夜と霧

迷える子羊
ーこの場を借りて自分の考え方を確立したいと思っていますー

TPPをめぐる議論または勝間和代のクロストークについて

2011-02-17 12:48:27 | Weblog
TPPをめぐる議論が如何に混乱しているか、勝間和代女史の昨日の毎日新聞掲載の「2条件クリアしTPP参加を」との主張を中心に考えてみたい。

女史;「米を始めとした様々な農産物に高い輸入関税を課し、国内農業の生産・雇用を保護しています。」
TPPをめぐっていつもこの議論が出る。しかし日本の関税率は世界各国と比べて比較的低い。米と畜産の一部が高いのでアメリカが自国の利益に直結し非難する。それだけである。「様々な農産物」と記述すれば事実認識が違ってくる。

女史;「日本企業は収益確保のため、生産を海外に移転し、国内の雇用悪化につながる懸念があります。」
TPPではアメリカへの輸出に際して韓国との競争が問題になっている。韓国に対抗して何処に進出するのだろうか?また韓国はTPPではなくアメリカとのFTAを選択している。しかも、これは北朝鮮との緊張関係にあって、アメリカとの親密ぶりをデモンストレーションするために批准した。
韓国のFTA批准は、経済問題ではない。

女史;「国はTPP参加と同時に有効なデフレ対策や他国との関係で不利にならない通貨政策を講じるべきです。」
言葉は踊る。有効なデフレ対策これが出来れば苦労しないのは女史も承知のはず。しかしTPPとどう結びつくのか不明?経済対策では?
「他国との関係で不利にならない通貨政策」のような様々の貿易障壁を避けるのがTPPの趣旨である。修辞矛盾。

女史;「保護対象となってきた国内産業を規制緩和などを通じて抜本的に強化することです。」
具体的には農業を念頭に置いていると思うが、日本の農業に於いて問題は、意外と保護がないと言うことである。小麦、大豆、ソバ、日本食の多くを占める食料は関税、またその他の障壁で保護されず、国外産に蹂躙されている。
先進国にあっては、この様な国は、自国の農業をほったらかしにする国はない。
アメリカにあっては輸出補助金もある。更に言えば、同じ米の分野で、カリフォルニア米、アーカンソー米をタイ米から関税で守って居ると聞く。

女史;(農業について)「政治家や官僚には大胆な規制緩和などを含めて海外と公正に競争できる環境作りを進めて欲しいと思います。」
女史は農業では、自然条件、土地条件が大きな要素であることを忘れている。工業と農業の基本条件の違いも理解していない。こういう評論家、机上の秀才は最近日本に多い。女史はもう少し精進して欲しい。

まだまだ気付きはあるが止める。
一番のこの手の評論の問題は、現実の認識に欠けるところがある一方で、条件反射のように気の利いた台詞を繰り返すことである。そして面白いなと思うことは、多くの評論家に共通することであるが、事実に不勉強、したがって考える姿勢を感じさせないことが共通することである。これは菅首相がTPPを言いだした時にも共通する。

追記
毎日新聞もこの様な経読みを起用しないで欲しい。考える社員もいるだろうにと思う。記事の作りはアウト・ソーシングが楽かも知れないが。

再追記
経済評論に実のない評論が多いことを考えてみたいと思って羅列した。女史を悪く言うためではない。

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The opening of Japan (noga)
2011-02-17 16:29:25
厚生労働省は2011年1月26日、経済連携協定(EPA)のもとでインドネシアとフィリピンから受け入れた外国人看護師のうち3人が、日本の看護士国家試験に合格したと発表した。
合格したのはインドネシア人2人とフィリピン人1人で、受け入れ事業が始まってから初の合格者となった。しかし残りの251人は不合格となった。全員が母国ですでに看護師の資格を持っているので、日本語が壁になったとみられる。同じ試験を受けた日本人受験者の合格率は約90%だった。

我々日本人は、英語を通して世界中の人々に理解されている。
かな・漢字を通して理解を得ているわけではない。
我が国の開国は、英語を通して日本人が世界の人々から理解してもらえるかの努力に他ならない。
我が国民のメンタリティを変えることなく、ただ、法律だけを変えて交流したのでは、実質的な開国の効果は得られない。
鎖国日本に開かれた唯一の窓ともいうべき英語を無視すると、我が国の開国も国際交流もはかばかしくは進展しない。
この基本方針にしたがって、我々は耐えがたきを耐え忍びがたきを忍んで、万世のために太平を開く必要がある。

英米人は、「我々は、どこから来たか」「我々は、何者であるか」「我々は、どこに行くか」といった考え方をする。
我々日本人にしてみれば、奇妙な考え方であるが、彼らにしてみれば当然の考え方になる。
それは、英語には時制というものがあって、構文は、過去時制、現在時制、未来時制に分かれているからである。
3時制の構文は考えの枠組みのようなものとなっていて、その内容は白紙の状態にある。
その穴埋め作業に相当するものが、思索の過程である。

ところが、日本語には時制というものがない。
時制のない脳裏には、刹那は永遠のように見えている。
だから、構文の内容は、「今、ここ」オンリーになる。新天地に移住する意思はない。
思索の過程がなく能天気であるので、未来には筋道がなく不安ばかりが存在する。
TPPの内容に、行き着く先の理想と希望が見出せないので改革の力が出ない。

必要なものは自分で手に入れるのが大人の態度である。
だのに日本人には意思がない。それで、意思決定はできない。無為無策でいる。
常に子供じみた他力本願・神頼みとなる。
意思がなければ、意思疎通もはかどらない。それで、察しを遣う。
だから、日本人の独りよがり・勝手な解釈は避けられない。

問題を解決する能力はないが、事態を台無しにする力を持っている。
だから、我々日本人は、自重に自重を重ねて、常に事態を静観する必要に迫られていた。
我々は、変わらなくてはならない。

http://e-jan.kakegawa-net.jp/modules/d/diary_view.phtml?id=288248&y=2009&m=11&o=&l=30


自重に自重を重ねて (斯文)
2011-02-17 23:05:23
私のブログに、内容とは全く無関係のコメントを書くのは落書きになります。
礼を失する行為となります。Rudeでありましょう。

落書きについて一言。
「我々日本人は、英語を通して世界中の人々に理解されている。」は英語屋の思い上がりでしょう。様々な言語があります。日本語の時もあります。
時制がないとは昔から言われてきましたが、しかし、日本語でも過去、現在、未来は理解できます。英文法の一面的理解で言語を論じるのは如何なものかと思います。
また、英語というものを相対化して理解しない態度はいかにも日本人的かと思料します。
自重に自重を重ねておりますが、今後は落書きご遠慮下さい。

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