繁浩太郎の自動車と世の中ブログ(新)

モータージャーナリストとブランドコンサルタントの両方の眼で、自動車と社会をしっかりと見ていきます。

なぜ、軽自動車販売比率は高いか?

2019-01-16 12:23:44 | 日記

日本の乗用車販売の中で、軽自動車の販売比率が多くなるにつれて・・・

「軽自動車が売れているのは、デフレ経済からの脱却が実現していないからだ」

さらに、「そういう主張があるようだが、それは表層的な見方に思える。」

また、「軽自動車は日本の事情のみに適応してきた“ガラパゴス商品”にすぎない」

「軽自動車のビジネスが国際展開にも適応可能である」

など、様々、軽自動車について語られることが増えてきた。

これらは、部分的にしか捉えてなく、またコトの本質に至ってないように思うので、考えてみることにしました。

 

 

日本で高い軽自動車販売比率2018年上半期の車名別販売ランキングのベスト10は以下のようになっている。

ダントツで軽自動車のN-BOX、ベスト10の半分以上は軽自動車となる。

 

軽 N-BOX  127,548

軽 スペーシア 79,718

軽 ムーヴ   74,109

普 ノート   73,380

軽 タント   71,809

軽 デイズ   71,778

普 アクア   66,144

普 プリウス  64,019

軽 ワゴンR  61,987

普 セレナ   56,095

 

確かに、軽自動車の販売比率は高い。

これは、軽自動車が日本の自動車マーケットの「主」になったということだ。

日本の高度成長期には、「軽自動車だけは乗りたくない」という人も多くいたが、今ではそういう人はマイノリティとなったということだ。

 

軽自動車がここまで販売比率を伸ばしてきている理由は様々あると思うが、その大きいと思われるものからあげていきたい。

 

まずは、やはり「経済的」なことだ。

現状お金があり、将来の不安もないユーザーなら、人間の本能的にも「立派なクルマ」を購入するだろう。

(税務署が怖い人は別だろうが、笑)

極端な話しとして、宝くじが当たったら・・と想像すると、わかりやすい。

 

次に、ユーザーにとって魅力的なクルマが少なく、これも極端な話「どれを買っても同じ」的な価値観になってしまっていると思われる。

これは、鶏卵的に言われるが、その本質はユーザーが「変化の無い商品になった(魅力がさちレートした)クルマ」に飽きてきているのだと考える。

 

そもそも、クルマは移動の手段であるが、それだけではここまで世の中にクルマはあふれなかったはずだ。

今クルマの新技術といわれているものは自動運転だとかハイブリッド車だとか、はたまたFCVだEVだとか。

これらは今までになかった新技術に違いはないが、これらは移動手段の技術で、ユーザーが感じるクルマの魅力につながる新技術ではない。

つまり、2つ目は「魅力的なクルマ」が無いのだ。

 

また、東電、有名家電メーカーなど過去の感覚では破綻するはずのない巨大企業が破綻してしまう時代で、さらに年金、健康保険などの社会システムが時代に合わず古くなって機能しなくなっているのに、対策がうたれない日本。

また、外に目を向ければ、トランプ大統領のアメリカからいつバイバイ!と言われてもおかしくないし、中国や韓国、ロシアなどからは厳しい外交をせまられているし、まさに将来は見通しにくく「将来不安」の時代なのだ。

多分、ユーザーはどんなにお金があってもモノに使える気分では無いだろう。

(モノもあふれている)

だから、日本はデフレ脱却ができない。

 

また、そういう世の中なので過去の「大きいことは良いことだ」は、忘れ去られだいぶん前から「デトックス」「ダウンサイジング」などの言葉がよく使われるようになっている。

 

さらに、日本は鉄道網が発達しておりその上に空港も多く、2〜300km以上の移動は公共交通機関というのが常識だ。

(家族の移動で荷物が多い場合などはクルマを選ぶ人もいるだろうが、よりスマートに荷物は宅急便で送って身軽に公共交通機関で移動する人も・・。ゴルフもそういう人は多いようだ。)

ドイツの様に、500km離れた目的地でもクルマで移動した方が時間的に確実で早くて楽な道路環境と、日本は真反対だ。

よって、日本には、元々高速移動の為のクルマは不要といえる。

過去(今でも)にそれらは、趣味や見栄で買われてきたのだ。

 

