Our World Time

窓から黄金色の弦月が見えています

2014年04月11日 | Weblog
✴このエントリーは、4月11日金曜の夕方から夜にかけて、おおむね書きました。
 そして書きかけのままアップしないでおこうかと、いったん考えましたが、翌12日土曜の未明にアップします。
 実は書きかけの途中で置いているエントリーが山のようにあります。いつか時間を作って、これらもひとつづつ最後まで書き上げて、アップしたいですね。



▼いま名古屋で講演をして帰京する新幹線の中で、このエントリーを書いています。
 名古屋駅では、発車する新幹線のドアに挟まれたことが、二度あります。
 講演会で時間を延長して話し、聴衆のみなさんと一緒に考えようとして、発車時刻の間近になってしまい、走って走って、乗ろうとしたときに挟まれました。
 きょうは、エネルギーと環境の問題に先進的にチャレンジするひとたちが聴衆だったから、ついつい「あと5分」、「あと2分」と延長に延長を重ねてしまい、二度あることは三度あるで、きょうもドアに挟まれるかなと思っていましたが、どうにか、ふつーに乗れました。

 延長した話を最後まで熱心に聴いてくださったみなさん、ありがとうございました。
 みなさんと出逢う機会を与えてくださった主宰者、ありがとうございました。


▼ぼくは講演の直前は、強烈に集中します。
 実は、人と話すことも難しくなります。
 しんと鎮まって、全身が、講演だけに備えています。

 だから講演前のぼくは、人と話すのが好きなふだんのぼくとは別人で、びっくりなさる方も少なくありません。
 講演会場に入り、主催のかたがたとご挨拶がてら話すとき、「青山さんって、こんなに話さない人だったのか」と驚く表情をされることも珍しくありません。

 講演を始める前は、サーキットでレーシングカーを駆ってピットロードからコースに出て行くときよりも、アルペンスキーで急斜面に飛び込んでいくときよりも、はるかに集中しています。
 なぜか。
 ぼくは今、年に百回をはるかに超えて講演していますが、ぼくの話を直(じか)にお聴きになるかたにとっては、一生に一度かもしれないからです。

 そしていざ、聴衆の前に出るとと、おのれを開け放ち、持てるすべてを伝えたいと願いつつ、ただ一度逢うだけかもしれないみなさんの眼を見るために、舞台や演台から降りて、みなさんの中に入っていきます。
 ぼくが世界と日本の現場で直面したことどもを、ありのままに伝えてみなさんと共有し、祖国とアジアのために立場の違いを乗り越え、連帯すべきを連帯し、ひとりひとりに何ができるか、それだけを一緒に考える。
 そのためには、講演前には、ぐおーと集中し、そして聴衆のみなさんの前に出た瞬間に一気に解き放って、全霊を傾ける。
 短い命があるあいだは、細々ながら、続けたいと考えています。


▼ふだんの講演会は、1時間、最大でも1時間半です。
 それは当然のことです。人間の集中力の限界がふつうは、それですから。
 ぼくは近畿大学の経済学部で教えてもいますが、大学の授業も1時間半です。

 きょうの講演は、あらかじめ2時間を予定してくださっていました。
 そこからさらに延長を許してくださり、ほぼ3時間にも及びました。
 みなさん、ほんとうにお疲れさまでした…。

 ただ、こんな機会は例外です。
 そして、今日のように3時間を頂いてもなお、この祖国を甦らせるにはどうしたらいいかを考えるには…時間がまるで足りないのです。

 そこで自主開催の独立講演会(ここです)を開いています。
 まず「時間無制限」でスタートしました。
 そしてこれまで、実に小学生から90歳代のかたまで、独立講演会の最後まで、一緒に考えてくださっています。
 いまは聴衆の疲労を思って、原則4時間半、最大で5時間にしていますが、それでも、これだけの時間を一気に共にする講演会は、あまり無いかもしれませんね。
 ひょっとしたら、世界にひとつ。
 独立講演会が、と言うより、独立講演会に集まってくださるみなさんこそが、世界にただひとつ!


▼この独立講演会はこれからも続けますが、一方でぼくは、そろそろ物書き中心に仕事を収斂させていきたい。
「ぼくらの祖国」(扶桑社、たとえばここです)はついに18刷となりました。
 ぼくや独研(独立総合研究所)の意見は依然、少数派です。
 そのなかで、このようにロングセラーとなり、それが出版から2年4か月を経て、なお衰えることなく続いている…読者のみなさんに、祈りと感謝を捧げます。