こまんたれぶ~下福田小学校

当時の同級生との交流場所
(ここ数年は模型三昧)

戦車は相変わらずノロノと作ってます。

2008-06-23 23:15:54 | Weblog
とりあえず、砲塔を組み立てて載せてみました。
(細かい部品は殆ど取り付けていません)

これで何となく戦車としての威厳が・・・

以前、製作したドイツの3号戦車の車重は22トン強。
中戦車と呼ばれる大きさだと思いますが、大戦前半にして早くも威力不足となり、
主役の座を早々に奪われています。

一方、写真の戦車は車重15トンで中型戦車と呼ばれていますが、
こちらは終戦まで主力として使われました。
(使わざるを得なかったと言う方が正しいかも知れません)

装甲の厚さを比較すると、
3号戦車は側面でも30mm有ります。(車体正面は50mm、更に追加装甲20mm)
こちらの戦車は最大部でも25mmしか無く、文字通りペコペコです。


軽巡洋艦 川内 完成

2008-06-23 22:59:42 | Weblog
対空機銃に艦首の菊花紋章、ボートダビットを取り付けて製作終了。
(あれ?水上機をカタパルトに乗せる計画は???)

艦首の形状問題により、長らく不遇だった5500t級の軽巡洋艦
川内、阿武隈が発売された事により、今年で3隻目の製作になりました。

5500t級は大正時代に就役した古いタイプですが、
多くが水雷戦隊の旗艦として太平洋戦争に参加しています。
球磨型、長良型、川内型の3種計14隻が作られています。

球磨・多摩・北上・大井・木曾・長良・五十鈴・名取・由良・鬼怒・阿武隈
川内・神通・那珂

しかし、終戦時まで生き残ったのは、北上たった1隻のみでした。



闇夜に、もぞもぞ・・・

2008-06-23 11:36:56 | Weblog
昨晩、カタパルトを取り付けた後、我慢出来ずに電探も付けちゃいました。(爆)
(はあ、はあ・・・もう我慢出来ないよ・・・)

川内は、ほぼ最終と言われる状態での写真が現存していまして、
その写真にも21号電探のアンテナ線が確認出来る事から搭載は間違いないです。
(前部の魚雷発射管も撤去されていません)

この時期(1943年)の電探搭載は早い部類に入ると思います。

一方、対空兵装に関しても増設が有ったと思うのですが、
これに関しては所持している書籍を見ても判りませんでした。

5500t軽巡洋艦の対空兵装強化は、最後部の7番主砲(14cm)を撤去、
そこに12.7cm連装高角砲を装備している艦が多いのですが、
川内の最終写真を見る限り、7番砲は従来の14cm砲の様です。

ちょっと不思議な状態です。
電探を取り付けたのは試験的な意味合いが強かったのか、
何か事情が有って、川内には搭載されたのかも知れませんね。