。

 

学生たちは佐渡の自然の美しさ、特別天然記念物「朱鷺」との出会い、温泉でのリラックス、新潟県護国神社や弥彦神社での参拝、燕三条地場産センターなどの見学、楽しい買い物などのほか、特に人と人との交流の大切さを感じてくれたようだ。さらに陳百海先生や朱星和先生から主催者の新潟県国際交流協会に対し、心温まる感謝の言葉が述べられた。

 

お互いの健康と今後のご活躍を祈念して乾杯を重ね「送別会」はお開きとなった。学生の皆さん、引率の先生、中山理事長さんを始め関係者の皆さん、大変お疲れ様でした。

 

「送別会」の席上、挨拶される新潟県国際交流協会の中山理事長さん(左から二人目)。

陳百海先生から新潟県国際交流協会に対し、心温まる感謝の言葉が述べられた。

新潟県内を視察した感想を述べる黒龍江大学の孫琳娜さん

新潟県内を視察した感想を述べるジャムス大学の陳夢晰さん

新潟県内を視察した感想を述べるハルビン医科大学の呉建奇さん

流暢な日本語で感謝の言葉を述べられた黒龍江省翻訳協会の朱星和先生。

学生たちと今後の活躍と健康を祝して乾杯する筆者(左)。

 

 

 

 


No.96 「回転寿司」のお話。

2014年04月06日 | 日記

この日最後に立ち寄った場所は中山理事長さんが推薦してくれた「回転寿司・ことぶき寿司内野店」。新潟市西区にある新潟大学に近い人気のこの「回転寿司」は夕食時間帯とも重なり、家族連れなど多くのお客さんで賑わっていた。先ず席に座ると私たちは本日のおすすめ品である「天然ぶり」「シマアジ」「さわら」「南蛮エビ」などを注文した。

 

私は生寿司や刺身に弱い中国人も知っているが、3人の学生たちは喜んで食べ始めた。その後も「炙りシメ鯖」「鮭」「ヒラメ」「タマゴ焼き」などを好き嫌いなく美味しそうに食べていただいた。また、新潟の地酒も少し飲んでみることにした。お酒は「ことぶき寿司内野店」と同じ新潟市西区にある塩川酒造の「日本海」という名酒。

 

この名酒「日本海」は辛口であるが、口あたたりがよく、知る人ぞ知る≪幻の名酒≫と言われている。この日は「新潟大学」「弥彦神社」「燕三条地場産センター」「磨き屋一番館」と視察し、歩く時間も長かったせいか、学生たちの食欲は旺盛であった。結局、食べ終わった私たちのテーブルの上には≪約50個≫の空になった皿が高く積み重ねられていた。

 

中山理事長さんが推薦してくれた「回転寿司・ことぶき寿司内野店」。

 

本日のおすすめ品である「天然ぶり」「シマアジ」「南蛮エビ」などを注文した。

「ことぶき寿司内野店」と同じ新潟市西区にある塩川酒造の「日本海」という名酒。

テーブルの上には約50個の空になった皿が積み重ねられていた。  

 

 

 

 

 

 

 

 
 

 

 

 


No.95 「磨き屋一番館」見学のお話。

2014年04月05日 | 日記

私は中国・黒龍江大学、ハルビン医科大学、ジャムス大学の学生たちを燕市にある「磨き屋一番館」へ案内した。この施設は大きく次の3つの事業を実施している。(1)技能研修事業 (2)開業支援事業 (3)体験学習指導事業。ここには「にいがた県央マイスター」と呼ばれる研磨技術に卓越した指導員が技能・技術などを教えている。

 

この燕地区には約700社、約15.000人の製造業従事者がおり、年々高齢化するとともに減少してきている。このため燕市特有の基盤技術である金属研磨技術を次世代に継承していくことを目的にプロの「磨き屋」を育成している施設がこの「磨き屋一番館」である。

 

