を集中して読んだところで、あれ?これ夏目漱
石だったっけ?と一瞬何故だか錯覚してしまっ
た。
確かに前日まで夏目漱石を読んでいたけれど。
まだ頭の中に「こころ」の世界が残っていたの
かもしれないけれど。
時代も文体もまるで違うのにそんなふうに感じ
てしまったのは何故だろう。
個人の内面や心情、さらには闇部分を比喩を多
用しながらこれでもかと畳み掛けるように表現
するところがなんとなく似ている気がしたから
かもしれない。
3回目の「こころ」はもう私に衝撃は与えること
はなかったけれど、年を重ねた今の自分なりに
細部にも気を配りつつ深く読み込むことができ
たと思う。
新たな気付きもあっただろうし、疑問に思うこ
とや理解に苦しむこと、受け入れ難いことはむ
しろ増えたと思う。
美しい佇まいを感じさせる文体はやはり素晴ら
しいし、明治の文豪流石…と改めて思った。
次も夏目漱石にしても良かったけれど、思いの
外知力を伴うので、一旦離れることにして、村
上春樹を読むことにした。
家の本棚にあって、背表紙に3行に渡る題名が書
かれたその本がやけに読んでくれと主張してく
るので、その本を読むことにした。
色彩を持たない
多崎つくると、
彼の巡礼の年
黒胡麻きなこマフィン。