ハイブリッド車も、ウェブや雑誌では「10年はのらないとペイしない」という記事も以前は多かった。

日本人は、左脳で分析的にクルマを買うのでなく、右脳でエモーショナルに買っていたのだ。

それが、「将来不安」から左脳で分析的にクルマを買うように変化してきていると思う。

 

ユーザーが「軽自動車で十分」となって、軽自動車の販売比率が上がるのはよく分かる。

 

ただ、軽自動車がグローバルに通用するかといえば、それは無理だ。

排気量と出力、燃費。妙に背の高いスタイル。高速走行。

課題は多い。

しかし、世界でも日本のような「将来不安」におそわれだすと・・わからないかもと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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ゴーン後の日産自動車がやるべきこと

2018-11-26 11:07:38 | 日記

今報道では、ゴーンさんは容疑者と呼ばれる。ここでは「ゴーンさん」と書かせてもらう。

言うまでもなく、瀕死の日産を事業的に救ったのは、ルノーでありその株主のフランス政府で、その中心人物がゴーンさんだった。

勿論、当事者の日産の役員から従業員までも「日産ブランド」を守り発展させるために頑張って、事業性は回復した。

 

この日産が瀕死に陥ってしまった理由を当時は色々と言われたが、その理由を解決して立て直すというやり方ではなく、ゴーン流のやり方で日産は業績回復し、今に至っている。

 

私は、ここでまず、なぜ日産は20年ほど前に瀕死の状態になって、助けてもらえる先を探さねばならないような状況に陥ったのか?を考えたい。

このことから考えないと、今回の解決の道は間違ったものになるのではないか、あるいは以前と同じなのではないか、という心配がのこる。

もっというと、「また、元に戻るだけ」と思うのだ。

 

高度成長期には、トヨタと日産は両巨塔のように言われて、マツダやダイハツ、スバル、三菱、さらに私の在籍したホンダが続いていた。

 

当時、これらの企業は当然それぞれ経営理念はそれなりのものがあったとは思うが、商品創りに理念を強くもっていたのはホンダとトヨタだったと思う。

 

私は団塊の世代の少し下だが、世代的に高度成長期、モータリゼーションの中で、若い頃を過ごした。

あの頃の車はハッキリ言って、発売すればそれだけで高い確率でユーザーに受け入れてもらえた。

つまり、世の中の勢いもあってカーメーカーにマーケティングなんて必要なく、「こういうのが良いだろう」という創り手の思い込みで商品が作られた。

クルマだけでなく、他の商品もだいたい同様だったと思う。

 

そんな中で、当初、日産は技術は勿論、販売においてもトヨタを凌駕していた。

それが入れ替わったキッカケはピニファリーナデザインの「尻下がりブルーバード」だった。

63年9月に発売開始された二代目ブルーバードだ。

64年9月に発売開始された三代目コロナは「アローライン」と当時呼ばれ、スッキリとしながらリッチ感、頑丈さも表現されたデザインで、当時日本の高速道路時代の幕開けや高度成長期にふさわしいデザインになっていた。

ブルーバードはその「尻下がりデザイン」がユーザーに受けず苦戦した。

 

日本にいる日本の空気感(時代感覚)をもった創り手が造ったコロナと、まだまだクルマの先進国のヨーロッパのピニンファリーナにデザインを依頼して造ったブルーバードとの違いが出たと思える。

しかし、同時期にミケロッティのデザインのコンテッサ1300は日本人からしてもハイカラで綺麗なさすがヨーロッパのデザイナーと思わせるデザインで発売されている。

しかし、水冷RRリヤヘビーによる操安の問題などもあったせいか販売量は少なかった。

 

日産がヨーロッパのデザイナーにお願いするのもわかる。

しかし、モノ造り企業なら普通は自分達で造りたいものだ。他人に頼んで造ってもらうなんて・・・。

結果は(ニュートン力学のごとく自然な結果として)、トヨタの日本のユーザーに向き合って、想いをこめたデザインがより受け入れられた。

 

この、ブルーバード/コロナ以降、日産は継続的に国内販売二位の位置づけになり、誰の眼にもセカンドメーカーになってしまった。

トヨタは「販売のトヨタ」と言われるくらい、その後の数々のモデルを売りまくった。

その間、日産はプリンスと合併している。

私の中の記憶のプリンスは二代目グロリアやスカイラインの印象が強くオシャレ感のあるパッとしている特徴的なデザインというイメージだった。ハードも良かったが、日産に吸収されたというか良いものが無いことになってしまった。

