むさでん業務日誌帳(改)

むら@車掌の徒然模型日記・・・・(ちょっとだけ愚痴もあるよ!)

惜別・・・0系新幹線への想い

2008-11-17 17:32:45 | 工場長の独り言

毎度のことながら 趣味関連の調べ事をしている際、 たまたまJR西日本のホームページに行ってみたら 0系新幹線のスペシャルページがグレードアップされているのを確認しました。 0系の引退もいよいよか・・・・最終運用は12月13日日曜日・・・・・残すところ あと3週間ほどなんですね。

既に10月頃から このブログにも0系新幹線をデザインしたブログパーツを掲載しておりますが 今回新たなブログパーツを入手したので 早速 追加配置してみました・・・・。ちょうどこのページの左上付近に掲載されている「発車時刻表」のようなものがそのパーツです。 何でもここに表示されている時刻になると このページに新幹線が入線してくるとかこないとか・・・・このページの設定では 毎日10時30分になると 新幹線がやって来るようですが・・・・果たして本当なのかどうかは  閲覧者の方々自身で明日以降にチェックしてみてくださいませ・・・・。

そんな事で 今日の話題は 新幹線「0系」について 工場長の思い出話でも書いてみる事にしましょう・・・・。

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自分は昭和44年生まれ・・・・西暦でいうと1969年・・・・。東海道新幹線の開通は昭和39年(1964年)なので 私が生まれた時には既に新幹線が走っていました・・・・つまり 僕の先輩?にあたる存在なのです。

私が幼少の頃・・・・家に童謡のLPレコードがありました・・・(何でも 父が 私が生まれた時にプレゼントしてくれたものとの事・・・・)。 そのレコードの中に 「走れ!超特急」という歌がありました。 僕はこの歌が大好きで 何度も何度も繰り返して聴いていたのを憶えています・・・・・・・このレコード、今でも 家の何処かにしまってあるはず・・・懐かしいな・・・・。

「♪~ビュワーン ビュワーン 走る~ 青いひかりの超特急・・・・・時速250キロ~ 飛んでくようだな 走る~ ビュワーン ビュワーン ビュワーン・・・・走る~っ・・・・♪~」 これは1番の歌詞だったかな? 今でもちゃんと歌えるんですよ・・・僕は・・・・。

今振り返ると 僕の鉄道好きは この歌のせいかもしれないです・・・・そんな事を ふと思ったりもします。

※このレコードには 他にも「かもつれっしゃのうた」とか「ちかてつのうた」なんていうのがありました。 どちらも今でも歌えますよ・・・・・カラオケには無いみたいですけどね。

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我が家の場合・・・・祖父母や親類が 皆近隣に居住していたこともあり 新幹線に乗る事なんて皆無でした。

初めて新幹線に乗ったのは 確か小学2年?の時、家族旅行で箱根~熱海へ行った時、帰りに熱海から東京まで「こだま号」に乗りました・・・・確か 行きは小田急のロマンスカーで行ったんだよな・・・。

熱海駅を通過する「ひかり」号の あまりのスピードに圧倒された事を今でも良く憶えています。

それから・・・・小学6年?の頃だったか、学校の友達に親戚が国鉄に勤めている、という友達(S君)がいて、その子に誘われて 当時、品川駅の裏側にあった新幹線車両基地に連れて行ってもらった事もありました。

ある日の日曜日・・・・僕と友達S君の二人は、国鉄勤務のおじさんに連れられて新幹線の車両基地へ向かいました。あの当時・・・・品川駅の地下通路(今でも存在していますが)・・・ちょうど7番・8番ホームの下辺りに職員専用の入り口(扉)があって、その扉を入っていくと薄暗い長い地下通路が続いていました。そのままず~っと歩いていくと やがて明るくなってきて地下通路もいよいよ終点のところで 目の前には新幹線の車両基地が・・・・。

今ではもう時効なので お話しますが、そのおじさんに 新幹線の車両点検の現場を見せてもらいました。レール上に立って見上げる新幹線・・・・・当時小学生の自分にとっては 非常に大きく感じました。 いつもはホーム上から眺める事しかなかったので 特に意識はしませんでしたが、レールの上に立って眺める車体の大きさと言ったら何とも例えようがありません。それに 編成の長い事・・・・全長400メートル・・・・まさに圧巻でした。

そして 何よりも嬉しかったこと・・・・・運転台に入れてもらい、基地内の回送線を走行するのを運転台から見せてもらえました・・・・そして洗車線に入って 動きながらに洗車されていく様をみて非常に感動していたっけ・・・・。

最後に運転台に座らせてもらい、持参したカメラで記念写真を撮ってもらいました。

今ではこんな事、出来ないんだろうな・・・・・・それに品川駅裏の新幹線基地も 今となっては新幹線の品川駅となって 今でも開発が進んでいる・・・・・こんな思い出も 本当に昔話となってしまいました。

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あの頃・・・・新幹線といえば0系ばかり・・・・本格的に鉄道趣味に目覚めた自分にとって、「変化の無い」新幹線には あまり食指が伸びませんでした・・・・。どれを撮ってもみんな0系なんですから そりゃ 仕方がない・・・・。

私だけではありません・・・当時の鉄道ファンは みんな新幹線にはあまり関心を寄せていなかったと思います。SLブームやブルートレインブームなど、鉄道関連の流行は多々ありましたが 新幹線のブームっていうのは 記憶がありません・・・・・どちらかというと 政治的なブーム・・・我田引鉄?・・・・ おらが街にも新幹線を! といったものだったのかもしれません。 このような背景から 新幹線は「ひかりは北へ!」というキャッチフレーズの下、 やがて東北・・・上越へと向います。

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時代はバブル期に入り、新幹線にも「ゆとり」の空間を必要とする時代となりました。 2階建て新幹線 100系が登場したのもこの頃のこと・・・・いよいよ0系新幹線も置き換えの時代に突入していったのです。

そして列車のスピードとともに車両の技術革新も加速度を増し、ついに東海道には「のぞみ」が誕生、300系が初代「のぞみ」としてデビューを飾り、後続として最高速度300キロの500系が登場・・・・新幹線の頂点に登りつめました。

バブルがはじけた後・・・・新幹線は「環境」をテーマに添えた車両開発へと移行していきます。

カモノハシのような顔をした700系の登場・・・最高速度こそ500系には劣りますが 消費電力、運用コスト等、世界レベルで最高水準の鉄道車両に進化しました・・・・更なる改良を加えて 現在のN700系へ・・・・。

時代の変化に合わせ、車両のバラエティーも多様化してきました・・・・この頃から 新幹線もようやく鉄道ファンの趣味対象に成り得てきたのです。

しかしながら・・・0系新幹線は もはや東海道には居ません・・・・山陽新幹線内で 地味な「こだま」運用を続けておりますが、それもあと3週間程で 本当の別れの日がやってくるのです。

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あまりに普遍的すぎる・・・・私の0系新幹線への印象です。

それでも この「普遍的」という言葉の重大さが 大人になった自分が新幹線を「輸送システム」として捉えるようになった現在では 改めて再認識する次第です。

色々と書いていくと まだまだ0系電車の思い出は尽きませんが とりあえず今日のところはこの辺で終わりにしましょう・・・・まだまだ 書きたい思い出は山ほどあるんだけど・・・・

2008年12月14日・・・・ついに その歴史に幕を下ろします。

それでも 12月14日までは まだ時間があることだし・・・・この続きは またの機会にでも書いてみます。