Bread of Life

ディボーションタイムを助ける聖書講解

「私もあなた方に帰ろう」2011 11月第③週ゼカリヤ1:3

2011-11-21 17:01:30 | Weblog
●1:3 それゆえ、万軍の主は仰せられる、わたしに帰れ、そうすれば、
わたしもあなたがたに帰ろうと、万軍の主は仰せられる。

1.最大の悲劇
①「それゆえ」が示しているのは、イスラエルの乱れと外敵との戦いにおける敗北です。それを嘆く指導者たちに対し、その最大の理由が、イスラエルと共に主が居られないことだと指摘しているのです。それゆえに、主に帰れと預言者は告げています。

②創世記に出てくるヨセフの不幸は周囲の不条理な仕打ちでした。でも聖書は「主がともにおられたので、彼は獄中で幸いな者となった」と驚くべきパラドックスを伝えています。それは奇跡ともいうべき有様です。その不条理な運命の下、ヨセフの心は激しく揺さぶられたでしょう。しかし、その渦中で、復讐心に振り回されることもなく、投げやりで虚無的な生き方に流されることもなく、なおも主を仰ぎつつ歩んだ事は驚くべき事です。
そのたぐいまれなる信仰の故に、ことごとく彼の為すことを栄えさせられ、彼は成功を取り戻していくことになります。主がともに居られることは、個人的にも国家的にも繁栄の要因なのです。

③それゆえ、預言者を通し、イスラエルが、主に帰ることを強く勧めます。そうすれば、主もまた帰ってきてくださると伝えているのです。このメッセージに応答したイスラエルは、一時、神殿のリニューアルを成し遂げます。しかし、そののち主を離れ完全に国は滅亡に向かうのです。そんな、イスラエルにまだ望みは残されていたのでしょうか。そこに、クリスマスのメッセージがあります。

2.最大の恩寵
①最初のクリスマスは誰に告げられたのでしょうか。それは、荒野の羊飼い達です。羊飼い達は職業柄、安息日を厳守できない宿命にありました。彼らは信仰はあっても礼拝堂とは疎遠な人々でした。クリスマスの夜、天使たちが救い主の誕生を告げたのは礼拝堂に集っていた信者達にではなく、あの羊飼い達だったのです。それは、神が神殿の礼拝者たちを軽んじられたのではありません。 神が御自分の方から人を慕い求めて下さるという新約時代の幕開けを、人々に悟らせるためでした。旧約時代には、神を求める人と共に、主も彼らといることをよしとされたのです。でも新約の恩寵はそれをはるかに超えるものでした。
人々が神を求めたのではなく、神ご自身が人々を慕い求められたのです。そのお心を象徴的に示されたのが、羊飼い達への告知でした。
私たちもイスラエルから言えば、選びの民ではなく、異邦人です。偶像を信じ真の神から限りなく遠くに位置する人生を生きて来た者です。肉の性質と自己矛盾の弱さを背負いながら、襟を正して神に近づかなくてはならないとすれば、万分の1しか救われるチャンスはないでしょう。でも、主がご自分から私たちの様な罪人を慕い求めて下さった故に、私たちは神の子とされているのではないでしょうか。

②私たちが救われた後においても、主はその原則を変えておられません。それ故に、不信仰に陥った時でも私たちは神に戻ることができるのです。聖霊もすべての肉なる者に注ぐと約束され、それが、最初のペンテコステで証明されました。
わたしたちは、どんなに恵まれていても、主を誇るべきです。どんなに惨めに感じる事態でも、主の恩寵は変わらないと確信して主の愛を喜ぶべき根拠がそこにあります。
いま一度、主が自ら来て下さった恩寵を喜び、自ら共にいて下さることの故に深い安息を楽しみましょう。

●見よ、わたしは世の終りまで、
いつもあなたがたと共にいるのである」。【口語訳】マタ28:20