 

その後、日産はマーケット提案型の「ローレル」を発売している。

(元々、プリンスの企画という話を聞いたこともある。)

トヨタは、これを見て「マーク2」を出して、実販売は「マーク2」の方が多く販売された。

この頃から、トヨタは王道戦略で「マーケット開拓」しなくても、後追いで「抜ける」「抜く」という戦略だったように思う。  (少し前の、ホンダストリームに対するウイッシュも。)

 

しかし、その後の「510ブルーバード」は、誰もが欲しくなる、また世界に通用する素晴らしいデザインで、普遍的な良いデザインといえた。

私には「突然変異」と思えた。

その後、ブルーバードはまた混迷のデザインが続き510をコピーした(セルフカバー?)「910ブルーバード」はヒットする。

このことからしても、日産はわかっていて510を開発したのではなく、やはり「突然変異」だったのではと思う。

 

考えてみると日産には世の中に受け入れられる、つまりヒットするクルマを作れる体質が元々なかったのではないかと思える。

多分、企業理念、企業風土として「お客様の喜ぶクルマ創り」がなかったのでは無いか。

ヒットというか販売台数を目指すクルマ創りだったのではないか。

モノ造りの原点というか目指すのは「お客さんの喜び」だと強く思う。

収益、事業性は結果だ。

ここのところが、日産はかなり早い時期から考え方が違ったように思う。

 

一方でトヨタは、「販売のトヨタ」と言われるくらい、ユーザーに「売る」「買ってもらう」という意識が強かったように思う。

それだけに、ユーザーの普段使わない領域の性能などは、控えめにしてユーザーの為になるコストを下げ提供してきたと思う。

事実、DOHCエンジンにしても、トヨタには当初2バルブのモノがあった。エンジン性能を追求したい技術者にとってDOHCエンジンで2バルブなんてありえないが、多くのユーザーは乗って運転してそんなに回転をあげないので、わからないということを知っていて、その分コストを下げながら同じDOHCとして売りやすくしたのだ。

高速性能についてもそうだった。当時のトヨタのクルマはせいぜい120km/h位まではよく走るが、速度違反領域では走りに伸びがなくなると言われていた。

 

これと正反対なのが、「技術立国?」のホンダだ。

性能は極限まで追求する。

ユーザーにわかろうがわかるまいが、技術者がわかることはやりきる。

V-TECと名付けた高速域と低速域のバルブタイミングを変えられるエンジンでは、幅広い回転域でトルクが得られるが、これは多くのユーザーでは使わない領域までやりきるという精神?のたまもので、性能だけでなく、

結果的に世界で技術のブランドも作った。

 

ホンダは、本田宗一郎というカリスマ天才技術者とその天才の能力を発揮させながら商品企画から企業経営までを担った藤沢武夫の両輪で大企業になった会社だ。

そこには、しっかりとしたモノ造りの理念があった。

これはホンダイズムといわれる。

(最近のホンダイズムは???だが・・・)

 

日産の話に戻ると、ゴーンさんは事業的に日産を助けたが、メーカー体質の根本である「モノ造りの姿勢」までは手をつけなかったのではないかと思う。

その後の商品をみればわかる。

 

はやまったEV戦略、行き過ぎたCM、NO1がなかった商品(最近はノートなどが販売台数NO.1)、そのブランド戦略も御本尊のない表層的なものにみえる・・・。

 

商品開発、モノ造りの理念が定まっていないようだ。

「なんで、なぜ、日産自動車はクルマを作るのか?」

この簡単な問の答えが、ユーザーに伝わらないモノ造り企業は辛いと思う。

 

今回のクーデターと言われる騒動は、日産側の様々な思いの結果と思うが、ホントに先まで考えられているのか?

私には、疑問だ。

ゴーン体制以前から、モノ造り企業経営を事業性だけで見てきた日産はホントに、この後メーカーとしてやっていけるのか?

