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なぜ高校で「山月記」を学ばねばならないのか

2017年11月27日 | 日記
高校2年生の現代国語の授業で、
昭和文学の金字塔、中島敦 著の「山月記」
を扱っています。

高校の国語教員になって四半世紀。
毎年欠かすことなく授業で扱っている小説ですが、ここでは少しだけ、私の考えるその意義についてお話しします。

李徴の詩に欠けるところとは?

物語は中国唐代に漢文で執筆された「人虎伝」を改編して綴られており、
舞台は中国、登場人物も中国の人々です。

さて、物語の主人公の李徴は抜群の秀才。
その優れた才覚の余り、自尊心と羞恥心の囚われから逃れられずに人生の大半を過ごしてしまいます。
そして、ある時、気がつくと自分の姿は虎になっていました。
自らの身を虎に堕としてなお、詩人を志した過去への悔恨を語ります。

虎となり果てた後で、偶然にも山野で出会ったかつての親友、袁傪に、
李徴は人間だった頃に作った詩を数十編聞かせ、後代に伝録するように依頼します。
その詩たるや、格調高雅、意趣卓逸。
一読して作者の才の非凡を思わせる作品揃いなのですが、
しかし袁傪は、漠然と感じます。
「なるほど、作者の才能が第一流に属することは疑いない。しかし、このままでは、第一流の作品となるのには
(非常に微妙な点において)欠けるところがあるのではないか?

李徴は、即興で次のような詩をも、袁傪に聞かせます。

偶然にも狂気に冒され獣となってしまった。
災いは重なってそこから逃れることはできない。
今日人喰い虎となった私の鋭い爪や牙に誰が一体敵うであろう。
昔はこんな私でも君と共に役人としての評判が高かった。
しかし私は草むらの陰で獣となり、
君は既に立派な乗り物に乗って気勢が盛んである。
この夕、谷や山を照らす明るい月に向かい
この苦しみを訴えるために歌おうとすれば、人間の歌声にならず
獣の叫び声になるばかりである。

袁傪が感じていた、李徴の詩に欠けるところとは一体何なのか。
物語では最後まで、その問いに対する明確な答えは示されません。


高校生への問いかけ

授業では、この詩を読解した後で生徒たちに次のような課題を与えます。

李徴は親友の袁傪に、その時の思いを即興で詩に託して聞かせました。
この後間もなく李徴の人間性が失われてしまうであろうことを考えれば、
これは李徴にとって、人間としての最後の自己表現、最後の他者への言葉である、と言えます。
では、例えばあなたが、今、
「スイスに政変が起きたので、日本人を逮捕する。今後、一生涯を牢屋で過ごすことになる。」
と言われたとします。そして最後に一通だけ手紙を書くことを許されました。
あなたは誰にどんな手紙を書きますか。
つまり、虎になった李徴と同じように、人生最後の他者への自己表現をする時、
あなたの場合、誰に対する、どのようなものになるか、
と言う問いです。
誰への手紙なのかが分かるように、
最初の行に「〜へ」と書いて、実際に手紙を書いてください。
あなたの人生最後の他者との交流です。


その後で、さらに生徒たちに問います。

あなたの場合、最後の言葉は誰に対する、どんなものだったか。
それに比して、李徴の最後の自己表現はどんなものだったか。
上記二つを比較して、李徴の詩に欠けるのは、どんな点であったと考えるか。



李徴の最後の頼みごと

物語の終盤で、李徴は親友の袁傪に、最後の頼みごとをします。
「お別れする前にもう一つ頼みがある。それは我が妻子のことだ。
彼らはいまだ私の故郷にいる。厚かましいお願いだが、
彼らが道ばたで飢え凍えることのないように計らってもらえないだろうか。」
言い終わって、草むらの陰から、慟哭の声が聞こえます。
李徴の声はしかしたちまち自嘲的な調子に戻って、こうも語ります。
「本当は、まずこのことの方を先にお願いすべきだったのだ。俺が人間だったなら。
飢え凍えようとする家族のことよりも、
自分の乏しい詩業のことを気にかけているような男だから、
こんな獣に身を堕すのだ。」

高校生が学ぶべきこと、とは?

虎になってしまった男の悔恨を通じて、高校生が学ばねばならないこととは、何なのか。
どんな答えを彼らが見つけようとも、確実に一つだけ言えるのは、
虎となってしまった李徴の抱える苦悩とは、
実は現代を生きる全ての人間、つまり我々自身の問題なのだ、と言うことです。
物語の中盤で主人公が語ります。
「人との交わりを絶って、人と遠ざかり、憤悶と慙恚とによって、自分の内なる猛獣を飼い太らせてしまった。」
それらの「内なる猛獣」をいかにして制御し、
「虎」=他者を傷つけることを宿命づけられた存在=を自らの中に実存させずに生きるのか。
私たち一人一人に課せられた、重い命題なのだと考えています。

大人と子供の中間に位置する高校生の一人一人が、
この命題を真剣に考えることには大きな意義があると考えているのです。

さて、このページをお読みの皆さん。
あなたなら、人生の最後には、誰に、どんな手紙を書きますか?

*なお「山月記」本文をお読みになりたい方は、
拙サイトに全文と併せて「3分で読めるあらすじ」を掲載してありますので、
よろしければご参照ください。