黒龍江省から来た学生たちは5人の金属研磨技術研修生が研磨機に向かって集中して技能・技術の習得に取り組む姿やジェット機の翼を磨く部屋などを熱心に見学した。私は磨きの技術が集積された人気の≪ぐい呑み≫(24金仕上げ)を学生たちに新潟県の土産品として贈呈させていただいた。

 

学生たちは内側がまばゆいばかりの金色に輝く≪ぐい呑み≫を興味深そうに手に取って眺めていた。私たちの突然の訪問にもかかわらず、ご多忙の中、熱心に研磨技術の概要を学生たちにご説明いただいた「磨き屋一番館」の県央マイスターの高橋千春さんを始め、関係者の皆様に感謝申し上げたい。

 

学生たちを燕市にある「磨き屋一番館」に案内した。

(1)技能研修事業 (2)開業支援事業 (3)体験学習指導事業について説明を受けた。

学生たちにプレゼントした「ぐい呑み」。

ぐい呑み(24金仕上げ)  2個セット(桐箱入り) 

ジェット機の翼を研磨している部屋。

開業を支援するための部屋。

 

 

 

 

 

 

 


No.94 「燕三条地場産センター」のお話。

2014年04月04日 | 日記

「弥彦神社」の次に訪れた場所は日本一の金物産地で≪洋食器≫と≪刃物≫の物産館で有名な「燕三条地場産センター」である。このセンターは私が黒龍江大学に赴任する直前まで勤務していた思い出深い場所でもある。私は学生たちを同センターの広い展示即売場に案内し、設立目的などをお話した。

 

また、即売場の入口脇には「包丁」「洋食器」「ハサミ」「爪切り」「キッチンツール」「ハウスウェア用品」「大工道具」「鎚起銅器」「六角だこ」「地酒」「コシヒカリ米」「麸」「米菓」などの多くの展示ケースがあり、私はひとつずつ学生達に商品の特徴などを説明した。

 

特に学生たちは切れ味のいい「爪切り」やビールを注ぐとクリーミーな泡ができる「マグカップ」に興味を示した。チタン製の「フライパン」など軽くて熱伝導率のいい製品の良さは理解してもらえたが、日本の物価の高さには驚いていた。地場産製品を買いたいけれど手が出ないと言っていたが、それでもお土産として「キッチンツール」などを購入された。

 

私がいつもお世話になっている同センターの梨本さんからは業務ご多忙の中、貴重な時間を割いて学生たちの案内役を引き受けていただいた。また、カニ足の中の身を取る細長い「スプーン」もプレゼントしてもらった。心から感謝申し上げたい。

 

 ≪洋食器≫と≪刃物≫の物産館で有名な「燕三条地場産センター」訪問した。

 

 

 

 


No.93 「弥彦神社」のお話。

2014年04月03日 | 日記

午前中「新潟大学」を訪問した後、小雨がパラつく中、傘の用意を心配しながら私たちは「弥彦神社」へ向かった。越後一宮であるこの神社は昔から「おやひこさま」の愛称で呼ばれており、心のふるさと、魂のよりどころとして毎年多くの参拝客が訪れる神社である。

 

昨年の秋に「弥彦神社」で開催された≪日本一の菊まつり≫に古くからの友人である中国・黒龍江省科学院の潘忠院長先生を案内したことを思い出した。最初に神社の入口にある高さ8.4mの大きな鳥居(一の鳥居)の前に到着した。この周辺は樹齢400~500年の杉や欅の木々に囲まれていた。

 

この日は平日でもあり、秋の≪菊まつり≫の時期と違い観光客の姿は少なかった。学生たちは長い参道をゆっくりと歩き、ようやく≪本殿≫に辿りついた。≪本殿≫に向かって私はここでも黒龍江省から来られた皆さんの旅の安全を祈願した。神社の境内で学生たちは「おみくじ」を100円で買っていた。幸運にも「大吉」であった。

 

また、学生たちは両親のお土産として健康祈願の「お守り」を2個購入されていた。優しい心づかいを感じた一瞬でもあった。

 

最初に神社の入口にある高さ8.4mの大きな鳥居(一の鳥居)の前に到着した。

口を開けた「狛犬」と口を閉めた「狛犬」。

神様だけが渡れる橋。人間は渡れない。

 

