こまんたれぶ~下福田小学校

当時の同級生との交流場所
(ここ数年は模型三昧)

航空母艦 龍驤(二次改装) 5

2010-10-04 22:31:11 | Weblog
一気に組み立てが進みました。
甲板は木甲板部分を塗装済だったので鉄部分を塗り分けて完了。
昨晩に製作した艦首付近の部品も塗装を済ませ、飛行甲板を取り付けてしまいます。

龍驤が建造された背景は以前にも書きましたが・・・
1921年に締結されたワシントン軍縮会議により
日本が保有出来る航空母艦は80000トンの制限を受けました。

これにより、海軍は建造中の巡洋戦艦・赤城と戦艦・加賀を航空母艦として建造します。
一方、条約には排水量10000トン以下の空母に関しては何隻保有しても構わないと言う
ルールが盛り込まれていた事から、海軍は小型の龍譲の建造に着手しました。
良い成績が出れば、海軍は一気に龍驤を量産する予定だったのでしょう。

ところが、龍譲の建造を開始した直後に締結されたロンドン軍縮会議の内容には
10000トン以下以下の空母も総計80000トンの中に含まれる事になってしまいました。
小型の龍譲を建造する意味が無くなってしまったのです。

既に船体が出来上がりつつあった龍譲は、ここで方針転換します。
従来1層とされた格納庫を2層にし、搭載機も24から36機に増加させたのです。
しかし、格納庫の層を増やした事は明らかなトップヘビー化を招きました。

小型な船体に重装備を施す方式で数的不利をカバーする思想は
友鶴事件、第四艦隊事件での相次ぐ転覆事故により大問題となったのです。
(龍譲も波浪により艦橋が圧壊するなど非常に危機的な状態になったようです)

結果的に龍譲は二度の大きな改修を受けています。
一次改修では高角砲12門を8門へ減らし、舷側のバルジを更に巨大な物へ変えました。
これでも復元力への不安は払拭出来ず、二次改装では飛行甲板先端の形状を変えたり、
艦首の乾舷を高くする等の改装が行われています。

結果的に龍驤は同型艦もなく、成功した空母と呼ぶには辛い出来になってしまいました。
同時期にアメリカも同じように小型空母レンジャー(CV-4)を建造しましたが、
これも中途半端な出来だったので、日米の空母建造は似たような経過を辿っています。