てなわけで、石原慎太郎の過去の著書と、今回の青少年健全育成保護条例改正案で主張している事が矛盾しまくっている事について、やっとマスコミがツッコミ入れたようで、ようやく当人のコメントが出てきました。
都青少年条例:自著で過激本も容認?指摘され石原知事反省過激な性描写がある漫画の販売規制を強化する東京都の改正青少年健全育成条例に関連し、石原慎太郎知事は17日の定例記者会見で、72年発行の自著「真実の性教育」(光文社)に「いかなる書物も子供を犯罪や非行に教唆することはない」などと記述していたことを指摘され、「そのころ私は間違っていた」と述べた。「変態を是認するような本は、あのころあまりなかった」と釈明し、条例改正の正当性を強調した。
石原知事は、規制対象となる性的な漫画について「世の中に変態ってやっぱりいるからね、気の毒な人でDNAが狂ってて。読んだり、描いたりにエクスタシーを感じるのは結構。子供にさらさないように処置しただけ」と述べた。
また、中年男性の少女愛を描いたナボコフの小説「ロリータ」(55年)を例に挙げ、「当時ショッキングだったけど、あの程度なら叙述の美しさもある」とし、少女強姦(ごうかん)などを描いた現代の漫画に対しては「何の役にも立たないし、害がある」と批判した。
反省してねえじゃねえか!
「昔の私は間違っていた」
なんて言ってますけど、確かに間違いを是正する事はやぶさかではありませんが、このジイサンの場合は単なる開き直りにしか見えないんですよねえ。
しかも、ま~だ「変態なヤツはDNAから~」云々とかヌカしやがってますが、一体誰にその“フレーズ”を教え込まれたんでしょうな!
更にこのジイサン、自分の発言が矛盾しまくっている事に、まだ気づいていないようです!
以下、2ちゃんねるからのコピペ。
30 :名無しさん@十一周年:2010/12/17(金) 18:49:13 ID:qwoApId50
変態って先天的なものだったのかよw
39 :名無しさん@十一周年:2010/12/17(金) 18:50:03 ID:LMkp7Udd0
>>30
漫画の影響はないって事だよなw
漫画規制の意味を自分で否定してどうするんだろw
52 :名無しさん@十一周年:2010/12/17(金) 18:51:41 ID:1lIALdM9O
変態が先天的なら漫画有ろうが無かろうが変態は変態か
199 :名無しさん@十一周年:2010/12/17(金) 20:34:42 ID:3ds+z5ER0
ふーん、DNAが狂ってるせいでそうなるってんなら、
漫画による後天的影響なんて問題にする意味ないよね。
さあ、賢明なる石原都知事は、果たしてこの矛盾をどう説明してくれるんでしょうね。
(・∀・)ニヤニヤ
それにしても、「人間の変態性がDNAで判る」なんて“トンデモ理論”がもし証明されたら、それこそ学会もビックリするわ!
「人は皆誰でも、多少なりとも、何らかのフェチズムを持っている」
って昔読んだ本で著名な人物が言っていた、って書いてあったんですけど、誰だったっけなあ・・・。
フロイトじゃなかったとは思うんですけど・・・年は取りたくありませんねえ(^^;)
それとこのジイサン、ナボコフの「ロリータ」を引き合いに出して「叙述の美しさがある」とかヌカしていやがりますが、それはあくまで現代の見方であって、当時の状況を全然考慮してませんね。
この「ロリータ」、今でこそ“傑作”扱いで、「ロリータコンプレックス」いわゆる「ロリコン」の語源ともなった作品ですが、これも当初は出版する事すら出来ず、出版された後も、しばらくはポルノ小説扱いされていた作品。
又、石原慎太郎は言葉の端々から「小説は高貴なモノ」と思っている様ですけど、昔は「小説家になる」なんて言ったら、ぶん殴られて勘当される程、「下の下」の扱いだったんですよ。
その小説家の地位を高めたのは、かつての文豪達のおかげだ、ってのに、どうもこのジイサンはそんな事にすら考えが及ばない様で。
(" ̄д ̄)けっ!
