こまんたれぶ~下福田小学校

当時の同級生との交流場所
(ここ数年は模型三昧)

28年間の溝

2007-09-04 17:44:21 | Weblog
昭和54年に2期生として下福田小学校を卒業した。

あれから既に28年・・・(なんと!四半世紀を超えてるじゃないか!!!)

当時の仲間は相変わらず増えない。

このブログを読んでる諸君!(おいおい、諸君は止めろってば)

君の周囲に、上記条件を満たしている人は居ないかい?

我々は君たちを探している!いますぐ出てきなさい。

かけっこ

2007-09-04 09:00:22 | Weblog
小学校時代、走るのは早かった。
少なくとも小学時代の全て運動会でリレーに出た。
(アンカーだった時もある)
中学に入ると、その速さの使い道は逃げ足に限定され、
短距離走は高校時代、平均よりも遅くなっていた・・・

これは小学5~6年の時だと思う。
リレーのメンバー選出には100m走のタイムで上位が選ばれていたのだが、
初めてこれに漏れた事があった。(タイムが伸びなかったのだ)

俺の足は特別速くなかったのかも知れない。
タイムを計測した時、俺と併走した奴が走るのが遅かった為、
自分のタイムが伸びなかったのだ。
(本当に速かったのなら、一人で走っても速いんだよね?普通は)

後でメンバーを選出してた時、残りの1人以外は全員が決まったのだけど、
”あとは誰だ?”なんて会話から候補者を何人か出して再決戦し決める方式になった。
多分、S谷君だったと思う。
××(俺の事)も早いぞ。な~んて言われて、俺も再決戦の場に出る事になった。
(これは初めて選考から漏れた時のことだったので鮮明に覚えてる)

冒頭に書いたように、小学時代のリレーには全て出た。
(つまり再決戦でギリギリにメンバーに入ったのは俺だったのだ)

もう一つ、リレーには忘れられない思い出がある。
これは正確な年齢は覚えていないのだけど、間違いなく小学校時代の話。
バトンを受け走り始めた直後、鼻血が出たことがあった。
あれは、当時好きだった○○さんのブルマ姿が原因だと思う。

鼻を押さえると手が振れないので速度は落ちる。
当然だが途中棄権なんて無様な真似も出来ない。

そこで、顔を上に向けて走った。。。。
すると困ったことに、地面に書かれた白線が見ずらくなり、
自然とカーブは大回り気味にならざるを得ない。
この時の成績は覚えていない。

自分にとって都合の悪い事はすぐに忘れる。
これは、あの頃には既に形成されていたのだった。