日産の中に人材はいるのか? 人材はいても、出てこれない気がする。

「モノ造り企業経営」を実践してほしい。

若い頃、日産のクルマで成長させてもらった私からの願いだ。

 

追記、

ルノーのクルマは日本であまり評価もされず評判にもならないが、そのしなやかな走りは、世界一と私は思う。

ルノーはクルマというものを知っている。

このルノーと日産はホントに事業的なつながりだけだったのだとつくづく思うと、残念だ。

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「私の愛車遍歴」第15回 CR-Xデルソル-3

2018-09-11 14:30:54 | 日記

続編を書こうとおもいながら、前回が「私の愛車遍歴 第14回 CR-Xデルソル-2」で、アップは2017-01-05 19:13:54 でしたから、一年半以上も時が経っててます。

 

時の経つのはホント早い。

 

今回は、最終回にすべく、デルソルの開発を振り返ってまとめるてみました。

 

「開発スタート時」

・三代目のCR-Xを企画するにあたっての要件として、日本のベルノ店のスポーツブランドとする。

・二代目CR-Xの事故率を考えて、「走らないスポーツカー」とする。ユーザー年齢層も上げたい。

(二代目CR-Xは、安価でよく走る為に、特に北米で若い人がユーザーになり、事故率が高くなり、保険料が車両価格程度になっていました。商売的にも、さらに事故率アップによるブランド的にも、このままのコンセプトでのモデルチェンジは止めたほうが良い、となったのです。)

 

「企画時」

・「走らないスポーツカー」≒「オープンカー」と考えた。

・ユーザー層は若者より少し上げたい≒「オープンカー」

≒価格は二代目CR-Xより少し上げる。

・屋根は幌では、古臭いし、水じまいもメンテも大変≒「電動ハードトップ」

 (その後は、ビートなど幌で開発された。)

・生産担当の鈴鹿制作所に企画内容を説明に行った。

当然のごとく「こんなの造れない」の大合唱。

だって、設計仕様はまだまだこれから煮詰めていく段階なので、ほんのアイデアだけのような形での説明だったから仕方なかった。

中に、ホント一人だけが「やってみようじゃないか」と言ってくれた。「みんなホンダマンだろう」と。

ありがたかった。

 

「開発時」

・電動ハードトップがうまく動かない。

(当然、今のようなコンピューターはなく、電装とメカで苦労した。)

・社内、評価会は落ちまくり。

・今ならブラック??? メンバーにとって非常にハードな開発となった。特に、電装系とメカ系。

・社内で「もう止めたら」・・・の声。

・若い設計担当者が「これを止めたらホンダじゃない」と社長に直訴したと聞く。

・屋根をリヤのトランク下に入れるため、トランクが長くなり、「エルカミーノ」と呼ばれる。

デザイナーは「こんなのデザイン出来ない」とさじをなげる。

・メカの設計者のアイデアで、屋根を二段スライドで収納する構造にして、トランク長さを短くできた。

・屋根の受け渡し構造を決めるのに難航したが、これは別の機構設計者のアイデアでのりきった。

・しかし、電動が万一間に合わなくなった場合を考えて、マニアルトップも開発しておくべきとの意見が大きくなる。

そんな中、北米は「電動ハードトップなんてワランティの山になる」と言い出し、マニアルトップの開発が必要になる。

・開発の最終段階で、電動ハードトップは運輸省にとって初物になるため、ホンダの認証部が当時の運輸省へ事前連絡を入れる。トランクを締めるときに子供が手や頭などを挟まれることを懸念して、スイッチを二回押し直さないと締まらないように「忖度??」する。

・その他、機能からルックスまで商品として成り立つように、細部まで設計仕様を煮詰めた。

・トランストップの名前をみんなで苦心の末、決める。

・クルマの名前が「CR-X・デルソル」と決まる。

私は、三代目は初代と二代目から大きくコンセプト・チェンジしているから、CR-Xはとって「デルソル」だけにしてほしいと上司に頼んだが、上司は国内営業に負けてCR-Xがついた。

また、北米はシビックシリーズで販売してきたので、「シビック・デルソル」となった。

いずれも、ブランドの観点は少なく、それぞれの都合で決まった感が大きいと感じた。

 

当時の開発責任者(LPL)は、決定権は縦の組織にあっても意見はいえた。特に車名となるとそうだ。しかし、当時、私は他にも色々と大変な案件が山積みだったこともあり、「暴れても負けるしな」とつい大人になってしまっていた。