又、このジイサン異様なまでに漫画を嫌っていますが、日本の漫画の多種多様さは世界でも例を見ません。
これは「規制が他国に比べて緩かったから」と言われていたのですけど、昨今はかなり規制が厳しくなってきて、それと連動して、アニメ自体がドンドン面白くなくなりつつあり、かつ、子供があまり見なくなってしまいましたが・・・。
そして、90年代に「深夜アニメ」の先駆けとなった「エルフを狩るモノたち」や「EAT-MAN」などが大ヒットした事から、「アニメは子供のモノ」と言う認識は過去のモノとなり、「制作者、視聴者両方の年齢が近くなった」事もあって、「自分達の見たいアニメ」を作るようになってしまい、益々内容が“先鋭化”してしまい、今日に至るワケです。
ちなみに、「新世紀エヴァンゲリオン」も、本放送だった夕方6時では一部のマニアにしかウケなかったのですが、翌年の夏の深夜枠で再放送した所、一気に人気急上昇して、その後は皆さんもご存じの通り、社会現象まで引き起こし、ガイナックスのドル箱になった、と(^^;)
大体「エヴァンゲリオン」だって、当初はどこの放送局も引き受けてくれず、ようやく最後にアニメに寛容だったテレ東が引き取ってくれた、と言う経緯もあったりします。
尚、今のテレ東はなぜアニメが少なくなったのか、と言うと、新社長が「アニメなんかロクなもんじゃないから、放送辞めちまえ!」と言ったからだとか・・・。
ちなみに「エロアニメ」ってジャンルも、おそらく日本にしか無いでしょう。
そういえば昔、アメリカでは日本の18禁アニメ愛好者が多いって話を聞いた事があるのですけど、ある人がその理由を聞いたら
「だって、生で見られるものを、わざわざアニメにするなんて面白いじゃないか!」
って言われたそうです。
ま、このジャンルも「くりいむレモン」と「うろつき童子」が無かったら、果たしてここまで発展したかどうか(^^;)
いやあ、どっちも最初に見た時は色々と衝撃的だったよなあ・・・。
「くりいむレモン」は光る○○が話題だったし、「うろつき童子」は「触手モノ」の走りでしたからねえ。
そういえば、「くりいむレモン」の主役の“亜美ちゃん”なんか、ラジオのレギュラー番組持ってた、なんてのを覚えている人が果たしてどのくらいいるのやら。
しかも「中の人は『世界名作劇場』で主役やってた」なんてマニアックなネタ知っている人って、もっと少ないだろうなあ。
ちなみに私、亜美ちゃんのレコード持ってたりします(^^;)
・・・・・・何の話をしてたんでしたっけ?
要するに、もし過去に表現の規制をされまくっていたら、ここまで日本のアニメや漫画が発展する事も無かっただろう、と。
まあ私は「日本のアニメや漫画は世界に通じるコンテンツ」って発想嫌いなんですけどね。
だって、大半の作品は、別に“世界にウケる”為に作っているワケじゃありませんから。
大体、「世界に“出荷”される事を前提として作られたアニメ」には、過去、ロクな作品ありませんでしたし。
つ~か、どれ見ても説教臭いか、やたらと“左前”な内容ばかりで面白くなった、って記憶しか無いし。
その点から言えば、「東京“国際”アニメフェア」ってのも嫌いでした。
わざわざ“国際”付ける程のモンかいな、と。
てなわけで、どうにもまとまりが無くなったので、今回はこれにて。
眠いと、自分でも何書いているのか判らなくなるなあ
だから、深夜に書いた文章ってのは“ヤバイ”んですよねえ。
大抵、後から読み返してみると「俺、なんでこんな恥ずかしい事書いたんだろう」、って思うのが関の山ですから(^^;)
「くりいむレモン」は見たことはありませんが、懐かしいです。
10代の頃、アニメ好きな友人と冗談でタイトルを言ったりしました。
人の記憶に残るものを作るって大した事ですね。
年を重ねてみて余計にそう思います。
浮世絵もかつては庶民の娯楽の一つで、海外に広まったのは、陶器などを包む包装紙代わりにされていたから、ってのは有名な話ですね。
で、高級食器で有名なマイセンも、後に浮世絵の画風を取り入れています。
ヨーロッパ人にはそれだけ衝撃的且つ新鮮だった、と言う事でしょう。
