むさでん業務日誌帳(改)

むら@車掌の徒然模型日記・・・・(ちょっとだけ愚痴もあるよ!)

思い出の手打ちうどんの味・・・・・

2016-12-03 23:08:05 | 工場長の独り言
土曜日・・・
朝から晴天に恵まれたので 洗濯物に布団干しと一通りの家事仕事に精を出しました・・・ う~ん、もはや主婦も顔負けと自負するぐらい・・・(笑)。 まあ こんな書き方をすると男女差別とか云われそうなので自重しなければなりませんが、実際、こういう事が好きなので 別段苦にはならない、ってのが本当のところです。

家事を片付けた後、父を連れて 父の実家のある入間市まで出掛けてきました。 普段なら車で約20分ほどの道程ですが 師走恒例?の道路工事の影響で 所用時間が40分も掛かってしまったのは想定外・・・、まあ、特別時間を決めていた訳でもなく 忌明けの御挨拶が目的だったので のんびり移動といった感じでした。

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父の実家には 子供の頃、二週間ばかりお世話になった事があります。小学校二年生の頃だったでしょうか・・・ 母が胆石で入院した時、この実家に寝泊まりさせて貰ったものです。平日の朝は父の車で学校に通学し、父の昼休みに学校に迎えに来て貰い 給食も食べずに 実家へ移動・・・、父は再び仕事に向かう・・・、という日々が一週間程度あったのでしょうか?

当時は祖父・祖母も健在で 自分も色々と面倒をみて貰いました。 なにより当時の実家の家は わらぶき屋根の古民家といった様相で、土間の奥には釜戸があったし、釜戸とともに 薪で炊く五右衛門風呂もありました。 薄暗い屋根裏には 梯子のような急勾配の階段があり、それを上がっていくと 蚕棚と織機があるという 本当に田舎の農家でした。今も残っていたら そのまま民族博物館にでもなりそうな家でしたが さすがに今は普通の戸建ての家屋となってしまったのは残念です。 何より 子供の頃の自分にとっては そんな家屋にあるもの どれをとっても今まで見た事も無いものばかり・・・ それを一つ一つ 祖母が教えてくれたものです。 そしてこの実家生活の最大の楽しみといったら 何といっても手打ちうどん作り・・・。 田舎ですから 手打ちうどんというのも ごく普通に作られていた訳です。 地粉を練り上げて 数時間寝かせた後、子供の自分が その生地の上に載って足踏みをする・・・ その後、綿棒で薄く延ばして麺切り包丁で裁断・・・、薪で沸かした釜戸のお湯で一気に麺を茹で上げる・・・ という一連のプロセスを 全て手伝わせてくれました。 まあ、何の助力にもならなかったのだろうけど、子供ながらに「うどんは こうやって作るんだ・・・」という事に感動したものです。
そして 何より釜戸で茹で上げたうどんの美味い事といったら この上ない・・・・ 畑で採ってきたばかりのネギやホウレンソウを薬味に 食べたうどんは 今でも忘れる事の無い一品なのです・・・。

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そんな 懐かしい手打ちうどんですが 今日のお昼に 御馳走して貰いました。
さすがに今では祖父・祖母の姿はありませんが さすがに広い実家での事、今でも時折手打ちうどんを打っているとの事でした。久しぶりに食した実家の手打ちうどん・・・、一口食べた時、前途の思い出が一気に蘇りました・・・。そうそう、このうどんなのです。 他のどんな名店に行ったところで 決して食べる事が出来なかった このうどん・・・・ 本当、食べるごとに 一気にいろんな記憶が紐解かれてきて 不思議な感じ・・・・ 食べ物の記憶ってのも 色々あったんだな・・・ そんな事を思いました。

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こうして実家から帰ってきたのは昼過ぎの事・・・・
午後は いつものようにラジオを聴いて過ごしていましたが、今日は12月3日・・・ 秩父夜祭だったのです。 無論 自分は出掛ける事はありませんでしたが 夜になってから携帯に着信メール。 確認してみると 西武池袋線の運行情報でした。 何でも所沢駅で人身事故が発生・・・、西武池袋線、秩父線は運転見合わせとの事・・・。 20時40分頃の事だったと思いますが こんな日に池袋線で運行支障が発生するとは まさに「人身テロ」とでも云いたくなります。 早速 ネットで情報収集してみると 当該車両は なんとピンク色の9101F・・・、身投げした方は即死だった模様です。 運転再開は21時40分頃の見込みと案内されておりましたが 早くも夜祭帰りの行楽輸送に影響が出てきた様子・・・、いやはや 夜祭仕様の臨時ダイヤとしても さすがに投身の運行支障は想定外の事でしょう・・・。 祭帰りの行楽客の皆さま・・・ 無事に帰宅出来る事をお祈り申し上げます。