 

 

 


No.92 「新潟大学訪問」のお話。

2014年04月02日 | 日記

この日、中国・黒龍江省から来日された3人の大学生は新潟大学を訪問した。そこには中国から新潟大学に留学している4名の学生と北京大学に留学経験のある日本人の学生との懇談の場がセットされていた。初めに新潟大学国際課留学生支援係の平山係長さんから新潟大学の概要をOHPを使いながら丁寧な説明を受けた。

 

続いて学生同士がお互いの自己紹介を兼ねて大学生活の一端を披露していただいた。ここでも熱心に勉強する学生たちの姿を見聞することができた。その後リニューアルした「図書館」を案内してもらった。図書の「自動貸出装置」や自分の読みたい本をパソコンの端末に入力すると数分で自分の手元まで運んでくれる「自動化書庫システム」に感心した学生もいた。

 

新潟大学は春休み期間中で「図書館」には学生たちは殆どいないと思っていたが、真剣に勉強している学生たちの姿が見られた。また「レポート作成の基礎」という《ゼミ》も同じ「図書館」の中で開催されており、講義に集中しながらメモを取っている多くの学生の姿も拝見できた。

 

私が黒龍江大学に勤務していた時、早朝6時にオープンする「図書館」の前で100名程の学生が列を作って順番を待つ光景を思い出した。

 

黒龍江省から来日された3人の大学生は新潟大学を訪問した。

新潟大学国際課の平山係長さんから新潟大学の概要をOHPを使いながら丁寧な説明を受けた。

リニューアルした「図書館」を案内してもらった。

図書の「自動貸出装置」。

「自動化書庫システム」に感心させられた。

パソコンの端末に入力すると数分で自分の手元まで運んでくれる。

「レポート作成の基礎」という《ゼミ》も図書館の中で開催されていた。

 

 

 

 

 

 


No.91 「新潟県護国神社」のお話。

2014年04月01日 | 日記

中山理事長さんを表敬訪問した後、私たちは「新潟県護国神社」を参拝した。100m以上もある長い参道の入口には神社の宮司を補佐する職の伊藤禰宜さんがわざわざ待機しておられた。大きな石の≪鳥居≫の下で「新潟県護国神社」の歴史などを分かりやすくご説明いただいた。

 

神社の境内は53.460㎡の広大な敷地を持ち、遊歩道と松林に囲まれた静かで緑豊かな自然の中にある。中山理事長さんが書かれた「地質冥利」の本の中に新潟市出身の作家「坂口安吾」の記念碑の前で撮影された中山さんの学生時代の写真が掲載されていた。この日私たちはこの写真と同じ場所を訪れた。その記念碑には≪ふるさとは語ることなし≫と刻まれていた。

 

次に歌人「北原白秋」の≪すなやま≫の歌碑を訪れた。白秋が≪佐渡島≫を見渡せるこの場所で荒涼とした光景を見て書いたという歌詞が全部「ひらがな」で刻まれていた。私は学生たちの前でこの童謡歌を聞いてもらった。本殿前で「手水の使い方」や「参拝のやり方」を伊藤禰宜さんから丁寧に教わった。私はお賽銭をあげ、学生たちの旅の安全を祈願した。

 

この後、佐渡汽船乗り場から日本海に浮かぶ≪佐渡島≫を目指して、時速80Kmで走行する「ジェットフォイル」に乗船した学生たちを私は見送った。

 

神社の伊藤禰宜さんから「新潟県護国神社」の歴史などをご説明いただいた。

「坂口安吾」の記念碑の前で中山さんの学生時代の写真が掲載されていた場所と同じ場所を訪れた。

中山さんの学生時代の写真。

歌人「北原白秋」の≪すなやま≫の歌碑の前に立つ陳百海先生。

本殿前で「手水の使い方」や「参拝のやり方」を伊藤禰宜さんから丁寧に教わった。

時速80Kmで走行する「ジェットフォイル」に乗船した学生達を見送った。