カルカッタより愛を込めて・・・。

次のアピア40のライブは6月の予定です。

憩いの場。

2018-07-17 11:40:12 | Weblog

 緑のカーテンは今年のこの暑さからだろうか、例年より成長は早い、昨夜はもうゴーヤを美味しく食べることが出来た。

 どのように成長するのか分からなかった、今年初めて私の緑のカーテンの一員としたパッションフルーツはやっと二階まで上がって来た。

 だが、まだ花芽はないようだが、南国特有のように思われる大きな葉は存在感を大いに現し、この暑い陽射しを十分に楽しみ喜んで受け容れているように感じられる。

 私は毎日この緑のカーテンの成長を眺めるのが好きであり、私の憩いの場となっている。

 そこでは日々の成長の観察は欠かせない、まだ黄色の小さな花を先につけたままの小さなゴーヤが大きくなっていくともに重力に引っ張られていき、いつの間にか花は小さくなり、どこかに飛んでいく様など、その瞬間は見れないが、その過程を想像し得る私の脳は私に喜びを与える。

 この喜びはどこから来るのだろうか、隈なくそれを知ることは可能なのだろうか、それは今・現在からなのか、過去からなのか、そんなことをぼんやりと考えてしまうのには一つの答えがある。

 それは今エピクトテスの本「語録・要録」を読んでいるからであろう。

 エピクトテスは50年頃~135年頃までに生きた古代ギリシャのストア派の哲学者である。

 今はまだ語録を読んでいるところだが、私にはさっぱり分からないところもあり、お手上げの時もある、気付けば、本を力を入れて持っていることがあるくらい、集中をして読んでいるがなかなか理解や解釈しないままにページをめくることが多い、しかし、折角手にした本、何かの縁があって出会った本なので途中で投げ捨てることはしない、勝ち負けを争うのではないが、私に読解力がないことは分かっているが、諦めから何も始まらない、何も起こらない、負け惜しみかも知れないが「お前には負けない」とまだまだギュッとその本をしたいと思っている。

 イエスの死後、原始キリスト教会の誰かもきっとこの本を読んだことがあるのだろうと思うと、この本の周りにはこの今の私特有の新たな物語りが生まれてくるのである、せめて、それを楽しんで読んでみたいのである。
コメント
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