そんな浮世絵も、松平定信が老中首座やっていた頃は、「ゼイタク禁止令」の一つとして、多色刷りを禁止されたりもしました。
白黒の浮世絵ってのも、風情がありませんが、今なら逆に高値が付くかもしれませんね(笑)
「くりいむレモン」は、80年代には本当に大ヒットしました。
何せ、11PMの「エロ特集」でも紹介された程でしたから。
私も、その特集で初めてそんなアニメが有った、ってのを知ったクチですが(^^;)
あれは当時の若手有名スタッフがかなり関わっていて、わたなべひろし氏が、「皆ちゃんと名前出すんだよ」と騙されて、ただ一人、スタッフロールに“本名”を入れてしまったのは有名な話。
今考えると、完璧にイジメですよねえ。
でも、それも又当時の思い出であり、その作品を見てアニメスタッフになったり、エロ漫画家になったりした人もいるので、やはり多種多様さと言うのは大事なんだな、と思います。
どうも今の日本の政治家、特に民主党ってのは、全てを一元化しようとしていますけど。
まあ、元が社会主義者ですからねえ・・・。
この辺りの論は評論家の増田悦佐氏の著書に詳しく書かれているのでご一読を勧めます。
確かに条文では「表現の自由を狭めることはない」とはっきり書かれていますが、副都知事の発言を聞いた限りでは幾ら文章で確約しても、関係者の意見もろくに聞かないまま採決して事でもう信用できません。それに法的な規制がなくとも、これが心理的な圧力として漫画家に重くのしかかって「更なる自主規制」を促す可能性は否定できないでしょう。条文を紹介したリンク先では「実写の方は既に児ポ法で取り締まられているし、小説の方は文字だけで子供が理解するのは云々」と解説していますが、ではなおのこと何故今更とっくに規制が厳しいアニメ・漫画をターゲットにする必要があるのか、また後者は余りにも子供の読解力を甘く見ている、としか思えません。「推理小説を読んで犯行の手段を思いついた」という話をまれに聞きますが、だからと言って小説を規制すべし、という意見は殆どなかったはずです。それを漫画やアニメだから、と言う理由で更なる規制をかけるのはやはり変です。「ドラゴンボール」の1巻は「お色気シーン」が多すぎるため図書館では小学生が借りられない例がある、とも聞きましたが、これが事実なら紹介先のブログ主が「何故こんなに反対するんだ?」という突っ込みも空しく聞こえます。
必要以上に反対する、と受け取られるのはこれが単なる表現規制にとどまらず、人権擁護法への布石になりかねないから、でしたね?擁護法に賛成する連中がこの条例には反対、という矛盾を「ヒステリックに反対しすぎ」と茶々を入れる人たちはどう説明してくれるのでしょうか?
お薦めいただいた本は、今度読んでみようと思います。
それと、二階堂ドットコムによると、今回の規制には「統一教会が動いていた」とか。
どっかの宗教団体、キリスト教系の団体が動いていたのは、慎太郞の「仏教蔑視発言」からして想像は出来ていましたけど、よりにもよって「統一教会」ですか・・・。
慎太郞も実は朝鮮系に染まっていた、って事でしょうかねえ。
猪瀬や慎太郞の発言を聞いていると、「中立的な立場」で漫画やアニメを見る気は毛頭ないみたいですね。
というか、コイツらの頭の中では既に「弾圧対象」としてしか見ていない感じです。
それと今回、出版業界がかなり強硬に反発しているのは、どうやらこれまで色々と過去に因縁があった末の“結果”な様ですね。
当初は、出版社側と都がそれなりに“折り合い”を付けていたのに、都側が段々と自主規制を“強制”するようになり、出版社側も、
「弾圧されるよりは・・・」
と、ある程度の無理も飲んでいたのに、何の相談も無しに、一気に今回の様な弾圧条例を成立させて、遂に“ブチ切れた”んだとか。
まあ、ある意味非常に日本的な話ではありますが。
慎太郞はそういった日本人の美徳すら判らなくなってしまったのでしょうか。
かつての“盟友”三島由紀夫も、草葉の陰でさぞかし泣いている事でしょう。
いっその事、“お迎え”にでも来てくれると良いのですが(^^;)