・カタログの写真が暗かった。

なんだか、季節が反対のオーストラリアの海岸まで行って、撮ったらしいが天気が悪く全体に暗いイメージだった。名前の由来のスペインの太陽海岸コスタ・デルソルとは全く雰囲気の異なる、日本海で撮ったような写真だった。これは流石に代理店に出向いて出来るだけ明るくしてもらった。

最初のカタログを見てもらえればなんだかバッとしないのがわかってもらえると思う。

 

「開発完了」

ホンダでは、開発が遅れる、つまり立ち上がり時期が遅れることはありえなかったが、このデルソルは遅れた。

つまり、開発完了の日程までに開発が終わらなかった。

開発部門の研究所だけでなく、製作所からEG(ホンダエンジニアリング)、さらに部品メーカーさん、多くの人の応援をもらっていたが、遅れた。

 

コストも、破綻した。

とにかく、作るのに精一杯だったということになる。

結局私はバタバタしていただけだったかもしれない。

 

実は、この時の開発は、2D(デルソル)、3Dシビック、4Dシビックの開発RADとしてEさんがいて、

LPLとして、Uさん、Sさん、エンジンLPL代行として今は亡くなってしまったFさん、研究部門のLPL代行としてTさん、

設計部門のLPL代行として私というメンバーで、2D(デルソル)、3Dシビック、4Dシビックを担当した。

開発チームメンバーは2D,3D,4Dと別れておりそれぞれにLPL代行クラスのPLがいた。

つまり、開発中私は、2D(デルソル)、3Dシビック、4Dシビック三箱のLPL代行で、すべての評価会の資料作りに携わり、出席し、所謂中間管理職として、テンヤワンヤの毎日だった。

ただ、2D(デルソル)は企画の最初から実質LPLとして機能していたので、開発終了して世の中に出す寸前に正式なLPLとなり発表会もLPLとして出席した。

2D(デルソル)だけでなく、忙しかったが3Dシビックと4Dシビックの開発に携わったことで、マーケティングからハードまで大変な勉強になった。

 

 

そんなこんなでのデルソルだが、いまだに年に一度ツインリンク茂木に集まってオフ会をしている。

幹事は当時からのデルソルユーザーの「ムーヴ」さんだ。

(愛と友情のデルソル・ホームページ)

流石に、92年の3月上市だから既に26年経っており、その当時から乗っておられる方は少なくなっているが、今だにあいされているデルソルを年に一度見られるのは、ありがたいことだ。

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続いた日本企業の不祥事を考える

2018-09-03 14:56:53 | 日記

 先日、ある自動車関連媒体から、今更だけど自動車産業にとどまらない「日本企業の不祥事」は何なのだ?!!

日本は戦後復興後からの長い間、勤勉誠実で創意工夫で働く日本人から生まれる品質の良さや信頼性は世界のお手本となっていたはずだ。

どこでどうなったのか? 見解や意見を聞かせて欲しいという。

 そこで、17年末の日本企業の不祥事を考えてみた。

 

「相次ぐ不祥事招いた日本企業。・・・そこには「日本人特性」が影響している?」

と自分なりに仮のお題を付けて書いてみた。

 

 

振り返ると、17年9月末からわずか1カ月の間に日産自動車、神戸製鋼所、SUBARU(スバル)と、その後も、国内製造業大手の不祥事が相次いで発覚した。

海外からも、当時アシュリー・ギエム記者、BBCニュース(シンガポール)は、「日本企業に一体何が起こっているのか」と記事を書いている。

 

●昨今の企業不祥事は単なる「事件」か?

日本人は特性として、ただ目の前の事を手抜きなしに一生懸命にやる、ものづくりのようなものへの「こだわり」はすばらしい。

(例 ウズベクの日本人伝説)

 

しかし、日本人は「物事を深く本質まで見ない、追求しない」という特性ももっている。

(人の噂も75日ということわざもある。これは悪いことではないと思うが。)

だから、最終的に本質的な反省はできない。

PDCAが回らない体質と言っていい。(ハッキリさすと、◯◯に迷惑が・・・等)

 

日本では「戦争反対」と誰も否定しないことを、言い続けることが「戦争に至らないことにつながる」と信じている人たちが多いようだ、テレビによく出てくる。

勿論、「戦争反対」言い続けることも大切だが、もっと大切なのは、先の大戦のPDCAを回すこと、簡単に言うとしっかりと反省することだ。

言いにくいこと、忘れたこと、他人へのコト、国のこと、色々、色々あると思うが、ここんとこをキッチリとしておくことが、戦争を二度とおこさないことにつながると思う。

 

