タマはいつでも頑張ってしまう、落ち着いた状況にしばらくの間なると、それに耐えられなくなり、どうしても何か新しいことをしようとしてしまう、今よりももっとと何かを求めずには居られなくなってしまう。
彼女はその原因も知っている、知っているがどうにかしたいと思う心と、どうしてもやらなければならないと思う心の狭間で悩み苦しみ、身体的にも疲れ、ストレスを抱え、他人に優しくなれなくなっている自分に気が付き落ち込む、だが、その落ち込みを誤魔化すかのようにまた頑張りだし、必死に乗り越えようとする、その繰り返しをしているように、私には思えてならない。
彼女は小学生の時、テストで95点を取り喜んだ。
しかし母親はなぜ後5点取れなかったんだと叱責した。
彼女はこの母親の言葉をどうしても忘れられない、自分の喜びを認めれず、もっと頑張らなくては母親の愛は貰えないんだと言う恐怖、すでに母親は亡くなっていても、その恐怖は彼女にいまだまとわりついているのかも知れない。
三つ子の魂百までかも知れない、しかし、人は変われるのも事実であり、完璧ではあり得ないのである、間違いを犯したり、同じような失敗を繰り返していても、そこから学べるはずである。
三つ子の魂百までなら、魂に自らが問いかけるように、自己の深いところに居る三つ子と語り合う必要があるだろう、しかし決して責めてはいけない、その三つ子が悪い訳ではない、何も悪くはない、ありのままを受け容れられなかった三つ子を今度は自らがありのままに受け容れ、じっくりと愛することが大切であろう、どう愛するのかが分からないのであれば、そばに静かに座ってあげるようにして優しく見守ってあげるのでも良い。
彼女には素晴らしいところもたくさんある、しかし、闇もあるのかも知れない、その闇を受け容れることで彼女の全体性はほんとうの意味で活き活きとしてくるのかも知れない、昼があって夜があるのであるから、誰にでも闇があって良いのである。
彼女が闇をも愛だと思うまでにあれるように、私は私の闇を通して祈りたい。