 

「日産と神戸製鋼の場合、30年近く前から慣習的に続いていた。」のだから、それは「日本人の特性」というしかなく、またそういう「体質」だったのだ。

考えたら、大戦へと向かう昭和のはじめ頃からの体質かもしれない。

 

 

●原因の本質

1990年バブル崩壊までの成長とそれ以降PDCAを回さない、コトの本質を捉えない日本が長期間にわたる経済成長の鈍化をひきおこしていることが、大きな要因といえそうだ。

 

大企業は1990年バブル崩壊まで、安定的な右肩上がりの成長市場つまり、時代の勢いにのって眼の前の課題を一生懸命解決していればそれで良く、経営者は本当の企業経営をしていたわけではないと思う。

つまり、経営者がいなくても企業はまわっていたと言えるかもしれない。

 

1990年代バブル崩壊以降は、本当の企業経営、本当の政治が必要になった。

つまり、時代の勢いが無くなっているから、今度は自分達で勢いをつけなければならなくなっていたのだ。

 

しかし、本人たちはどうして良いかわからない状態のままで、まず最低限、収益を上げないと企業存続しないから、とにかく「コスト効率」を上げに走った。

つまり、企業はコスト、経費削減、などを極限まで進める方法しか考えられなかった。

目の前の事を手抜きなしに一生懸命にやる、ものづくりのように。

 

効率性の向上を極限まで進める中で、徐々に経営陣は好調な業績を示すコトが目的になり、それが品質管理の限界というかグレーゾーンを超えてしまったのではないかと考える。

 

上司にキチンと反論出来るまともな社員もいたであろうが、そういう人は「カラスは白いよね」と上司から言われても「いや黒いです」と言い、その結果、飛ばされたり降格されたりしたのだろう。

それを見た他の社員は、絶対に「カラスは黒い」と言わなくなるということが続いて、大企業病だ。

 

今ではほとんどの大企業が、政府/官僚/役所も? いわゆる「大企業病」にかかっているのではないだろうか。

 

これは企業の問題を超えて、国の問題だ。

 

●解決策

解決方法は一つ、子供の頃からの「教育」につきる。

日本の体質改善をするのだから、先ずは「教育」からだ。

誰だって、繰り返される不祥事に対してのワンパターンな陳謝場面や政治家/官僚の言い訳パターンをみていると、子供の頃からの教育が大切と実感すると思う。

 

もっというと、法律さえ守っていれば悪くないし、資質も問われないとする、世の中の風潮が良くない。

当たり前だが、社会は法律を超えたマナーがあってはじめて成り立つ。

 

とりあえず「教育」を実行する「先生」の道徳教育含めた再教育。

私は、これらだけでなく宗教のような力も必要かともおもっている。

 

自分で自分が生きる道を切り開けないものは残念だが「滅びる」。

自然の摂理だと思う。

日本は危うい。

企業の不祥事に終わらないと考えています。

 

 

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自転車とクルマ、乗り手の高齢化とスキルとマナー

2018-07-13 13:23:21 | 日記

少子高齢化と叫ばれているが、その影響はモビリティの世界でも実感できる様になってきた。

 

私は、以前にクルマの開発を仕事としていたが、その関連で交差点の信号待ちのときなどは、隣に止まったクルマのドライバーとクルマを観察する習慣つき、それがいまだに残っている。

その中で、白髪の爺さんやお婆さんを見る頻度が上がったように思う。

また、もみじマークや高齢者マークと呼ばれる「高齢運転者標識」は、70歳以上のドライバーに対して推奨されているが、こちらもよく見かけるようになった。

やはり、高齢者ドライバーは増えていると実感する。

 

もう一つ、感じることがある。

それは、若いドライバーの運転スキルだ。

 

昔は、「アレぇ〜」と思うドライバーは、悪いがだいたいが「女性」だったように思うが、今それは若いドライバー(男女共)だ。

ハッキリ言って「下手」すぎる。

 

細い道でのすれ違いで、左側に寄らない、寄れない。

堂々と真ん中よりを来るか、止まってしまう。

後ろから見ていると、クルマは真っ直ぐ走っていない。

フラフラと走っている。

とにかくブレーキを良く踏む。

また、以前は制限速度いっぱいか少し出る位で走っているクルマが多かったが、今は例えば制限速度が50km/hのところなら45km/h,40km/hのところなら35km/hと制限速度内の「おりこうな」速度で走る。

それを、二車線の一般道や高速道路の右側車線でもする。

法律を守っているのに何が悪いと言わんばかりだ。

 

これは、こじつけかもしれないが、仕事においてもこのクルマの走り方と同じような感覚を受けるときがある。

ルールをしっかりと守って言われたことはキチンと仕事するが、そのスピードが遅く、ハツラツとしていないし、自発的でなく、勿論積極性は少なく感じる。

 

 

クルマだけでなく、自転車に乗っている高齢者も増えたように思う。

また自転車は、高齢者だけでなく、子供を前後に乗せた女性の姿もよく見るし、とにかくウチの近くでは自転車が多くなった。

その自転車は道路上で我が物顔で、万一の時はクルマが悪いんだから、保証や賠償したくなければ、急ブレーキでもなんでも踏んでくれというような態度で走っているように思えてならない。

 

日本の住宅街の道路は、大きな開発がされた住宅街のようなところでは、細くてもだいたい5m以上で、6m道路も多い。

ウチの近所は4m道路が多く殆どクルマ同士のすれ違いは難しく、自転車とクルマでも緊張する。部分的には6m以上の道路もあるが、それはそれでクルマはすれ違えるが、自転車が走っていると微妙になる。

また、歩道のある幅広い道路でも、自転車は道路側を走ることになっているため、その道路の車線幅が狭い場合には、クルマは自転車と同じ速度で走ることになってしまう。

 

しかし、自転車は生活道具として大切で必要なものだ。

子供二人を乗せる三人乗りを許可した行政は素晴らしい判断をしたと思う。

 

さらに、先日「認知症」の話を聴くチャンスがあったが、その中で、アルツハイマー型の認知症発病率は70才〜で約10%、75才〜約20%、80才〜約40%、85才〜約70%と上がっていくらしい。

認知症が即どうのこうのではないが、心にとめておきたい数字だ。

 

このように、日本のモビリティ社会をみると、その変化を実感するようになってきた。

 

道路インフラ的に、歩行者〜自転車〜クルマが混合で道路を使うところに、日本の厳しさがあるが、これはどうしょうもない事実で、その道路を使う人全員が注意しあって使うしかない。

 

交通事故による死亡者数は年々減少しているが、高齢者の死者数は前年比で54人増え、死者数に占める高齢者の割合も54%を超えている状況だ。(2015年時点)

警察庁は、「高齢者や歩行者の安全確保を図るための交通安全教育や街頭活動、悪質・危険な違反の取り締まり、計画的な交通安全施設の整備などの総合的な交通事故防止策を強力に推進」すると発表している。

勿論、これらの取り組みは良いことだが、もう一歩原因に近く踏み込まないと、「人の良心」と「権力の取締」だけでは難しいのではと思う。

 

高齢者には自覚が必要なので、今の自動車運転教習所の形でなく、もっと現実的に公道を安全に走れるかというテスト/検査を出来ればいいが、バーチャルで出来ればより簡単だ。

今の多くのクルマに付いているが「ふらつき検知、警告」の機能の進化版も欲しい。

 

運転スキルの低い若者のドライバーには、今の自動車教習所で教習する運転スキルでは不足なのはハッキリとしているので、また安全のためにはただスピードを抑えろという教育が強すぎてもダメで、キチンと公道で他車に迷惑をかけない、つまり法律を守るだけでなくマナーまで体得して走行できるような全体スキルを上げる教育が必要だろう。

これからは、益々レンタカーやカーシェアが増え、テンポラリーに運転する人もふえる。

運転スキルは大きな課題だ。

 

さらに三人乗りや高齢者の自転車に対しても、免許証議論は別としても、せめてマストで交通事情や法律とマナーを勉強してもらう機会と、ある程度の罰則も必要かもしれない。

 

ポイントは、このような行政にかかわる施策が、時代の変化を感じ取り、事が大事になる前に手をうてるようになって欲しいが、それは簡単なことではないだろう。

だとしたら、小さくても出来ることから取り組んでいく事くらいはやってほしい。

時代は、動いている。

 

 

 

 

 

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